第48話 あんたを逃した責任を取らされて! 私の姉様は花継ぎ教会で降格されたのよ!
(……びっくりした……)
学園の正面玄関でサリュートとバッティングしたチェリエは、その後逃げるように自分の教室に向かって歩いていた。
サリュートからあんなに冷たい眼差しを向けられたことは初めてだったし、そのことにも驚いたが、チェリエが驚いたのはむしろもう一つの方だった。
それはサリュートが自分に向けて冷たい眼差しを向けるその前。
彼、自分に向ける眼差しが、あまりにも慈愛と優しさに満ちていることを、チェリエは側から見て初めて知ったのだった。
サリュートのチェリエを見る眼差しと、リリーを見る眼差し。
その切り替わる瞬間を目の当たりにしたのが、余計に衝撃的だった。
(……サリュート様が、わたくしにあんなに冷たい視線を向けてきたのは……。この体の持ち主が、わたくしに害をなそうとしたからだわ……)
チェリエの胸の動悸はいまや、驚きなのか何なのか、わからなくなっていた。
彼の隣に立つ人物が顔を背けている時に注ぐ、切ないほど愛情に満ちた眼差し。
まるで、自分の他に彼女の周囲に立つ者など許さないといった佇まい。
(あ、あんな……、あんな愛おしそうな目で見られていたなんて……)
嬉しさと、動揺と、湧き上がってくる恥ずかしさに落ち着かなくなってきたチェリエは、スカートの裾をぎゅっと掴み反対の手で口元を抑えた。
(……わたくし。あんなふうにサリュート様から守られていたのね……)
色恋沙汰に疎いチェリエでさえ、そこに特別な感情があることが教えられずともわかった。
我知らず、頬が熱くなり、動悸が激しくなるのを自覚した――そこに。
「リリー」
ティエルがチェリエの背後から、案じるような声をかけてくる。
「……はい」
チェリエが振り向いて「……なんでしょうか」と動揺を押し隠しながらやっとのことで答えると、ティエルはなぜかチェリエの反応に微かに息を飲んだようだった。
(……いけない。この反応は、リリーさんらしくなかったかしら……)
ティエルの反応に咄嗟にうまく擬態ができなかったことを反省したチェリエだったが、ティエルが息をのんだのはまさしくチェリエが思っている通り、彼女の反応があまりにもいつものリリーらしくなかったからだ。
まるで初心な少女のように顔を赤らめ恥じらう姿は、いつものリリーの芝居がかったかわいこぶりっことは違う、人の心を芯から打ついじらしさがあった。
無垢なつぼみが、初めて恋というものを知ったかのような煌めき。
それを見たティエルは一瞬、とくんと己の心臓が脈打ったのを感じたが、あえて気付かぬふりをした。
「……大丈夫ですか?」
「……ご心配を、おかけしてしまいましたね」
ティエルの言葉にチェリエはなんとか笑ってごまかしてみようとするが、うまく笑いきれない様子は返って見る者に痛ましさを与えた。
それから再び、気を取り直したように自らの教室に向かおうとするチェリエの姿を、ティエルは黙って追いかけた。
違和感を感じてみて改めてその後ろ姿をまじまじと見ると、以前よりも歩き方も格段に洗練されたように見える。
(……リリーは、こんなに綺麗な佇まいのできる女子だっただろうか)
疑念は膨らみ続けていたが、今のティエルにはただ、彼女を見定めようとすることしかできなかった。
◇
チェリエが教室に足を踏み入れると、それだけでがらりと教室内の空気が変わったのがわかった。
ひそひそと、仲の良いもの同士でささやきあう声。
教室中を埋め尽くすそれははっきりと聞こえずとも、花継ぎの乙女の責務を放棄して逃げ出したチェリエを非難する言葉なのだと感じ取れた。
そんな空気の中、チェリエは言葉を発することなく教室内を歩いて行き、静かに自分の席に座る。
事情を知らない者なら、花継ぎの少女は気まずくて、肩身の狭い思いをすることしかできないのだろうと思ったものだろう。
しかし、実際は違った。
どちらかというと――それをはっきりと言うのも実に悲しいことだが――チェリエはこういった状況にあまりにも慣れていたのだ。
というのも、チェリエは元々、以前からこういう扱いをされることが多かったから。
なんなら、槙田ちえりの時も含めるともっとである。
侯爵令嬢チェリエ・マーキュリーの時は、リリーからこじつけみたいな難癖をつけられてはクラスから遠巻きに見られることが多かったし。
槙田ちえりの時は、自らの社交性のなさゆえに、クラスメイトからは遠巻きにされていた。
今のようにはっきりと敵意を向けられることこそなかったが、基本的に教室内においてアウェイな状況にいることにチェリエは慣れきっていたのだ。
「……はっ。自分の役割も果たそうとしないで逃げ出した卑怯者が、何すました顔して教室に座ってんのよ」
どこからか。
はっきりと女生徒がチェリエ――ではなく正確にはリリーなのだが――を非難する声が聞こえてきた。
悪意というのは、さざなみのように伝染する。
誰かの一言をきっかけに、周囲の人間の同調するような声が重なっていく。
「……そうだよな。やることやらないで逃げ出そうとした奴が、どうしてしれっと座れんだよ」
「ちょっと、さすがにそれは言い過ぎじゃない……?」
「でも、こいつがちゃんと務めを果たさないと、俺たちも被害を被るんだぜ?」
「……そうよね。しかも平民出身の花継ぎなんて、私たちが教会に納めたお金で生活してるわけでしょ……?」
ざわざわと。
花継ぎの乙女を非難する言葉が教室中に満ちていく。
チェリエは、自分が見誤っていたことを反省していた。
自分が学園に登校することで、多少敬遠されたり避難の目で見られるだろうことは覚悟していたが、まさかここまで学園の生徒たちがリリーに対して露骨に悪意を向けてくるとは思っていなかったのだ。
黙ってやり過ごすか、もしくは教室から出ていくか。
どちらを選ぶべきか、チェリエが黙って思案を巡らせていた時だった。
――ばしゃっ! と。
誰かが――チェリエに向かって頭から水を浴びせかけてきたのは。
「ちょっと……! 黙ってないでなんか言いなさいよ……!」
ぎらぎらと、女生徒が憎悪にも近しい悪意を持ってチェリエを睨みつける。
その手元にあるのは、花が生けられていた花瓶だ。
どうやら廊下に飾られていた花瓶の水を頭からチェリエに浴びせかけたらしい。
「あんたのせいで……! あんたを逃した責任を取らされて! 私の姉様は花継ぎ教会で降格されたのよ……!?」




