第二話 ポンコツなりに、この国で力を貸してもらえますか?
クレアシオン王国の王城は、ヴァイセンベルクの城よりも簡素で、しかし隅々まで手入れの行き届いた美しい城だった。
到着したレイリーンを出迎えたのは、金髪に紫水晶のような瞳を持つ、凛とした佇まいの青年。
「お待ちしておりました、レイリーン嬢。カイエル・ド・クレアシオンです」
カイエルはレイリーンの手を取り、その甲に恭しく口づけた。教科書通りの完璧な所作でありながら、そこには形式だけではない温かさがある。
「殿下、このたびは……」
「まず謝らせてください。あなたが作られたあの条約案を最初に読んだとき、私は失礼にも『これほどの手腕を持つ人物がなぜ婚約破棄されたのか』と、あなたの元婚約者の見る目のなさに呆れました。同時に、あなたがどれほど辛い思いをされたか、想像に難くありません」
レイリーンは思わず目を伏せた。誰かにこんな風に、まっすぐに認めてもらったのはいつ以来だろう。
「ありがとうございます、殿下。ですが、私は『ポンコツ』と呼ばれた身です。過度な期待をかけられても、応えられるか分かりません」
「ポンコツ、ですか」
カイエルは少し考えるように微笑んだ。
「では、ポンコツなりに、この国で力を貸してもらえますか?私は完璧な人間などいらない。ただ、誠実に仕事と向き合ってくれる人が欲しいのです。それに――」
彼はレイリーンの瞳をまっすぐ見つめた。
「あなたがポンコツだというなら、私はこの国の宰相以下、優秀な外交官たちを全員解雇しなければなりません。彼らは口を揃えて、この条約案は近年稀に見る完成度だと言っていましたから」
レイリーンは思わず小さく笑ってしまった。
婚約破棄されてから、初めて心から笑った気がした。
クレアシオン王国での生活は、レイリーンにとって驚きの連続だった。
彼女は正式に外交顧問として迎え入れられ、以前と変わらぬ、いやそれ以上に精力的に働いた。
だが何より違ったのは、その働きぶりを誰もが正当に評価してくれることだった。
「レイリーン様の作成された関税案、素晴らしいですね」
「先日の会議での通訳、大変助かりました」
同僚たちの言葉に、レイリーンは戸惑いながらも、少しずつ自信を取り戻していった。
そしてカイエルは、事あるごとにレイリーンを気にかけた。
執務が長引いた夜には、温かい紅茶を自ら運んできた。
「無理はしないでください。あなたの体が資本ですから」
書類仕事で目を酷使したレイリーンのために、目に優しいランプを取り寄せた。
「これなら夜も安心して仕事ができるでしょう」
休日には、王都の見えない場所にある静かな庭園に連れ出してくれた。
「たまには何も考えず、花でも眺めましょう」
レイリーンが失敗をしても――本当にただの人間らしい小さな失敗をしても――カイエルは決して責めない。
「大丈夫。誰にでも間違いはあります。それより、次にどうするか一緒に考えましょう」
その言葉に、レイリーンは何度も救われた。
ヴァイセンベルクにいた頃は、小さなミスすら「ポンコツ」の証拠として利用された。
しかしここでは、ミスは責められるものではなく、共に乗り越えるものだった。
クレアシオンで最初の大きな仕事を終えたのは、一か月ほど経った頃。
「終わりました」
最後の確認を済ませ、レイリーンは机に突っ伏したくなるのをこらえた。
向かいに座っていたカイエルが、完成した書類を受け取る。
「お疲れ様でした。明日の説明は私が引き受けます。今夜はもう休んでください」
ほどなくして、温かな紅茶が運ばれてきた。
一口飲んだレイリーンは、思わずカップの中を見た。
いつもより甘い。
「砂糖を多めにしてあります」
「私が甘い紅茶を好むと、お話ししましたか?」
「いいえ。休憩中に、何度か見かけただけです」
仕事ぶりを見られることには慣れている。
けれど、紅茶に砂糖を入れるところまで覚えられていたとは思わなかった。
頬が熱くなり、誤魔化すようにもう一口飲んだ。
「殿下の紅茶は?」
「そこにあります」
指されたカップからは、もう湯気が消えていた。
「人には休めとおっしゃるのに、ご自分は休まれないのですね」
言い過ぎたかと思ったが、彼は声を上げて笑った。
そんなふうに笑う姿を初めて見たレイリーンは、思わず見入ってしまった。気づかれる前に視線をそらしたものの、熱くなった頬までは隠せない。
その日から、二人は仕事を終えたあと、紅茶一杯分だけ話をするようになった。
最初は会議や外交の話ばかりだったのが、やがて、話題は王都で評判の菓子店や、幼い頃に読んだ本、紅茶一杯分では済まないほど、お互いのことを知るように。
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