王都を蝕む魂
王都中央広場へ向かう大通りは、すでに混乱していた。
人が倒れている。一人や二人ではない。道端に座り込んでいる者、突然意識を失った者、苦しそうに胸を押さえている者。その数は、俺たちが広場へ近づくほど増えていった。
「こっちだ!」
ヴァルドが叫ぶ。
その先では、王国騎士団が倒れた人々を運んでいた。聖療院の治癒師たちも駆け回っている。
だが、状況は改善していない。むしろ悪化している。
「治癒魔法が効かない!」
「意識が戻らないぞ!」
「原因が分からない!」
そんな声が飛び交っていた。
俺は倒れている男の前にしゃがみ込む。
「触るぞ」
返事はない。俺は魂を見る。
「……やはりか」
黒い亀裂。昨日の騎士と同じ術式。だが、規模が違う。この男の魂には、黒い魔力が大量に流れ込んでいる。しかも、周囲にいる人間同士で魔力が繋がっている。
一人の魂から別の魂へ。さらに別の魂へ。王都全体が、一つの巨大な術式になっている。
「先生、助けられますか?」
ミアが聞く。
「ああ」
「本当に?」
「ただし、問題がある」
俺は立ち上がった。
「一人ずつ治していたら間に合わない」
「じゃあ……」
「術式そのものを止める」
俺は中央広場を見渡した。広場の中央には巨大な噴水がある。その周囲に、見えない魔力の線が伸びている。
北へ。南へ。東へ。西へ。まるで王都全体を巨大な魔法陣として利用しているようだった。
「術式の中心はどこだ?」
ヴァルドが聞く。
「地下だ」
「地下?」
「この広場の下にある」
俺は地面を見る。
「ただし、ここから直接壊すと危険だ」
「なぜだ?」
「術式に繋がっている魂が多すぎる」
一気に術式を破壊すれば、接続されている魂まで巻き込まれる。数百。下手をすれば数千。一度に全員が死ぬ。
「……なら、どうする?」
「逆に使う」
「何を?」
「この術式を」
俺は倒れている人間を見る。魂へ伸びている黒い魔力。その流れを辿る。
「こいつらの魂を、術式から一人ずつ切り離す」
「そんなことができるのか?」
「できる」
「全員を?」
「時間があればな」
俺は広場の中心へ歩いた。
「ミア」
「はい」
「ここから動くな」
「え?」
「お前が魂を抜かれると困る」
「私も……?」
「術式の範囲内にいる以上、可能性はある」
ミアの顔が青ざめる。
「分かりました」
「ヴァルド」
「なんだ」
「お前はミアを守れ」
「分かった」
俺は広場に倒れている人間の一人へ近づいた。
「始める」
《魂魄離脱》。
魂が肉体から抜ける。俺は黒い術式を確認する。そして、魂へ繋がる線を一本ずつ切断した。
《魂魄切除》。
黒い魔力が消える。魂そのものには傷をつけない。
「よし」
俺は新しい身体を構築する。そして最後に魂を戻す。
「《魂魄定着》」
男が息を吸った。
「……っ!」
目を開く。
「ここは……?」
周囲からどよめきが起こった。
「生き返った……?」
「いや、さっき確かに死んで――」
俺は次の患者へ向かった。
「次」
一人。また一人。
魂を抜く。術式を切る。魂を修復する。身体を作る。魂を戻す。
一人につき数分。普通の医者なら到底できない。だが、俺にとってはそれが治療だった。やがて広場にいた人間が、次々と立ち上がっていく。聖療院の治癒師たちは、ただ呆然と見ていた。
「……あれが」
誰かが呟いた。
「闇医者の治療……」
俺は最後の一人を立ち上がらせる。
その瞬間だった。地面が揺れた。
「何だ!」
ヴァルドが叫ぶ。
広場の石畳に亀裂が走る。そして、地面の下から黒い光が噴き出した。
「術式が動き始めた」
俺は目を細める。さっきまで患者たちへ流れていた黒い魔力が、一斉に地下へ流れ始めている。
「魂を切り離されたことに気づいたか」
「まずいのか?」
「ああ」
地面がさらに揺れる。
「向こうは予定を変更した」
「何をするつもりだ?」
「分からない」
俺は地下を見る。正確には、地下にある巨大な術式を見る。魔力が集まっている。数百人分。いや、それだけではない。王都の外からも魔力が流れ込んでいる。
「……こんなもの、どこから」
その瞬間。王都の上空に黒い光が現れた。巨大な魔法陣。街全体を覆うほどの大きさだ。
人々が悲鳴を上げる。俺は空を見上げた。
「始まったか」
「何が?」
ヴァルドが尋ねる。
「召喚術だ」
「召喚?」
「ああ」
俺は魔法陣を睨んだ。
「何かを、この世界へ呼び出そうとしている」
黒い魔法陣の中心が開いていく。まるで巨大な門のように。その向こう側には、何も見えない。ただ、無数の光が浮かんでいた。
魂だ。数え切れないほどの魂が、門の向こうに存在している。
俺は息を止めた。
「……魂の向こう側」
昨日、あの男が言った言葉。
『門を開く』
『魂の向こう側へ』
その意味を、ようやく理解した。あの術式は、人間を殺すためのものではない。魂を集めるためのものだった。そして集めた魂を使って、世界と魂の境界に穴を開けている。
「先生」
ミアの声が震える。
「向こうに……何がいるんですか?」
「分からない」
俺は答えた。
だが、次の瞬間、門の向こうから巨大な何かがこちらを覗いた。人間のものではない。巨大な眼。その眼が王都を見下ろす。
そして――俺を見た。
「……」
俺は無意識に拳を握った。門の向こうにいる存在が、俺を認識している。それは偶然ではない。俺の魂魔法に反応している。
「先生?」
「ミア」
「はい」
「逃げろ」
「え?」
「ヴァルドと一緒に王都から出ろ」
「でも……」
「今度は俺が患者になるかもしれない」
ヴァルドが剣を抜いた。
「どういう意味だ?」
「俺の魂魔法が、あれを呼び寄せた可能性がある」
「そんな……」
俺は空を見上げた。巨大な眼が、こちらを見ている。そして門の向こうから、声が響いた。人間の声ではない。言葉ですらない。それでも意味だけが、魂へ直接流れ込んできた。
――見つけた。
俺は初めて、自分の魂が震えるのを感じた。
「……俺を知っているのか」
返事はない。ただ、巨大な門がさらに開いていく。俺は杖も剣も持っていない。必要ない。俺に必要なのは、この魂魔法だけだ。
「なら、来い」
俺は空を睨んだ。
「俺が治してやる」
門の向こうの存在が、再びこちらを見る。俺はその魂を視た。
そして――初めて、恐怖を覚えた。あれには、魂がない。
いや。正確には違う。あれ自身が――無数の魂を一つにして作られた存在だった。




