二年目九月 恋
とうとうやっちゃったよ小春ちゃん。
無駄に長く感じた夏休みがようやく終わってくれて、二学期が始まった。
あの日以降、筋肉痛から回復してからは毎日散歩するのが日課になった。初日に日焼け止め塗り忘れたからっていうのもあるけど、日焼け止めを塗ってても毎日歩いてるときっちり日焼けした。日焼けの仕方が小学生だと笑われた。
ただおかげでちょっとは体力ついたんじゃないかな? 学校通うのも少し楽になった気がするし。あと睡眠の質が改善したような気がする。私もっと日光とか運動が必要だったんだなあって痛感した。
かといってゴリゴリの運動とかはさすがにちょっと無理だから、散歩だけだけど。スポーツとかするには、まず少食過ぎると思うし。筋肉全然増えないと思う。
さて、ホームルーム終わったや。何話してたか全然覚えてないけど。とりあえず帰ろっかな。
あ、そうだ。読みたい本あるんだった。図書室行こうかな。
目的の本を探していると、古い料理本を見つけた。図書室にこんなのあるんだ。何か知らない料理とかも乗ってるかなって思って、試しに手に取って見てみる。
古い本だからなのか、知らないレシピが割と書いてある。こういうのもあるんだなあ、なんて思うようなレシピもあるや。ただあんまり昔の本だと、野菜とかの味が違っててそのまんま作ると美味しくなかったりするからなあ。
あー、なんというか昔って感じのレシピもあるなあ。現代風にアレンジすれば全然大化けしそう。
「あれ、小春?」
この声。
「恭子? どうしたの、こんなところで」
「参考書借りによ。塾とか予備校とかもなけど、参考書にもお金かけとうないけえ」
「そんなのあるんだ」
図書室なんて年に何回かぐらいしか来ないから知らなかったや。まあでもあって不思議じゃあないのかな。
「結構充実しとるけえ試験前とか受験前とか人増えるよ、ここ」
「そうだったんだ。知らなかったや」
「勉強とかも一緒にしよったもんねえ」
「うん。いっつも見てくれてたもんねえ」
「正直教える方がええ勉強になるけえうちも助かりよったけどね。ねえ、おんなじ大学目指してくれん?」
「無茶言わないでよ。偏差値どれだけ違うと思ってるの」
私が答えると、彼女は小さく笑ってみせた。
「やりゃあできる思うけど、言うてやる気せんじゃろ」
「まあね。そもそも私、お料理以外別に取り柄もないしね」
「あれは取り柄とかいうレベルじゃないじゃろ。プロ級よ?」
苦笑いを浮かべながら恭子は言う。さすがに言い過ぎじゃないかな?
「恭子ぐらいよ、そう言ってくれるの」
「うちかたのお父さんが一番言いよるけどね。小春のご飯はしょうもない店で食べるより遥かに美味しい言うて。うちもそう思うけどね」
「言い過ぎだよ。お店とは色々違うしね」
「まあそれはそうじゃろうけどね。経営とかもあるじゃろうけえ」
ぱたりと音を立てて本を閉じる。恭子はそれを見て、表紙を覗き込む。
「小春も勉強熱心なねえ」
「え、これ?」
「うん。こんなとこでまで料理じゃけえね。凄いよねえ。やっぱあれ、料理関係に進むん?」
「どうだろ。まだ決めてないんだよね」
「ほうなんじゃねえ」
そうなんだよなあ。結局何にも決めてない。もうちょっと真剣に考えたほうがいいのかなあ、そろそろ。
「料理っていっても色々あるしね。料理人から責任者、経営者、評論家、開発とか研究とか教師とか」
「幅広いと潰しも効きやすうてええと思うけどねえ」
「あー、そういう考えもあるのか」
そう考えれば料理の道っていうのもいいのかもしれない。職人とか板前になりたいわけじゃないし、そういう大学か専門学校かな? そもそも私も何があるのか詳しいわけじゃないし、調べてみようかな。
「まあ私進路とか何にも考えてないし、じっくり考えてみようかな。あんまり時間ないのかも知れないけど」
「焦って決めてもしゃあないけえねえ」
「うん、そうだね。まあ考えてみるよよ。それじゃあ私、まだちょっと本探してるからさ」
そうとだけ言って私は本棚に向き直る。
「そっか。ごめんね、邪魔してしもうて」
「ううん、何にもだよ」
違和感のある物言いが気になって恭子を見ると、どうかしたのかな、何か変な顔してる。妙に苦い顔。
あ、あった。借りたかった本。ついでにこのレシピ本も借りていこうかな。
「あったや。それじゃあ私行くね。頑張ってね」
「うん、ありがと」
恭子に手を振ってから、本の貸し出しの受付に向かった。借りたかった本は、インターネットの記事で面白いって書いてあったんだけど、正直あんまり好みじゃなかった。
あと何だろ、久し振りに恭子とちゃんと話した気がするや。たまにお裾分け持ってったくらいで、ご飯も結局全然作りに行ってなかったし。
けどほんとに頑張ってるんだなあ。私は、うん、どうしよっかな。
思ったよりも朝早くに目が覚めた。まだちょっと眠たいけど、折角早起きして時間もあるし、お散歩行こうかな。
ささっと身支度を整えてから、外に出る。九月になったとはいえ、まだとっても暑い。一番暑かった時期に比べると、それでもましなんだけど。それでも暑いものは暑いよね。日差しも強いし。運動部の子たちに、いい日焼けだ、とか言われる程度には焼けたし。今私、人生で一番日焼けしてる。
あ、折角だしパンでも買いに行こうかな。駅前のパン屋さんならやってるし。食パン買おう。おいしいんだよね、あそこの食パン。朝ご飯にしよう。
線路沿いに、駅まで進んでいく。通り過ぎた電車は、まだこんな時間なのに沢山人が乗っていた。ちらほら駅に向かって歩く人もいる。みんな仕事なのかな。朝早くから大変だ。
パンを買って、買い物袋をぷらぷらさせながら家に向かう。この時間ならもうちょっと歩いても良かったかな。まだ涼しいし。夕方歩くとちょっと暑いから。
歩道橋の階段を登る。上から見る景色はなぜか少しだけ綺麗。いつもと何も変わらないのにね。
最近毎日同じ場所で同じ黒猫を見かける。猫もまたこいつか、とか思ってるのかな?
