第3話「新しい習慣の始まり」
都心のホテルラウンジ。午後の柔らかな光が差し込み、上品なジャズの旋律が流れる。香坂美月は、目の前に座る橘直人の表情を確認した。
前回、直人には「仕事以外の時間を意識的に作る」という課題を出し、具体的なアクションとしてフットサルの体験レッスンに参加するよう勧めた。
「こんにちは、橘さん。フットサルの体験レッスン、行かれましたか?」
美月が微笑みながら尋ねると、直人は少し照れくさそうに頷いた。
「はい。正直、最初は少し気が進まなかったんですが……行ってみたら意外と楽しくて驚きました。」
「それは素晴らしいですね。どんなことを感じましたか?」
「久しぶりに体を動かして、単純に気持ちよかったですね。仕事以外でこんなに集中できる時間があることを忘れていました。」
「なるほど。運動が気分転換になることを実感されたんですね。」
「ええ。でも、それだけじゃなくて、思った以上に他の参加者と話すのが楽しかったんです。」
直人は少し驚いたように言った。
「今まで、仕事以外で人と積極的に話す機会がほとんどなかったんですよ。オフィスの同僚とは仕事の話しかしないし、友人とも最近は疎遠になっていたし。でも、フットサルでは仕事のことを考えずに、ただ純粋にゲームを楽しむことができたんです。」
「それは大きな変化ですね。」
美月はノートに「スポーツによるリフレッシュ」とメモを取りながら、続けた。
「では、その経験を通じて、今後どんなことをしていきたいと思いましたか?」
直人は少し考えた後、ゆっくりと答えた。
「……正直、週に1回くらいはこういう時間を持つのも悪くないなと思いました。」
「それは素晴らしいですね。『仕事以外の時間を意識的に作る』という最初のステップを、すでに実践されているわけですから。」
「でも……やっぱり仕事が忙しいと、この時間を継続できるかどうか不安なんです。」
「そうですね。おそらく、『仕事が優先』という考えがまだ根強く残っているんでしょうね。」
直人は苦笑しながら頷いた。
「その通りです。忙しくなったら、またこの時間を削ってしまう気がします。」
美月はしばらくノートを見つめた後、次の質問を投げかけた。
「橘さん、仕事を続ける上で、一番重要なのは何だと思いますか?」
「……成果を出すこと、ですかね。」
「その通りですね。でも、成果を出すためには、どんなことが必要でしょう?」
「うーん……集中力やモチベーションでしょうか。」
「そうですね。では、その集中力やモチベーションを維持するために、何が必要でしょう?」
直人は少し考え込んだ後、はっとしたように答えた。
「……プライベートの充実、ですね。」
美月は微笑みながら頷いた。
「そうです。仕事のパフォーマンスを上げるためには、プライベートの時間も大切にする必要があるんです。」
直人は、少し驚いたような表情を見せた。
「でも、今までは仕事が第一優先でした。そんな考え方はしたことがなかったですね。」
「多くの人がそう思い込んでいます。でも、実際には、休息やリフレッシュがあるからこそ、高いパフォーマンスを維持できるんです。」
美月はノートを閉じながら続けた。
「例えば、橘さんが今回フットサルに参加したことで、仕事にどんな影響がありましたか?」
「……そういえば、翌日はいつもより頭がスッキリしていました。気分転換になったせいか、集中力が上がっていたように思います。」
「それこそが、ワークライフバランスの効果ですね。」
直人はしばらく考え込んだ後、静かに頷いた。
「……なるほど。仕事にとっても、プライベートの時間は重要なんですね。」
「はい。大切なのは、仕事とプライベートのどちらかを犠牲にするのではなく、どちらも両立させること です。」
「そうですね……。」
直人は、少し考え込むようにコーヒーカップを見つめた後、ゆっくりと言葉を続けた。
「……まずは、フットサルを続けてみようと思います。少なくとも、月に何回かは、そういう時間を意識的に作るようにしてみます。」
「とても良いですね。」
美月は微笑みながら、ペンを置いた。
「では、次回までに、『仕事の効率化を意識して、プライベートの時間を確保する方法』を考えてみましょう。」
「仕事の効率化……?」
「はい。たとえば、業務の優先順位を見直すとか、無駄な会議を減らすとか、そういった工夫をすることで、意識的に自由な時間を作ることができます。」
「なるほど……確かに、やってみる価値はありそうですね。」
「楽しみにしています。」
美月は、柔らかく微笑んだ。
「橘さんが仕事だけではなく、プライベートの時間も大切にできるようになると、きっと今よりも充実した生活が送れるはずです。」
直人は、深く息を吐いた後、少しだけ笑った。
「……ありがとうございます。こういうことを考える機会がなかったので、新鮮ですね。」
「それは、これまでの橘さんの人生が仕事中心だった証拠ですね。でも、これからは少しずつ、そのバランスを変えていけばいいんです。」
直人は小さく頷いた。
「分かりました。次回までに、仕事の効率化について考えてみます。」
「楽しみにしています。」
美月は、静かにカップを置いた。
こうして、直人は「仕事一辺倒の生活」から「仕事とプライベートのバランスを取る生活」へと、一歩ずつ歩み始めた。




