第56話 お前、本当に最悪だよ
サリュートの問いかけに、リリーは相手に聞こえないようごくりと息を呑む。
「……あの、わたくし、サリュート様が何をおっしゃっているのか……」
「気持ち悪いからチェリエの真似なんてしないでくれるかな。君が言わないなら僕から言おうか?」
リリーがチェリエになりすまそうと芝居を打つと、いっそうサリュートの視線が冷たく光った。
(……なにそれ、もう、バレてるってこと?)
――いつ?
――どのタイミングで?
自分はどこで、下手を打ってしまったのだろうか?
リリーは目まぐるしく頭を回転させるが、今問題にすべきところはそこではない、と思考を切り替える。
問題は――どうやってこの窮地を乗り切るかだ。
これまでとは一変して冷たい態度になったサリュートに、リリーはもう誤魔化しきれないと観念し、作戦を変えることを余儀なくされた。
「……そうですか。サリュート様はもう、おわかりになっていたんですね」
なるべく、自分もこの事実に心を痛めているのだと見えるよう表情を作り、はあ、と一息ついて、耳から流れ落ちた髪を右手ですくってかけ直す。
「……でも、私だってびっくりしたんです。気がついたらチェリエ様の姿になっていたんですもの」
――あくまでもこれは事故で、自分はこの件には何も関与していない――。
そう見えるように、リリーは必死にアピールする。
自分も被害者の一人で、やむなくチェリエのふりをしていたのだと言い切れば、強く責任を取られることはないだろうという算段である。
「……自分はこの件に関与してない、と?」
「そうです。私だって驚いているんです。突然こんなことになって」
しらじらとリリーを見つめてくるサリュートに、リリーはまるで悲劇のヒロインのように戸惑い、困惑したような様子を見せる。
「でもサリュート様が気づいてくださってよかったです。だって私も困っていたんですから。突然こんな話をしたって、信じてもらえないと思ってましたし」
「………………」
リリーの言葉にサリュートが無言でいることをいいことに、リリーは調子に乗って喋り出す。
「……サリュート様。助けてくださいませんか? 私のこと……」
同情を引くように胸に手を当ててそう懇願すると、リリーは立ち上がってサリュートの隣まで歩み寄る。
「本当は怖かったんです、ずっと。誰も助けてくれないまま、このまま一人なんじゃないかと思って……」
ほら、と証拠を見せるように、リリーはサリュートの手を取り自らの左胸へと引き寄せる。
心臓の鼓動が伝わるように。
サリュートに――、あえて、間違いを起こさせるために。
ここが正念場だと思い、リリーは全身全霊でサリュートを落としにかかる。
意識を――ほんものに向けさせたくない。
彼女と会わせてしまったら、自分の悪事と企みが露呈してしまうからだ。
「サリュート様……。私を……チェリエ様だと思って、慰めてくださらないでしょうか……」
サリュートの手を左胸に当てたまま。
リリーは心細げな表情を浮かべながら、媚びるようにサリュートに身を寄せ、ソファの上に乗り上げ体を密着させる。
「この体になってから……、サリュート様といると、ずっと……、ずっと、身体が疼くんです……」
はあ……、と熱い吐息を吐き出しながら、リリーはソファーに座ったサリュートの太ももに手を這わせ首元に顔を寄せる。
リリーが聞かされていたのは、サリュートとチェリエはあくまでも仕事上の関係だという話だったが、リリーはほぼ間違いなくサリュートの方はチェリエに気があると思っていた。
普段色々なところで鈍く気がつかない彼女だが、こういう色恋の間だけは妙に鋭い。
だから――リリーとしては、『お堅いチェリエ様だと簡単にエッチなことはさせてくれないと思いますけど、私は全然OKです! どうぞお好きになさってください!』という心づもりで押し倒しにいった。いったのだが――。
「……本当にゲスいよね。君は」
「…………え?」
心底嫌気がさしたように顔を顰め、ぐいっとリリーを自らの身体から引き剥がしながら、サリュートがそう吐き捨てる。
「チェリエの顔と身体で、そんなことを口にすることさえ、本当におぞましい……」
「……………………」
どうやらリリーの策は、サリュートの不興をかってしまったらしい。
サリュートの反応を見て、これ以上この相手を懐柔するのは無理だと言うことをリリーは理解した。
軽蔑するようなサリュートの視線を受けて、リリーは内心で舌打ちした。
ああ――、これは、本格的にダメだわ、と。
