番外編 卒業とプロポーズ
――この日、サリュート・トリギアはかつてない緊張に震えていた。
◇◆◇
「結局、サリュート様はリュート様としてではなくサリュート様として卒業されることにしたんですね……」
グローシス学園の卒業式の朝。
チェリエはマーキュリー侯爵家まで迎えにきたサリュートが変装せずにグローシス学園の制服を着ている姿を見て、その流麗な姿にため息を吐きたくなるのを堪えてそう呟いた。
数日前からチェリエは、サリュートから聞かされていたのだ。
これまで、リュート・スタンレイという偽名で学園に通っていたが、卒業にあたっては正体を明かし、サリュートとして留学した学歴を残そうと考えている、と。
結局、『サリュートがどうするかは当日までのお楽しみ』ということで、どうするのかをチェリエは聞かされずにいたが、今日サリュートの姿で現れた彼を見て、彼の出した答えを理解したのだった。
「せっかく二年間通ったのに、何もなかったことにするのは勿体無いからね」
それに、卒業するならばリュートとしてではなくサリュートとして、チェリエと一緒に卒業したい――。
それは、彼が龍斗だった時から秘めていたささやかな夢、願いだった。
ずっと願ってきた。
ちえりと同じ学校、同じ教室に通い、クラスメイトとして学生生活を過ごす。
龍斗のままでは叶わなかったが、サリュートでは叶えることができた。
だからこのまま、彼女と一緒に学園生活を終えたい。
リュートのままで卒業するよりも――どうせならサリュートとして。
総合的に考えて、その方がいいと思った結果、こうして最後の最後にサリュートの姿で制服に袖を通すことになったのだった。
「……なんだか、サリュート様でその制服姿をみるのは新鮮ですね……」
グローシス学園の卒業式は制服で行われる。
それから、夜のプロムは正装に着替えて。
今日だけの、ごくわずかな時間しかこの制服姿のサリュートを拝めないチェリエは、サリュートのその姿をじっと見つめて脳内に焼き付けておこうと思った。
◇◆◇
卒業式は順調に進み、サリュートの名が呼ばれた時には、担任教諭から生徒たちに向けて『事情があって偽名で通っていたが、卒業にあたって公開して良いと殿下本人から申告があったため、この度本名を明かし卒業することになった』と説明が入った。
チェリエのクラスメイトたちはうすうすその正体に気づいていたのであまり驚いた者はいなかったが、事情を知らない他クラスの生徒たちからはざわめきが起こった。
卒業式が終わった後、教室に戻り、教師からの最後の授業を終えたサリュートとチェリエは、仲睦まじげに二人並んで教室から出ていく。
リリーがチェリエの中に入っていた間、表情筋が使われることが多かったせいか、はたまた、リリーの体から自分の体に戻った後、自らの表情筋が死んでいることに気づいたチェリエが、部屋で密かに表情筋トレーニングを続けたおかげか。
チェリエの表情は以前よりもずっと、柔らかく豊かなものに変わっていた。
サリュートと並んでも遜色のない美貌――いや。
むしろ、儚さを感じさせるその美貌は、見る者によってはサリュートよりも麗しいと思う者もいるだろう。
宵闇を思わせる、深みのある艶やかな長い藍色の髪を纏うチェリエと。
太陽を思わせる輝かしいばかりの金色を放つサリュート。
そんな二人が仲睦まじく並んで歩く姿は、まさにお似合いというより他に言葉がなかった。
◇◆◇
卒業式が無事に終わると、生徒たちは一度プロムの準備のために自宅や寮に帰る。
生徒たちにとって、卒業式の後に行われるプロムは特別なイベントだ。
みんなが正装に着替え、華やかに着飾った中でダンスパーティーを行い、学園を卒業することで離れ離れになる友人や想い人と交友を深める。
学生という身分から大人へと変わる、最後の特別な日でもある。
そんな中――、サリュート・トリギアは柄にもなく緊張していた。
プロムが行われるのはグローシス学園にある大ホール。
サリュートは今、その大ホールの外にある、人気のないバルコニーにいた。
星空と学園全体が綺麗に見えるこの場所を選んだのは、今日ここで、もう一度チェリエに気持ちをきちんと伝えるためだ。
あの時、世界樹の下で想いを通じ合わせた後。
通じ合わせた――とサリュートは思っていたが、自分とチェリエの関係がどういうものなのか、未だはっきりさせていないということにはたと気づいた。
『しわしわのおじいちゃんになるまでずっと一緒にいてください』とは言われたが、それがどういう関係で一緒にいるかという話を詰めていない。
いや――、あの状況だと、どう考えても交際するということだろうとは思ったが、それをはっきりせずにずるずると一緒にい続けそうになっている。
――よくない。
前世でも、ちえりは特に色恋沙汰は、はっきりと言わないと伝わらない方だったのだ。
うっかりすると、蓋を開けてみたら『自分は付き合っていると思っていたのに、相手は家族としてずっと一緒にいるつもりでした』ということだってなきにしもあらずなのだ。
だからサリュートは、今日この、学園を卒業するという大きな節目の日に、チェリエを呼び出してはっきりと想いを告げることを決めたのだ。
想いを告げた結果、『やっぱり、まだ不安が拭えないので――』とやんわりと断られたら今度こそ立ち直れないかもしれないと思いながらも。
「…………サリュート様…………?」
サリュートが、そんな悶々とした想いを抱えながらバルコニーで落ち着かずに待っていると、ようやく現れたチェリエが訝しみながらバルコニーに現れる。
明るい室内からやってきた彼女は、まだ暗闇にいる自分の姿を捉えられていないのだろう。
そう思ったサリュートは「チェリエ」と彼女の名を呼び、迎え受けるように愛する人に近づいていく。
そうして――、室内からの灯りに照らされたチェリエの姿を目の当たりにした瞬間。