あくびがひとつ出た。朝だしね。見上げた空はどこまでも、吸い込まれそうなくらい青い。
家に帰ると、食パンを切り分ける。歩いてお腹空いたし先に食べちゃおうかな。パンを焼きながら、コーンスープとベーコンエッグとサラダも作る。パンにつけるやつ、いいバターも使っちゃおうかな。冷凍庫にしまっておいた、フランスの発酵バター。
「いただきます」
手を合わせてからそう呟く。前よりちょっと食べる量は増えたけど、体脂肪率は減った。歩くって凄いね。
食べ終わって片付けてから、部屋に戻って身支度をする。あくびが出る。食べたら眠くなってきたや。今日が土曜日だったら寝ちゃったかも。残念ながら今日は金曜日。学校行かないとだからね。
放課後、昨日借りた本の返却のために私はまた図書室に向かった。返し終わって、料理の本とかあるかなって思って、少し色んな棚を見て回っていた。
「小春? 今日も来たん?」
「恭子」
ここで会うってことは、ほんとに毎日来てるんだ。頑張ってるんだなあ。
「昨日借りた分返しにね。で、ついでにちょっと見てたの、何かあるかなって」
まあさすがに料理の本なんてろくにないみたいだけど。
「えげなんなかった感じ?」
「そうだね。めぼしいのはないかな」
普通の料理の本だと、同じようなレシピ知ってるから、変わったのが見たかったんだけどなあ。そういうの難しいっぽい。
「新メニュー作れるようになったら食べさしてもらおうと思ったのに」
「ちょっとお預けだね」
「しゃあないねえ」
わざとらしく肩をすくめてから、恭子はおどけたように言った。けどまあ料理なんか、今はもうどこまで奇抜にアレンジするかの時代って感じだしなあ。
「ねえ、小春」
「うん? どうかした?」
「明日か明後日空いとらん?」
「どっちも空いてるよ。私、用事なんてないの知ってるじゃない」
「ほいならさ、どっちか遊ばん?」
ちょっと意外なことを言い出した。てっきりご飯の話かと思ったのに。何か食べたいものでもあるのかなーって。
「え、勉強は?」
「夏休みにかなり詰めたけえね、余裕はあるにはあるんよ。息抜きもしたいし、久し振りに小春と一緒に過ごしたい」
うわ、なんか予想外のこと言い出した。ちょっとキュンてしちゃった。かわいいこと言うなあ。
「いいよ。どっちがいい?」
「じゃあ明日。何しようかねえ」
「折角の息抜きなんだし、好きなことすればいいよ。何でも付き合うからさ」
「ほいじゃあ明日家行っていい?」
「え? いいよ。なんで?」
「ぐうたらしたい」
何で家? 疲れてるのかな?
「わかった。じゃあうん、いつでも来てくれていいよ。もし私いなかったら部屋で待ってて」
「うん、ほいじゃあ明日行くよ。よし、明日のために詰めよう」
「無理しない程度にね」
「ありがとー」
いい本もなかったし、私は帰ろうかな。
翌日もなかなか早くに目が覚めた。まだうっすらと明るくなってきたばかりで、空には星も見える。これはいい時間に起きたかもしれない。すぐに着替えて身支度を整えて、私は家を出た。
仄暗い中ゆっくりと歩いていく。まだ涼しくて、散歩するには凄くいい。天気もいい。空の色がグラデーションになっていて綺麗。どこまでも歩いていきたくなる。
何だかとても静か。他に音がないせいか、地面を踏む自分の足音が妙に大きく響いてるように感じる。それと自分の息の音。生きているのを感じる。
今日はいつもの猫いないや。まあ生きてるんだからどこかに行ったりもするよね。まだ涼しいからかな、餌でも探してるのかな?
