第3話「それでも、ゲームを作りたい」
日曜の午後、雨の名残が路面に薄く光を残していた。
東京・丸の内。例によってホテルのラウンジは、落ち着いたピアノのBGMと低い話し声に包まれていた。香坂美月が席に着いて5分ほど経ったころ、宇佐美翔太が少し早めに姿を現した。
「こんにちは、美月さん。今日もありがとうございます」
「こんにちは、宇佐美さん。お顔の雰囲気がまた少し変わりましたね。何か動きがありましたか?」
宇佐美は笑いながら席についた。スーツではなく、ゆったりしたパーカーとジャケット。目の下のクマが少し薄くなっている。
「はい、前回話していた“自分のための地図”に沿って、少しずつですが動き始めました。…具体的には、会社の同期で今は別部署にいるプランナーと、エンジニアを一人誘って、簡単なプロジェクトチームを組みました」
「それは大きな一歩ですね。どんなプロジェクトを?」
「“心を整えるゲーム”っていうテーマで、今の子どもたちに向けた認知トレーニング+ヒーリング系のインタラクションを融合させたものです。正直、まだコンセプトだけなんですけど……思ってた以上に、ワクワクしてる自分がいて」
美月は静かに頷いた。
「素晴らしいです。人に言われて動くのではなく、自らの内側から湧き出る興味で動けている。今のプロジェクトが商業的にどうこう以前に、“創りたい”という気持ちが回復しているのが大きな変化です」
宇佐美は、手帳を開いて手書きのスケッチを見せた。
「まだ稚拙ですけど、これは“呼吸を整える”パートの画面案です。スワイプで雲をなぞるように深呼吸を誘導する設計で、ゆっくりしたBGMと合わせて、“気持ちのリセット”を誘導するんです」
美月は興味深そうにページを見つめた。
「いいですね。“正解を求められないUI”というのが、現代の子どもたちには必要かもしれません。学びも癒しも、“競争”とは別の文脈で与えられるべきだと思います」
「……ですよね。実は、今のゲーム業界って、ある種の“過剰競争”の連続で。バトル、ランキング、実績解除……どこまでも“誰かに勝つ”ことが前提。でも、僕が本当に作りたかったのは、誰かと競わない体験だったんです」
「それを言葉にできるようになったのは、とても大きな進歩ですね。ゲームの価値を、勝ち負けやエンタメから一度切り離して見てみる。そこから生まれる新しいジャンルは、これからもっと必要とされるはずです」
宇佐美は小さく笑った。
「ただ……悩んでることもあって」
「聞かせてください」
「この“実験プロジェクト”を進めることで、本業への集中力が下がっていることに、少しだけ罪悪感があるんです。今の自分が、チームにとって全力でないことが、正しいのかどうか」
「それは、“今のポジションに対する責任感”と“未来に向けた自分の可能性”の間で、葛藤がある状態ですね」
「そうです。社内では相変わらず“宇佐美の次回作”って煽られていて……周囲の期待に応えられない自分に、劣等感すら感じます」
美月はカップを置き、姿勢を整えた。
「宇佐美さん、ひとつお聞きします。“その期待に応えること”は、宇佐美さん自身の喜びと一致していますか?」
「……いいえ。正直に言えば、もう一致していないかもしれません」
「ならば、そのギャップを埋める努力をする必要はありません。むしろ、自分の心に正直になることが、長期的にはチームにも貢献する結果になると思います」
「どういう意味でしょうか?」
「創る側が情熱を持っていなければ、作品にもそれが滲み出ます。そして、情熱のないリーダーのもとでは、部下も迷います。だからこそ、宇佐美さんが本当に打ち込みたい方向に自らを置くことが、誠実な行動です」
宇佐美は小さく頷いた。
「でも……本当に“逃げ”じゃないですか?」
「自分の“燃える場所”を探しにいくことは、“逃げ”ではありません。むしろ、それは“探求”です。そしてその探求を経た人の方が、また戻って来た時、何倍もの深さで創作ができる」
「なるほど……」
しばしの沈黙のあと、宇佐美は深く息を吐いた。
「そう言われて、少し肩の力が抜けました。自分を守るためじゃなく、もっと良いものを作るために“遠回り”するって考えたら、少し楽になります」
「その通りです。次回までに、この実験プロジェクトのプロトタイプを進める中で、気づいた“自分らしさ”をいくつかピックアップしてきてください。技術的な話でも、感情的な発見でも構いません」
「わかりました。それ、楽しみかもしれません」
「ええ、創作は“楽しめてこそ”ですから」
ラウンジの照明が少しずつ夜の雰囲気へと切り替わっていく中で、宇佐美の表情は穏やかに輝きを取り戻していた。
彼の心のステージには、再び“創りたい”という灯が灯り始めている。




