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吉野にて(1)

「夢を見た。この吉野の山が、山一杯の桜に包まれている夢であった。美しい、見事な光景であった。」と大海人は言った。

春二月、吉野の山にも春は忍び寄っていたが、桜はまだ咲いていない。

「ほほう。」肯いた角乗は、目を瞑りひとしきり思案の後に口を開いた。

「桜の花は花の王と言われています。これは、皇子が必ず皇位に着く知らせです。」そう言うと、手を一つ叩き腕を組んだ。

「間違いない、間違いない。」うんうんと頷き、皇子を見た。大きく開いた角乗の目には光るものがあった。


「もしそれが真言なら、この地に寺をひとつ寄進しよう。」と大海人は言った後で、吾にも未練があるのだなと思った。


昨年の冬十月、大海人の皇子一行は失意の内に吉野の離宮に入った。木枯らしの吹く寒い日であった。飛鳥嶋の宮の地より一日がかりである。総勢三十人程、菟野讚良皇女(うのさららひめみこ)と草壁の皇子それに女官と舎人小者である。冬の吉野は日暮れも早い、吉野の離宮に着いたのは日も暮れかかるところであったが、訪ねて来た者があった。日雄角乗(ひのおのかくじょう)である。又の名を吉野の(おびと)、この吉野の地の豪族の氏の上である。


角乗は供の者に酒肴から薪炭それに夜具まで運ばせてきていた。東宮として大海人の移動であれば必ず先乗りがいて世事万端こなしてくれるのであるが、今回は違う。都落ちであった。飛鳥嶋の宮には留守司を置いてあったからまだ良かったが、吉野は違う。翁媼の老夫婦が庭番において居るだけであった。斉明女帝が健在な頃に吉野の宮は何度か使われたが、ここ十数年来放置されたままだったのである。大海人一行は、熱い粥や酒肴に冷えきった身体と心を慰められたのである。


吉野の生活に慣れてきた頃から、大海人は角乗に誘われる儘に吉野山のここ日雄離宮に移ってきた。日雄離宮というのは、神功皇后が建てたという伝説を持つ。代々日雄一族が管理してきた堂宇一つのものであったが、大海人は一人で過ごせるのでその気儘さが気に入っていた。吉野川を遡った宮滝にある吉野の宮まで歩いても一時ほどだったから手ごろな距離であった。


ここ吉野山から西北に下ると吉野川の流れに遮られるが、その対岸の山の中腹には聖徳太子建立と伝えられる吉野寺とも呼ばれた比曽寺があった。大化の改新の際に古人の大兄皇子が飛鳥より逃れて来て住んだ所である。この頃は役行者と呼ばれている行者が修行道場として使っているとのことであった。古人の大兄が大海人の兄、中の大兄に殺された事を考えれば、大海人は足を向けたくは無かったが、役行者と言う男には会って見たかった。









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