着飾ったチェリエの、眩いばかりのその姿に、サリュートは胸をときめかせ、一瞬なんというべきか言葉を失った。
光沢のある濃紺の生地をベースにした、上品なドレス。
オフショルダーの上から除く両肩は眩しいくらいに白く、信じられないくらいに華奢で儚い。
肩から下の、体の軸となる腰はきゅっと細くしまっていて、そこからスカートの生地が幾重にも重なりながらふわりと広がっている。
生地にラメでも織り込まれているのか、スカートの裾に行くほどにキラキラと星空のように反射して光っていた。
「…………綺麗だ」
我知らず、サリュートがぽつりと呟いた言葉は、なんの捻りもない単純なその一言だけだった。
けれど、そのストレートな一言が逆によかったのか、その言葉を耳にしたチェリエは目に見えて恥じらうようにはにかみながら、「サリュート様も、すごく格好よくて……素敵ですよ……」と俯く。
(…………なんだこれ、かわいいな…………)
お互い、照れ合いながら言葉もなくじりじりとした時間が生まれる。
しかしサリュートは、はっと気を取り直し、今日のこれからの自分の計画を実行に移すべく、ばくばくと痛いほどに騒ぎ立てる心臓を無視しながらチェリエに向かって口を開いた。
「………………チェリエ」
「はい」
「結婚しよう」
「…………………………」
………………………………。
二人の間に、形容のし難い沈黙が流れる。
「……あの、違う。いや、違くない。結婚はしたいけど、その前に、結婚を前提に一緒にいたいというか――」
何をやっているのだろうか自分は。
あたふたと慌てふためきながら、サリュートは心の中で突っ込む。
あんなに段取りを考えていたのに。
どストレートに『結婚しよう』は重いから、まずは『結婚を前提に』から伝えようと考えていたはずだった。
勢い余って本心が先に出てしまった。
そもそも、チェリエは前世のトラウマで、プロポーズされること自体に不安を抱くかもしれないのに。
前世で、『結婚しよう』と言ったのにそれを覆した自分。
同じ失敗を二度としたくないし、同じ悲しみを彼女に味合わせたくない。
だから――、あんなにシミュレーションして、遠回しに、だけどいつかは結婚する関係でいたいということを伝えようと段取っていたのに――。
「だから、まずはその――、恋人として認めてほしいというか。チェリエが安心できるようになったら、結婚してほしいというか――」
「はい」
「でも、チェリエがまだ無理だって思うんだったら、ゆっくり向き合っていこうと思っているというか、ええと――――ん?」
サリュートがあれやこれやと告げている間に、チェリエからの大事な何かを聞き逃したと遅れて気づいたサリュートが、ぴたりと動きを止める。
ぴたりと動きを止めた後、ゆっくりと、チェリエに向かって視線を動かす。
その先には、にこにこと優しげに微笑みながらこちらを見上げる、チェリエの姿があった。
「……今僕何か、大事なことを聞き逃した?」
「はい、と言ったんですよ。サリュート様」
薄いピンクに染められた、つややかなくちびるから紡がれる声は、相変わらず柔らかくて心地よい。
しかしサリュートは、そのくちびるから紡がれた言葉の意味を遅れてようやく理解すると、ぎゅっ、と心臓が痛いほどに縮こまったのがわかった。
「……はい、っていうのは、その……、『結婚しよう』に対してのはいってこと?」
「そうですよ、サリュート様」
信じ難い気持ちで問い返すサリュートに、チェリエは余裕を感じさせる笑みで微笑んでいる。包容力のある、と言い換えてもいいかもしれない。
「……………………結婚してくれるの?」
「だって、ずっと一緒にいましょうって約束したじゃないですか」
ことりと小首を傾げながら、左手の薬指に嵌めた指輪をサリュートに示すようにかざし、当たり前のようにそう答えてくるチェリエに、サリュートはようやく現実としてチェリエが自分のプロポーズを受け入れてくれたという事実を受け入れることができるようになってきた。
「じゃ……、じゃあ。今から、チェリエは僕の婚約者で、恋人っていうことになるけど」
それでもいいの――? と。
ちゃんとした『恋人』という肩書きが欲しかったサリュートは、言質を取るためにそう言ってチェリエに念押しする。
チェリエは――、そんなサリュートが、もはや可愛く見えて仕方がない。
仕方がないので、はっきりとした関係性を求める彼に、
「はい」
と、胸を張ってどうどうと、はっきりと答えて見せた。
チェリエが「はい」と答えると、泣きそうな顔になったサリュートが小さく身じろぎをした後、そのまま片手で顔を覆って全身で何かを耐えているような様子を見せた。
「……サリュート様?」
どうしたんですか――?
チェリエがそう尋ねると。
「……今。もの凄くチェリエのことを抱きしめて顔中にキスしたいって思ってるのを、全身で耐えてる」
と言った。
「したいけど――、この後まだダンスもあるし。人目に出る前のチェリエを、僕のエゴでぐちゃぐちゃにして、チェリエのプロムを台無しにしたくないから……」
片手で目元を覆いながら耐えているサリュートに、チェリエはふふっと吹き出して笑う。
「だったら、帰りの馬車の中ですればいいじゃないですか」
◇◆◇
結局、自ら宣言した通り、チェリエを抱きしめてキスするのを我慢したサリュートは、その後きちんとみんなの前で卒業プロムのダンスをチェリエと披露し、帰りの馬車の中で思う様チェリエを抱きしめてキスをした。
想いを通じ合わせた二人は、誰に憚ることなく、幸せな時間を満喫した。
これにて、チェリエとサリュートの物語は完結となります。
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございました!
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