第55話 私、今朝、この人に『サリュート様は?』って聞いちゃった?
リリーはサリュートを伴ってマーキュリー家にたどり着くと、彼を応接ルームに案内した。
本当は何も考えずに真っ直ぐにサリュートを自室へ連れて行こうとしたのだが、『お嬢様、未婚の女性が男性を自室に連れていくというのは……』と使用人から窘められたので、しぶしぶ応接ルームにしたのだ。
(……何よ、格式ぶっちゃって。こっちとしては、さっさとこいつとも既成事実を作れた方がよかったのに)
胸中でそう毒づくが、さすがに本命のサリュートを差し置いてリュートと既成事実を作るのはまずいとわかっているので、ただ毒づいただけだ。
手駒は多い方がいい。
だけど、サリュートを落とす前に変な動きを見せて、リュートからサリュートにチクられても面白くない。
そう思ったリリーは、「あら、うっかりしてしまったわ。気を利かせてくれてありがとう」と使用人に答えつつ、応接ルームに足を踏み入れた。
そうして、リリーが使用人に自室まで指輪を取りに行かせている間に、「失礼します。旦那様がご挨拶をさせていただきたいと」と言ってチェリエの父親が来訪したことを告げる執事の声が聞こえてきた。
「――殿下。本日はわざわざ、我が家にお越しくださりありがとうございます」
入室してきたチェリエの父が、まるで目上の人間に挨拶するようなうやうやしさでサリュートに挨拶をする。
(――ん? 殿下?)
この場に出てくるはずのない単語を耳にして、リリーは強い引っ掛かりを覚えた。
(――は? なんでこの人、リュートのことを殿下とか呼んじゃってんの?)
違和感で眉間に皺を寄せそうになるリリーは、それをぐっと我慢しながら、目の前で繰り広げられる父親とリュートの会話を黙って見守る。
「やめてもらえますか閣下。今日はただ、御息女のいち友人としてお邪魔させていただいただけですから」
そう言ってにこやかに答えたサリュートが、ふぁさっ、と目元まで重たくかかっていた前髪を書き上げると、その瞬間、くすんでいた金髪は煌めくような輝きを取り戻し、重たかった前髪の下からは紛れもないサリュート・トリギアの顔が出てきた。
(――――――――――え?)
その瞬間。
リリーは文字通り頭が真っ白になり、我が目を疑った。
(――――――――は? 何? 今何があったの?)
自分のことをずっと、ゴミクズ、と呼んでいた男が、目の前で突然サリュートに変わった。
思考が追いつかないまま、泰然とチェリエの父と会話の応酬をしているサリュートを見つめていると、やがて指輪を持ってきた使用人と入れ替わるように父親が「では」と挨拶をして出て行った。
「――ああ。やっと来たね」
そう言うと、サリュートは椅子から立ち上がり指輪を持つ使用人の元へと近づいていく。
「…………え? あの…………、…………サリュート様?」
「え? うん、そうだよ」
呆然と問いかけるリリーに、サリュートがさらりと実に秀麗な笑顔で答える。
それからサリュートは使用人が持ってきた指輪を手に取ると、
「……本物だ。間違いないね」
と言って、満足げに頷く。
リリーはこの状況に、段々と嫌な予感を覚え始めた。
(……あ、あれ……? 私、今朝、この人に『サリュート様は?』って聞いちゃった、わよね……?)
あの時――、目の前のこの男は、なんと答えていただろうか。
リリーは、自分が失態を犯してしまったのではないかと背筋を凍らせている中、サリュートは指輪を手にしたままゆっくりとリリーの方を向いて、
「この指輪はね。確かに僕が彼女にあげたものだけれど。彼女がそれを知っているはずがないんだ」
と仄暗い微笑みを浮かべながら言った。
――そう。
なぜならばこの指輪は、チェリエがサリュートと一緒にトリギアの王子の歓待の宴に出た時に身につけていた指輪で、あの時チェリエは自らサリュートに『この指輪は、私が生まれた時から手にしていたそうです』と告げているのだ。
だから――、目の前の彼女が本物のチェリエであれば。
『前に僕が君にあげたあの指輪』とサリュートが言った時に、否定しないはずがない。
「さて。まあだいたい、聞かなくてもおおよそ検討はついているけど。チェリエの姿をしている君がいったい誰なのか――教えてもらおうか?」
再びソファーにゆっくりと腰掛け。
泰然と足を組み、ことさらに意味ありげな深い笑みを浮かべる相手を前に。
リリーはただただ――、戦慄することしかできないのだった。