あくびが出た。続けてもうひとつ。今日はどうしようか。帰ったら少し寝ようかな。彼女は何時くらいにくるんだろ。
しばらく歩いていると、だんだんと明るくなってくる。家に帰る頃には、陽はすっかり昇りきっていた。うん、今日もいい天気。お布団干そうかな。恭子来るんなら置いといた方がいいかな?
そういえばせめて、朝ご飯どうするのかぐらい聞いとけばよかったかな。食べるなら一緒に作るのに。昼と夜は食べてくだろうけど。ぐうたらしたいって言ってたけど、お買い物くらいは付き合って貰おうかな。夜ご飯の材料欲しいし。
ふう、家着いた。結局一時間以上歩いてたや。お腹空いたのと、ちょっと眠い。
あれ、靴ある?
部屋に戻ると、恭子は文字通りベッドでぐうたらしていた。
「おはよう。ちょっと早すぎない? 私まだ寝てたかもしれないのに」
「ほいじゃったらうちも一緒に寝とっただけよ」
うーん、いいのかなあ、それで。まあいいのかな?
「朝ご飯食べる?」
「食べる」
「じゃあ作るよ」
手っ取り早いしパンでいいや。昨日のまだ残ってるし。ぱっと作ってしまおう。パンを焼いてる間におかずを作って、出来た分から運ぶ。
「パンはまだあるから」
「わかった」
二人でいただきますといって食べ始める。
「ああ、おいしい。朝から癒やされる」
「大袈裟だよ。あり合わせなのに」
「あり合わせでこれなんが凄いんよね。おんなじ材料でうちがやったら多分、まあまあまあまあこんなもんじゃないでしょうか、ぐらいなんができると思うんよ」
まあ塩梅とか香辛料とか隠し味とか臭み消しとか、色々あるとは思うけど。それでもそんなに差が出るかな?
「まあうん、褒め言葉として受け取っとくよ。ありがとう」
「小春は自分の腕をもっと正しく評価した方ががええよ」
「正しく評価してるつもりだけど」
「過小評価にも程があるんよねえ」
高く評価してもらってるみたいで何より。お世辞にしても言い過ぎだと思うけど。
「そんなものかな。自分じゃあよく分からないけど」
とりあえず追加のパンをトースターから取ってきて、恭子のお皿に置いておく。丁度食パンなくなったや。
珍しく私の方が先に食べ終わった。
「食べ終わったらお皿だけ持ってきてくれるかな」
「ほいほい」
自分の分の洗い物をしていると、恭子が食べ終わってお皿を持ってきた。
「ごちそうさま」
「ありがと。ここ置いてくれる? 先に部屋に戻ってていいから」
「ほいほい」
さっさと洗い物を終わらせて部屋に戻ると、恭子はまたベッドに寝転がっていた。
「寝るだけなら自分の部屋の方が快適じゃない?」
「自分の部屋に一人でおるとね、なんか勉強せんといけん気になるんよ」
「ふーん」
短くそう言うと、私も恭子の隣に寝転がり、彼女の顔を覗き込んだ。
「だったら、思う存分にぐうたらしていくといいよ」
「ん、ありがと」
私の目を見つめながらうっすらと笑みを浮かべ、恭子はそうとだけ言った。程なくして寝息を立て始める。昨日も夜遅くまで勉強してたのかな? お疲れ様。寝ている恭子の頭を撫でると、恭子はくすぐったそうに身を捩らせた。相変わらず苦手なんだね。髪を触られるの。もうちょっと撫でちゃえ。
恭子の頭を撫でながら、私はあくびをした。私も寝ちゃおうかな。早かったし。
急に遊ぼうとか言い出すからどうしたのかと思ったけど、恭子、私が寂しがってると思ったのかな? それとも、私がけろっとしてたせいで、恭子が寂しかったのかな?
「大丈夫だよ」
もっと頭を撫でてあげる。本当は寂しかったよ。でも、私はもう平気。ちゃんと我慢できる。待ってられる。あなたを信じられる。
そう、今までのはただの依存。これからが私の本当の恋だ。
……本当に、寝てるよね。
ちゃんと、何度もじっくりと、恭子が寝ているのを確かめてから、彼女の頬にキスをした。
「大好き」
耳元で囁いてからちゃんと横になり、私も目を閉じた。
その日は本当に、食べるとこと寝ることだけで殆んどが終わってしまった。帰り際に新たに作っておいた漬物を、小腹が空いた時にでも食べて、と渡すと非常に喜ばれた。
次の日、お父さんに酒のツマミにいっぱい食べられた、と嘆いていた。
また体育祭の話も出てきたけど、私は去年に引き続きカラアゲ係に早々に決まった。
去年の倍作った。今回もお昼できっちり完売した。
恭子は去年に引き続き、今年もまた障害に参加していて、無事二連覇していた。
クラスも無事総合優勝した。そのせいかあのカラアゲは、ドーピングカラアゲとあだ名がついた。