この男は自分の味方にならない。
ならば、ここでこの男に固執して留まるより、他の寄生先を見つけた方がいい。
「……ちなみに、一応聞くけど。その体はチェリエの体で間違いないのか?」
「………………。どう、思います?」
「……………………」
サリュートの言葉に、リリーはそれまで保っていた外面を取り払い、薄ら笑いを浮かべながらサリュートにのしかかっていたソファの上から身を引いた。
「……残念です。サリュート様と意見が一致しない以上、私もこれ以上お渡しできる情報はありません」
「どうするつもりだ」
「別に、他の人を探すだけです。私を助けて幸せにしてくれる、素敵な男性をね」
そう言って、立ち上がったリリーはもう話はないと言わんばかりに部屋を出て行こうと踵を返す。
リリーの言葉に咄嗟にかっとなったサリュートは、腕を伸ばして出て行こうとする相手の腕を掴んで引き止めた。
(――許せるわけがない。本物の体だろうと偽物の体だろうと。チェリエが他の男と一緒にいるなんて)
しかもこんな――、ふしだらな女と。
そう思ったサリュートは、リリーの腕を掴んだ瞬間、花魔法を発動させた。
蔓を伸ばして相手を捕らえる――捕縛の術だ。
「やっ……! ちょっと……!」
伸びてきた蔓で手足を縛られたリリーは、こうなることを予想していなかったのだろう。
焦った表情を浮かべながらなんとか捕縛から逃れようと身を捩らせる。
しかし、サリュートの魔法によってがっちりと固定された蔓は、リリーの抵抗程度では解けることなどあり得ない。
「んっ、やあっ……、もおっ、や……っ!」
苛立ちを募らせながら、声を上げて身を捩らせていたリリーは、目の前の男が非常に微妙な、嫌そうな表情をしていることに気が付く。
その瞬間――、そういうことに関しては本当に妙に勘のいいリリーは気付いた。
目の前のこの男は、自分にこのチェリエの姿で、ふしだらに喘がれるのが嫌なのだと。
そう気付いた瞬間、意趣返しとばかりに盛大に仕返しする方法を思いついた。
「あっ……、あん……、ん……っ」
そうしてリリーは、縛られたまま床に倒れ伏し、これ見よがしに艶かしい喘ぎ声を出して、ことさらに欲情に塗れた表情と悩ましげな体勢を取る。
なるべく――サリュートの目に、リリーではなく、チェリエとして見えるよう意識しながら。
不思議なもので、状況を作るとなんだか自分もだんだんその気になって、気持ち良くなってきたような気がする。
そうしてリリーはサリュートに見せつけるように惜しげもなく淫らな肢体を晒していると、サリュートが顔を赤くしながら酷く不快そうな表情になったのを見て少し胸がすいた。
「お前……っ。本当に、最悪だよ……!」
苦しげに表情を歪めたサリュートは、懐から白いポピーを取り出すと、手に持った花に花魔法をかける。
白いポピーの持つ花言葉は『眠り』だ。
サリュートの前で恥ずかしげもなく喘ぎ声を晒していたリリーは、それでようやく静かになった。
(――最悪だよ、本当に)
正直、今すぐに締め殺してやりたいくらい憎らしくて腹立たしいが、体がチェリエのものであるかもしれない以上傷つけることもできない。
はあ、とため息をついて、気持ちを立て直す。
(全然似てなかった。似てない。全然。――全然だ)
モノマネは所詮モノマネ。
いくら見た目がチェリエの姿をしていたとしても、根本が違うのであれば同じあるはずがない――しかし。
一瞬――ほんの一瞬だけ。
ただ純粋に快楽を追おうとする表情がふとチェリエと重なってしまったことが、サリュートに強く罪悪感を抱かせた。
(……最低。最悪だ……)
愛する人を、自分の想像で汚してしまったような気持ちにさせられて、サリュートは荒ぶる気持ちを抑えながらも、本物のチェリエに会いたいと切実に願った。
(……チェリエに会いたい。チェリエの、優しい笑顔を空気に、癒されたい……)
腹立たしさと切ない痛みがごちゃまぜになった気持ちを鎮めるため、両脇に下ろした拳をぎゅっと強く握る。
そうしてそれから、少しだけ気持ちを落ち着けた後、花魔法によって眠る、恋慕う相手と同じ外見を持つその人を両腕で抱き上げた。
◇◆◇
――その日。
サリュートはチェリエの父に許可をもらい、彼女を自分の滞在している邸宅へと連れ帰った。
この体が本当にチェリエ自身のものなのかを確認するために。
自らのすぐ手元に置いて、何があっても守れるように。
腕の中で安らかに眠っている姿は、本物のチェリエが眠っているようにしか見えなくて、余計複雑な気持ちになった。




