第58話 あの男の子の名前は、何て言うのだったかしら?
「みんなー、ご飯ですよー」
チェリエが声をかけると、それを聞いた子供たちはわっと立ち上がってチェリエの周りに寄ってくる。
「わーい! リリーさまのごはんー!」
「おい、おまえらちゃんと行儀よくしろよ!」
――チェリエがこの孤児院に通うようになって三日。
今ではすっかり子供たちとも職員たちとも馴染めるようになっていた。
(……よかった。リリーさんと体を入れ替えられた時はどうなることかと思ったけど)
思ったよりも状況は悪くない方向に向かっていることにチェリエは安堵する。
この孤児院イベントというのは、作中において最後のパラメータアップイベントなのだ。
一つは、子供たちに花魔法や花の適切な扱い方を教えてあげることで、植物たちからの好感度と信頼パラメータが上昇し、最後の窮地で助けてもらいやすくなること。
そしてもう一つは、子供たちと触れ合うことで攻略対象者たちからの好感度と絆が上がること。
攻略対象者の好感度によっては、子供たちと仲睦ましげに接するヒロインを見て、攻略対象者が惚れ直すというイベントも発生する。
前者については、花魔法の成績がよいチェリエは何の問題もなくクリアできるだろう。
後者については――、とりあえず、ティエルがついてきてくれてはいるが、彼の好感度が今どういう状況なのか、チェリエにはわからなかった。
(……花継ぎの石板を見に行けば、わかるんでしょうけど)
ゲームをプレイしている時はなんとも思わなかったけれど、実際現実世界で他人の好感度を数値化してみるのはなんとも気がひけてまだ見れていない。
そんな余裕をかましている場合ではないのは、自分でも重々承知はしているのだが。
(……でも。惚れ直しイベントが発生するほどの好感度もないような気もするし……)
そもそもティエルがここについてきてくれているのも、好感度が高いからついてきてくれているというよりもイレギュラーな事件が発生したせいでお目付役としてきているわけなので、そう考えるとイベントが発生する条件を満たしているようにはとても思えない。
なのでとりあえず今回の孤児院での活動においては、能力パラメーターアップを目指す方向でいけば良い、と思っているチェリエなのだったが。
「リリー様、午後は? 午後は何を教えてくれるの?」
「私、ごほんよんでもらいたいー!」
「わたしお花のかざり方しりたい!」
「こら、お前たち、一気にお願いするとリリー様が困るだろ」
姦しくチェリエにまとわりついてきた少女たちを、一人の少年が注意する。
11歳くらいの黒髪の少年は、この孤児院の中でも年少の子どもたちをよく取りまとめている。
(……この子、なんだか……)
歳が近いせいだろうか。
それとも、背格好が似ているからだろうか。
顔立ちはそれほど似てはいなかったが、なんとなくその少年を見ていると、この間、樹花祈年祭で倒れた時に見た前世の、かつて前世で自分が養っていた少年と重なって見えるような気がした。
そうして、チェリエがぼんやりと過去に思いを馳せようとすると、なぜだかずきりと頭が痛み出した。
(あれ……、そういえば……)
――あの男の子の名前は、何て言うのだったかしら?
あんなに散々夢で見たのに、思い出そうとするとその肝心の名前がどうしても出てこなかった。
(え……、あれ……?)
どうしてだろう?
あんなにも長い間一緒に暮らして、最後には深い縁を結ぶ雰囲気にもなりかけていた相手なのに。
(……どうしてかしら。確かに、好きだったと思うのに……)
思い出そうとするほどに、胸に湧き上がるわだかまりと共に、名前がぼやけて消えていく。
チェリエが焦燥感にかられながら、自分の意志とは関係なくざわつきだした胸を押さえていると。
「リリー様?」
様子がおかしいと感じて心配してくれた少年に話しかけられて、チェリエははっと意識を現実に戻した。
「……ううん、ごめんなさい。少しぼうっとしてしまったわ」
意識を現実に戻し、先ほどの思いから気持ちを切り替えると、嘘のように頭痛や動悸が治っていった。
そうして、呼びかけてくれた少年を安心させるようにこりと笑い返したチェリエは、「じゃあ、今日の午後は、お花たちの上手なお世話の仕方を勉強しましょうか」と提案する。
その言葉に、子供たちはわあっと嬉しそうな歓声をあげた。
どうやら、ここの子供たちはみんな草花のことが好きなようで、それだけでチェリエは少し気持ちが暖かくなった。
◇
それから。
その日の午後は土いじり用のエプロンをつけて、子供たちに花の世話の仕方を教えた。
途中から、ティエルも作業用のエプロンを身につけ長靴を履き、土いじり用の格好をして手伝おうとしだしたので、それを見てみんなでわいわいと笑った。
貴公子然としたティエルがそんな格好をするのが妙に可愛らしく見えて、チェリエもつられて微笑んだ。
つかの間の――幸せな時間。
昼下がりの時間帯を過ぎ、夕方が近づいてくると、子供たちはまた別の授業のために温室から教室へと戻っていった。
この孤児院には、ちゃんと子供たちに勉強を教えるための教室があるのだ。
子供たちと一緒に、ティエルも「着替えてくるので、少しだけ席を外します」と言ってチェリエを残して温室を出て行った。
――どうやらチェリエは、ティエルからだいぶ信頼されているらしい。
それとも、何かあれば首につけたチョーカーで対応できるとでも思っているのだろうか。
いずれにせよ、チェリエは珍しく日暮れの時を、一人で味わう時間を得た。
残されたチェリエは顔に土をつけながら、そろそろ片付けに入ろうと「ふう」と息を吐く。
(片付けが終わったら、晩御飯の準備をしなくちゃ)
花継ぎの乙女という特別な役目を負っている割には下働きのようなことばかりをしている気もするが、チェリエはこうして、誰かのためにやることがあることの方が性に合っていた。
手作業をしながら、今日の夕飯の献立を考える。
そうするとまるで、前世の自分に戻ったようだと自嘲するように笑う。
そこに――――。
「……チェリエ」
と。
背後から、誰かが自分を呼ぶ声が聞こえて、チェリエは何気なく振り返る。
その瞬間。
チェリエは自分がリリーの姿をしていることを、一瞬忘れたのだ。
そうして――、チェリエが振り返った先の、そこにいたのは。
「……サリュート、様……」
リュートの姿で変装することもなく、サリュートの姿そのままで、彼が温室の入り口に立っていた。




