闇医者を狙うもの
王都の地下深く。人の気配など存在しないはずの場所で、無数の魔法陣が淡い光を放っていた。
その中心に、一人の男が立っている。
黒いローブ。顔を隠す深いフード。男の前には巨大な魔法陣があり、その周囲には無数の小さな光が浮かんでいた。
一つ一つが、人間の魂を表している。
「まだ足りない」
男は呟いた。
「魂が足りない」
魔法陣へ魔力を流す。光の一つが黒く染まった。遠く離れた王都のどこかで、誰かが突然胸を押さえる。だが、男は気にしない。
「あと少しだ」
その頃、俺は診療所で朝食を食べていた。
「先生」
ミアが向かいの椅子に座る。
「何だ?」
「昨日の騎士さん、本当に大丈夫なんですか?」
「問題ない」
「身体も?」
「問題ない」
「魂も?」
「問題ない」
「……本当に?」
「三回も聞くな」
ミアは少し安心したように息を吐いた。
「よかった」
「それより、薬草の整理は終わったか?」
「はい。昨日の夜に」
「薬瓶の洗浄は?」
「全部終わっています」
「床は?」
「もちろんです」
「なら今日は――」
俺が言いかけたときだった。診療所の扉が開いた。
「先生!」
若い男が飛び込んでくる。
「患者か?」
「違います!」
男は息を切らしていた。
「外に……人が倒れています!」
俺は立ち上がった。ミアと一緒に外へ出る。
診療所の前には、一人の男が倒れていた。年齢は三十代。冒険者のようだ。
身体には目立った傷がない。だが、顔色が異常に悪い。
「どこで倒れた?」
「ここまで歩いてきて、突然……」
俺は男の魂を見る。そして眉をひそめた。
「またか」
胸の奥。黒い亀裂。その中心に、小さな魔法陣。昨日の騎士と同じ術式だ。
「ミア」
「はい」
「診療台を空けろ」
「分かりました!」
男を診療所へ運び込む。俺は魂を確認した。
騎士よりも深い。すでに黒い魔力が魂の内部へかなり侵入している。
「……あと数時間か」
「先生、助けられますか?」
「まだな」
俺は男の胸に手をかざす。
「《魂魄離脱》」
魂が肉体から抜ける。身体は死んだ。俺は魂を診る。
「やはり同じだ」
だが、今回は一つ違う。黒い魔力の量が多い。そして、その魔力が一定の方向へ流れている。
「……信号を送っているのか」
魔力の流れる先を辿る。王都の中心。
いやもっと遠い。地下。
「地下に何かある」
俺は呟いた。その瞬間だった。魂に刻まれた魔法陣が光った。
「……来たか」
俺は即座に魔力を流す。だが、魔法陣は消えない。昨日の騎士より強い。
「面倒だな」
魔力をさらに増やす。魂が震える。
「先生!」
ミアが叫ぶ。
「近づくな」
「でも……!」
「今、触ればこの魂が壊れる」
俺は集中した。魂は壊せない。魔法陣だけを壊す。その境界を見極める。
一つ。二つ。三つ。黒い魔力の流れを切る。
「《魂魄切除》」
魔法陣の一部が崩れる。
だが、次の瞬間。逆方向から魔力が流れ込んできた。
「……!」
誰かが術式を操作している。
「俺が治療していることを、向こうも認識しているな」
俺は魔法陣を見る。そして、わずかに笑った。
「なら、こっちから行くか」
俺は魔力を逆流させた。
魂に侵入している黒い魔力を辿り、その発信元へ向けて魔力を送り返す。
「何をしているんですか?」
「相手の場所を探している」
「そんなことまでできるんですか?」
「魂魔法ならな」
黒い魔力を逆流させる。
地下。さらに地下。やがて、一つの場所に辿り着いた。
「……見つけた」
俺の脳裏に、巨大な魔法陣の構造が浮かび上がる。
大量の魂。数百。いや、それ以上。
「何だ……これ」
俺は初めて言葉を失った。王都中の人間の魂が、一つの巨大な術式へ接続されている。
この患者も。昨日の騎士も。ヴァルドも。あの少女も。
全員が同じ術式の一部として使われている。
「何のために……」
俺が呟いた瞬間。逆流させていた魔力が突然切れた。
「逃げたか」
いや。違う。切ったのはこちらではない。向こうが切った。
そして――診療所の外から爆発音が響いた。
「先生!」
ミアが叫ぶ。俺は魂から意識を戻した。
外へ出る。診療所の前に、三人の男が立っていた。黒いローブ。顔は隠されている。
「闇医者」
中央の男が言った。
「それ以上、我々の術式に触れるな」
「断る」
「ならば、死ね」
男が手を上げる。黒い魔力が集まった。俺はミアを後ろへ下がらせる。
「先生!」
「大丈夫だ」
黒い魔法が放たれる。俺は右手をかざした。
「《魂壁》」
魔法が止まる。男たちの動きが止まった。
「……魂魔法」
中央の男が呟く。
「本物か」
「何の話だ?」
「やはり、貴様だったのだな」
男の声に、初めて感情が混じった。
「我々は長い間、貴様を探していた」
「俺を?」
「ああ」
男が笑う。
「最後の鍵を」
その瞬間、三人の魂が一斉に黒く染まった。
「自爆する気か」
俺は魔力を展開し、三人の魂へ干渉する。
だが――
「……これは」
魂の中に、自分たちを殺すための術式が組み込まれている。解除すれば魂が壊れる。無理に止めれば同じ。完全に詰ませるための術式だ。
「先生、どうしたんですか?」
ミアの声が聞こえる。俺は答えなかった。
三人の魂が急速に崩壊していく。
「聞きたいことがある」
俺は男を見た。
「お前たちは何をしている?」
男は笑った。
「王都の人間から魂を集めている」
「目的は?」
「門を開く」
「どこへの?」
男の魂がさらに崩れる。
「――魂の向こう側だ」
次の瞬間。三人の身体が崩れ落ちた。魂は完全に消滅した。
蘇生不能。俺はしばらく黙っていた。
「先生……」
ミアが恐る恐る近づく。
「死んだんですか?」
「ああ」
「助けられないんですか?」
「魂が消えた」
俺は三人の遺体を見る。
「こうなったら、俺にも無理だ」
それは、この診療所を始めてから初めて口にした言葉だった。
俺にも治せない。魂が完全に消滅すれば、どれだけ優れた身体を作っても意味がない。
「……だから魂を集めているのか」
俺は地下を睨む。
「人間の魂を大量に集めて、何かを呼び出そうとしている」
そのとき、診療所の扉が勢いよく開いた。
「先生!」
ヴァルドだった。右目は完全に治っている。
「何だ?」
「大変だ!」
ヴァルドは息を切らしながら叫んだ。
「王都の中央広場で、人が次々と倒れている!」
俺は顔を上げた。
「何人だ?」
「分からない。だが――」
ヴァルドの表情が険しくなる。
「倒れた奴ら全員、魂に黒い亀裂があるらしい」
俺は地下を見る。そして理解した。敵はもう、隠れるつもりがない。王都そのものを、巨大な魔法陣に変えるつもりなのだ。
「……診療所を閉める」
ミアが驚く。
「え?」
「これから王都へ行く」
「先生も?」
「ああ」
俺は黒い金属片を懐へ入れた。
「患者が多すぎる」
そして俺は、初めて診療所を出た。
闇医者としてではない。魂魔法を使う者として、王都に仕掛けられた巨大な術式を止めるために。




