第53話 【SIDEリリー】……あの、サリュート様は……?
デルトムント国内でもトップに君臨すると言っていい貴族のマーキュリー家は、朝食も学園寮の食堂とは比べ物にならないクオリティだった。
豪奢な食堂に、給仕付きの食卓。
カトラリーは全て銀食器で、使われている食器も美しく華やかなものばかり。
そしてなにより、その上に美しく盛られた、ぷるぷるのスクランブルエッグに、とろふわのフレンチトースト。そして、つやつやと輝く高級フルーツ。
量こそ控えめではあったが、使われている食材も雇っている料理人も一流のものばかりだ。
(なにこれぇ……! めっ……ちゃくちゃ美味しい……!)
昨日の夜から引き続き、リリーは幸せの絶頂に浸った。
寝具も、身につけるものも、食事も、何もかも最高のものばかりだ。
こんなことならもっと早くチェリエと入れ替わっていれば、と後悔しつつ食事を堪能していたリリーだったが、そんな幸せ絶頂なリリーに苦言を呈してくる者がいた。
「……チェリエ。あなた、どうしたの? 今日はなんだかいつもよりもテーブルマナーが美しくないわよ?」
朝食の席に同席していた――チェリエの母である。
見ると、母の隣に座っている父も訝しむようにこちらを見ている。
(――え、あれ?)
てーぶるまなー?
そう言われて、リリーは思わず自分の手元を見る。
……間違ってはいないはずだ。
現に、間違っているとは言われていない。
ただ――、美しくない、とは言われた。
(……美しくないって、どういうこと?)
基本的なテーブルマナーしか覚えておらず、そこから先の美しい所作についてはきちんと身につけようとしてこなかったリリーには、何が美しくて何が美しくないのかがわからない。
違いがわからない以上どうやって直せばいいのかもわからないリリーは、結局、
「え……と。なんだか今日は、体調が悪いみたいです……」
と言って誤魔化すことしかできなかった。
「……チェリエ? お母様は体調が悪いからといって、身につけた所作に隙がでるような娘に育てた覚えはありませんよ?」
(……は、はあ……!?)
「人前に出ても同じようにみっともない姿を見せるくらいなら、学園に行くのなどやめておしまいなさい」
ぴしゃりと母からそう窘められて、リリーは言葉を失ってしまう。
(……はあ? ……な、何言ってんの? このおばさん……!?)
びきっ、と、思わず青筋が浮き出そうになるのをすんでのところで堪えた。
いけない。
今は自分は、チェリエ・マーキュリーなのだ。
いくら腹が立ったとしても、チェリエらしくない行動は取るべきではない。
なんとか冷静さを取り戻せたリリーは、「……申し訳ありません」としおらしい態度で謝ってみせる。
その謝った態度が、偶然にも普段のチェリエの仕草に似ていたのが、ぎりぎりのところでリリーを救うこととなる。
落ち込んだことで、握っていたナイフとフォークの先が下がったのも、たまたま美しい所作を取り戻したように見えた。
「……今回は多めに見てあげますけれど。二度目はありませんよチェリエ?」
母親の口からその言葉が出たことにほっと胸を撫で下ろす。
(……ってか、なんなのよこの家! 娘も娘なら親も親なの!?)
表には出さずに腑を煮えくりかえしていたリリーだったが、とりあえず学園に行くことは許してもらえたようだったので、これ以上何か言われる前に食事の席から退散することにした。
◇◆◇
思わぬアクシデントで朝食の席で肝を冷やすこととなったリリーは、その後自室に戻ると、気を取り直して学園に行く支度を始めた。
そうして、ちょうどリリーが支度をし終えた頃、『迎えが来た』という使用人からのしらせが入ったので、それを聞いていそいそと玄関ホールまで向かったリリーだったのだが――。
「おはよう、チェリエ」
「……おはよう、ございます……」
そこでリリーが見たのは。
きらきら王子のサリュートではなく、ぼさぼさ頭のリュート・スタンレイだった。
――そう。
いつだったか、リリーを『ゴミ』だと言ったあの男だ。
(……はあ? ……なんでこいつが迎えに来てんのよ?)
昨日の帰り際に本人も、『心配だから明日の朝も迎えにくるね』とそう言っていたのに――。
朝食の席での騒動から立て続けに、思うようにいかない事態に直面したことにリリーは苛立ちを覚えた。
(なんなのほんと? 昨日自分で言ったんじゃない)
迎えにきたのがサリュートではなくリュートだった。
ただそれだけで――リリーは自分が軽んじられたかのような屈辱を覚えた。
――そう。リリーはまだ、気づいていなかったのだ。
他の人間たちは薄々、サリュートとリュートが同一人物であることに気づいているにも関わらず、いまだにリリーはこの二人が同一人物だということを思いもよらずにいた。
だからつい――、うっかり、ボロを出してしまったのだ。
あくまでも、表に被った猫を剥がさないまま。
チェリエの姿を借りつつ、どこか媚びるようなぶりっこな様子を漂わせて。
「……あの、サリュート様は……?」
「え?」
リリーの問いかけに、リュートがきょとんと小首をかしげる。
――この時。
頭の回転と洞察力が人並み外れて高いサリュートは、「サリュート様は……?」と尋ねながら周囲に他に人がいないかとキョロキョロ見回すチェリエに強い違和感を覚えた。
(……まさか、昨日の出来事で記憶が混濁している? それにしても――?)
なんだか妙だと感じたサリュートは、リリーの言葉にあえて迂遠な答えを返してみた。
「……やだな、チェリエ。彼があんなに衆目の多いところに出向くわけがないでしょう」
リリーの反応を試す心算を笑顔の下に上手に隠しながらサリュートがそう告げると、リリーは慌てて取り繕いながら「そうですわね」と笑顔で返す。
「でも昨日、サリュート様が迎えにくると仰っていたので。つい探してしまったのですわ」
「……ごめんね。彼はちょっと、急用が入って来れなくなったんだ」
だから、代わりに僕が来て、申し訳ないけど――。
というリュートの言葉を、目の前の彼女はあっさり信じた。
そのことで、サリュートは疑心をさらに深くする。
(……チェリエが、サリュートとリュートを別人だと思っている?)
一体、何があったらそんなことになるのか?
目まぐるしく頭を回転させながら、ひとまずサリュートはチェリエをエスコートしながら馬車に乗り、学園へと向かうことにした。
◇◆◇
一方――、リリーたちが学園に登校したその後。
マーキュリー家の邸宅では、使用人たちが密やかにざわめいていた。
いつもであれば、ふとしたことでも『ありがとう』と微笑しながら使用人に労いの言葉をかけていたチェリエが、昨日の夜から全く様子が違う。
一人一人の名前をちゃんと覚えて、使用人にも真摯に対応してくれていた我が家のお嬢様が、なんだかおかしい――。
この家の使用人たちは、チェリエがマーキュリー夫人の厳しい躾にも健気にも堪え続けてきたのを目の当たりにしており、なおかつそんな境遇でも目下の者にも慈愛と真心を持って接するチェリエは、マーキュリー家の使用人たちからこの家の最大の良心だと密かに認められていた。
そんな彼女が、たったの1日で使用人を空気のように扱い始め、軽んじるような態度を見せるようになったのだ。
――お嬢様は、何か良くないものにでも取り憑かれたのではないか?
――もしくは何か呪いにでもかかったのでは?
リリーの預かり知らぬところで、不穏な空気は伝播していく。
ハリボテで塗り固めた見せかけの姿は、本人の気づかぬままにぼろぼろと剥がれ落ちていく。




