第三話 あなたがあなたである限り、そばにいてほしい
ある夜、月明かりの下の中庭で、カイエルはレイリーンに言った。
「私が、あなたをこの国へ招いた理由を覚えていますか」
「私の能力が必要だったからでしょう」
「ええ。あの時の私は、あなたの力が欲しいと思いました」
分かっていたことなのに、改めて言われるとなぜか胸が痛んだ。
顔を伏せかけたレイリーンへ、カイエルが続ける。
「ですが今は、あなたに任せる仕事が何もなくても、ここにいてほしいと思っています」
思わず顔を上げた。
「レイリーン嬢。あなたに出会って、私は初めて『この人となら、この国の未来を共に作っていきたい』と思いました。政略ではなく、あなた自身を、私は……愛しています」
「殿下……私のような、傷ついた女で良いのですか」
涙でカイエルの顔がにじんだ。
嬉しいのに、すぐには信じられない。
「あなたに傷などついていません。ただ、正当に評価されなかっただけです。私はこれから一生かけて、あなたにそれを分からせてみせます」
カイエルはまっすぐにレイリーンを見ていた。
「仕事ができなくなっても、あなたがあなたである限り、そばにいてほしい。レイリーン嬢。私はあなたを愛しています」
「私で良ければ……喜んで」
涙が頬を伝った。
カイエルはそっとレイリーンを抱き寄せた。
差し出された手へ、自分の手を重ねる。
冷たかった彼女の心に、じんわりと温もりが染み込んでいく。
一方その頃、ヴァイセンベルク王国では異変が起きていた。
レイリーンが去った後、クレアシオンとの通商条約は白紙に戻された。
フィオナが「複雑すぎて分かりにくい」と難癖をつけ、アルベルトがそれを鵜呑みにして条約案を大幅に簡素化させてしまったのだ。
しかし、その簡素化された条約案は、両国の利害関係を無視した杜撰なものだった。
結果、ヴァイセンベルクの農産物輸出は停滞し、辺境の村々では以前にも増して食糧難が深刻化した。
「なぜだ、なぜこんなことに……」
アルベルトは執務室で頭を抱えた。
かつてレイリーンが完璧に処理していた外交文書は、今や山のように積み上がり、誰も手をつけられずにいた。
「殿下、フィオナ様が新しい条約案を……」
フィオナが持ってきた案は、また別の宰相補佐官の意見を無視した、体裁だけを整えた薄っぺらいもの。
しかも、社交界での評判も地に落ちていた。
フィオナは王太子妃候補としての社交行事において、いくつもの失態を演じていた。
招待客の序列を間違え、他国の使者への贈答品を取り違え――かつてレイリーンが「やらかした」とされていたことのほとんどは、実はフィオナ自身が引き起こしていた問題だったことが、今になって明らかになりつつあった。
「レイリーン様がいらした頃は、こんなことは一度もなかったのに」
貴族たちの間では、そんな囁きが広がり始めていた。
そんな折、クレアシオン王国から一通の書簡が届いた。
『貴国との従来の通商条約について、当方はこれ以上の改定交渉に応じることはできません。理由は、貴国側の窓口担当者の能力および誠実さに、重大な疑義が生じたためです』
差出人は、クレアシオン王国宰相グレアム・ダグラス。そして、条約担当としてクレアシオン側に立って交渉に当たっていたのは――かつて「ポンコツ」と切り捨てられたレイリーンだった。
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