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プライベートカウンセラー  作者: Ohtori
第17章「ゲーム開発ディレクター・宇佐美翔太(32歳)」
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第84話「背中を押す者、見送る者」

金曜の夕方、霞ヶ関にほど近いホテルのラウンジ。窓の向こうでは、永田町の官庁街が夕暮れに沈み始めていた。日中の緊張が解け、空気が少しだけ柔らかくなる時間帯だった。


香坂美月は、席につきながら、今夜のクライアントの表情を思い浮かべていた。北川美優。十数年にわたって国会議員の秘書として働き続け、いま、人生の選択に差しかかっている女性だ。


その美優が、やや遅れてラウンジに現れた。黒のジャケットに白のブラウス。いかにも“永田町の仕事人”らしい装いではあるが、その表情には、今までにない凛とした覚悟がにじんでいた。


「こんばんは、美月さん。少しだけ……報告があります」


「ええ、お待ちしていました。どうぞ、お聞かせください」


美優はバッグから一枚の書類を取り出して、テーブルに置いた。


「これ、今の議員に提出した退職届です。来月末で、辞めることになりました」


美月は微笑みながら、頷いた。


「ついに、決断されたのですね」


「ええ……実は、今日の午前中に議員室でお話しました。最初は驚かれましたけど、最後には“君の判断なら、きっと間違っていない”とだけ、言ってくださいました」


そのときの情景が蘇ったのか、美優の声が少しだけ揺れた。


「この15年間、怒鳴られたことも、理不尽に責任を押し付けられたことも、たくさんありました。でも、それでも私は、この仕事に誇りを持っていたし、心から尽くしてきたんです。だからこそ、今日の言葉は……救いでした」


「誰かの背中を押してきた人が、今、自分の背中を押される。その循環は、とても美しいですね」


「……はい。ようやく、手放せました。私の中で、“支える役割”が終わった気がします」


その言葉を聞いたとき、美月はほんの少し背筋が伸びるのを感じた。美優が、自分の中にあった“役割”をしっかりと完了させた瞬間だった。


「これからは、自分の名前で、自分の言葉で、人と向き合う時期に入ります」


「まだ怖さはありますよ。でも、不思議と、後悔はまったくありません」


「では今日は、その新たなスタートに向けた“設計”を一緒にしていきましょう」


美月は、ノートを開き、1枚の白紙のページに線を引いた。


「まず、“3ヶ月後の状態”を仮に設定します。たとえば、“プレ政策プレゼンを5回行っている状態”や、“SNSを通じて政策発信を定期化”など。どんなステップが理想的だと思いますか?」


「そうですね……まずは、地元の支援者や関係者を対象に、小規模な勉強会を開きたいです。“私はこういう政策を考えている”ということを、自分の言葉で語る練習から始めたい」


「それは非常に良いアプローチです。“語ること”がいちばん大切ですから。そして、その場で出た声を“次の構想”に反映していくことで、“一方通行ではない政治”を築いていける」


「はい、それに……私自身がまだ、“政治家としての自分”に慣れていない。名刺に“議員秘書”と書かれていないことに、少しの違和感すら覚えるんです」


「肩書きが人を作るのではありません。行動が、人を“役割へ導く”のです。今、美優さんは“政治家としての言葉”を、ようやく持ち始めた。その言葉が、これから肩書きを育ててくれます」


「……美月さんに、最初にお会いしたときには、こんな自分になるなんて想像もできませんでした」


「私は、最初からそうなると分かっていましたよ」


「またそんな、簡単に言って……」


「本当です。話す言葉の端々に、すでに“誰かのために語りたい自分”が見えていました。ただ、その声に自分で気づくまで、少し時間が必要だっただけです」


美優は小さく笑った。


「もう少し、背中を押してもらっていいですか?」


「もちろんです。次のアクションとして、“自分の活動メッセージ”を200字程度にまとめてきてください。それをもとに、SNSや勉強会の冒頭挨拶としても使える“基軸の言葉”にしていきましょう」


「わかりました。……私、伝えたいこと、実はたくさんあるんです。“制度の狭間で取りこぼされる人たち”のこと、“声を上げたくても上げられない人たち”のこと……ずっと見てきたから」


「その想いこそが、美優さんの原動力です。それを、少しずつ“言語化”していきましょう。政策は、想いの延長にあるものですから」


ラウンジに、穏やかなジャズの音色が流れていた。

どこか、長い旅の“出発直前”のような空気が漂っていた。


北川美優の政治家としての人生は、今まさに静かに動き始めたばかりだった。

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