第4話「教えることで得られる気づき」
都心のホテルラウンジ。夜景がガラス越しに広がり、落ち着いた雰囲気の中、香坂美月は静かにコーヒーカップを持ち上げた。目の前に座る佐伯和彦は、どこか穏やかな表情を浮かべていた。
「こんばんは、佐伯さん。」
「こんばんは、美月さん。」
佐伯は、前回のセッションとは違い、少し自信に満ちた表情をしていた。
「勉強会、開催されたのですね。」
「はい、やってみました。そして、今回は前回とは違う手応えを感じました。」
美月は興味深そうに頷いた。
「どのように変えたのですか?」
「まず、最初に『正解を求めるのではなく、考え方のプロセスを共有する場にする』と伝えました。若手医師たちが意見を言いやすいように、質問の仕方も工夫しました。」
「具体的には?」
「ケーススタディの提示方法を変えました。前回は、『この患者が来たら、どう診断しますか?』と聞いたのですが、今回はまず『この症状を見たとき、どんな疑問が浮かびますか?』と問いかける形にしました。」
美月は微笑みながら頷いた。
「それは良い工夫ですね。最初に考える時間を作ることで、話しやすい雰囲気になります。」
「ええ。そして、選択肢を提示する方法も試しました。『この患者に対して、A、B、Cのどのアプローチを取りますか?』と聞くと、以前よりも多くの意見が出ました。」
「なるほど。答えをゼロから考えるのではなく、選択肢があると、発言のハードルが下がるのですね。」
「はい。そして、今回はすぐに正否をジャッジせず、『なるほど、そう考えた理由は?』と聞くようにしました。」
「その結果、議論は活発になりましたか?」
佐伯は満足そうに頷いた。
「ええ。前回よりも明らかに会話が増えました。若手医師たちは、自分の考えを口にすることに少しずつ慣れてきたようです。」
「それは大きな進歩ですね。」
佐伯はコーヒーを飲みながら、少し考え込むような表情を見せた。
「ただ、やってみて気づいたのですが、私自身も『教育とは何か』を学んでいると感じました。」
「どういう意味ですか?」
「私は長年、医師として現場に立ってきました。でも、教えるというのは、単に知識を伝えるだけではないんですね。相手がどう考え、どう成長するのかを見守ることが大切なのだと実感しました。」
美月は静かに頷いた。
「その気づきは、とても大きいですね。」
「ええ。そして、教育というのは、教える側もまた学び続けるプロセスなのだと気づきました。」
佐伯は少し照れくさそうに笑った。
「若い医師たちと議論することで、私自身も『ああ、こんな視点もあるのか』と学ばされることが多いんです。」
「素晴らしいですね。まさに、教えることで学ぶということですね。」
「ええ。以前の私は、教育とは『自分が持っているものを一方的に伝えること』だと思っていました。でも、実際には、相手がどう受け取り、どう考えるかによって、教育の価値が決まるのですね。」
「その通りですね。教育は双方向のプロセスです。」
佐伯は、少し考え込むように視線を落とした。
「そしてもう一つ、気づいたことがあります。」
「何でしょう?」
「私は、これまで『自分の経験がどれほど価値があるのか分からない』と思っていました。でも、今回の勉強会を通じて、若手医師たちが私の話を真剣に聞き、議論してくれたことで、少し自信が持てるようになりました。」
「それは大きな変化ですね。」
「はい。私の経験も、次の世代に役立つのかもしれないと実感しました。」
「その実感が持てたことが、何よりの収穫ですね。」
佐伯は深く頷いた。
「次回も、勉強会を継続することにしました。そして、少しずつですが、教育の分野にも本格的に関わっていきたいと思っています。」
「素晴らしいですね。具体的に、どのような形で関わっていきたいと考えていますか?」
「まずは、病院内での教育活動を継続しつつ、非常勤講師の機会を探してみます。先日、大学病院の知人から、『来年度から講義を持てる可能性がある』という話がありました。」
美月は微笑んだ。
「いよいよ、教育の道に本格的に踏み出す時が来たのですね。」
「そうかもしれません。まだ完全に決まったわけではありませんが、少しずつ前進している感覚があります。」
「それは、佐伯さんがご自身で考え、行動した結果ですね。」
佐伯は、静かにコーヒーカップを持ち上げた。
「最初は、ただ漠然と『自分のキャリアの先が見えない』と感じていました。でも、こうして一歩ずつ進んでいくことで、新しい道が見えてくるものなんですね。」
「はい。そして、これからもその道は続いていきます。」
佐伯は深く頷き、微笑んだ。
「次回のセッションでは、教育活動の具体的なプランについて話したいと思います。そして、非常勤講師としての準備についても相談させてください。」
「承知しました。楽しみにしています。」
二人は微笑みながら、カップを置いた。
こうして、佐伯は新たなキャリアのステージへと進む決意を固めた。




