騎士の魂に刻まれた傷
「……なるほど」
俺は騎士の魂を見つめた。
肉体だけを見れば、健康そのものだ。鎧の下に多少の古傷はあるが、命に関わるようなものではない。
だが、魂は違った。胸の奥に、黒い亀裂が走っている。その亀裂から、わずかな魔力が流れ込んでいた。昨日の少女と同じだ。
「何がおかしい!」
騎士が剣の柄に手をかける。
「俺は王国騎士団所属だ。抵抗すれば反逆罪になるぞ」
「その前に一つ聞く」
「なんだ」
「お前、最近妙な夢を見なかったか?」
騎士の表情が止まった。ほんの一瞬だった。だが、俺には十分だった。
「……なぜ、それを」
「やはりか」
俺は確信した。こいつも被害者だ。
騎士の後ろには、白い法衣を着た男たちが立っている。その胸元には聖療院の紋章。
先頭にいる男が一歩前へ出た。
「くだらない話をするな、闇医者」
男は五十歳ほど。細身で、白い髭を蓄えている。聖療院の上級治癒師だろう。
「私は聖療院の第五席、ローディン。貴様の魂魔法について調査に来た」
「調査?」
「そうだ。貴様は患者の身体を破壊し、その魂を利用して新たな肉体を作っているそうだな。人の身体を勝手に作り替えるなど、医療ではない。死者を弄ぶ禁忌の魔術だ!」
「そうか」
「貴様は自分が何をしているのか理解しているのか?」
「理解している」
「ならば、なぜ続ける!」
俺は少し考えた。そして答えた。
「治るからだ」
ローディンが黙った。
「腕を失った患者は腕が戻る。潰れた内臓も再生できる。毒も病気も、魂に残った情報を修正すれば取り除ける。治せるのに、治さない理由がない」
「それは……」
「お前たちの治癒魔法では治せない。それだけの話だ」
「貴様……!」
ローディンの顔が赤くなる。だが、俺にはどうでもいい。
俺が気になっているのは、目の前の騎士だ。
「おい」
「……なんだ」
「お前の魂、誰かに触られたな」
騎士の顔色が変わった。
「何を言っている」
「三日前の夜。王都西区で魔物討伐に参加した」
「……」
「そこで黒い武器を持った男を見た」
騎士は答えない。
「違うか?」
「……なぜ知っている」
「魂に残っている」
俺は騎士を指差した。
「お前の魂には、そのときの記憶が残っている」
ローディンが慌てて口を挟んだ。
「待て。魂を覗いたのか?」
「そうだ」
「それは重大な禁忌だぞ!」
「なら、この騎士が死ぬまで放置するのか?」
ローディンが黙った。
俺は騎士に近づく。
「その黒い亀裂は放っておけば広がる」
「……どれくらいだ」
「三日から一週間」
「そんなに早く?」
「ああ」
騎士は自分の胸に手を当てた。
「俺は……死ぬのか?」
「何もしなければな」
「治せるのか?」
「治せる」
その瞬間、ローディンが叫んだ。
「騙されるな!」
騎士が振り返る。
「聖療院なら治せる! 魂魔法など使う必要はない!」
俺はローディンを見る。
「なら、治してみろ」
「当然だ!」
「今すぐ?」
「……」
「三日後でもいい。だが、その頃にはもっと酷くなっている」
ローディンは答えなかった。騎士も黙っている。しばらくして、騎士が俺を見る。
「……頼む」
「何?」
「俺を治してくれ」
「お前は騎士団員だろう。命令に従わなくていいのか?」
「俺は……死にたくない」
その言葉は、あまりにも普通だった。俺は頷いた。
「金貨五百枚」
騎士が目を見開く。
「……五百?」
「魂の修復が必要だ。安くはない」
「分かった」
「待て!」
ローディンが叫ぶ。
「騎士団員が禁忌魔法による治療を受けることなど認められん!」
「なら、死なせればいい」
「そういう問題ではない!」
「俺にとってはそういう問題だ」
俺は騎士に向き直った。
「決めろ」
騎士はしばらく悩んだ。そして――剣を床へ置いた。
「……頼む」
「分かった」
俺は診察台を指差した。
「そこへ寝ろ」
騎士が横になる。ローディンは止めようとしたが、周囲の騎士たちは動かなかった。自分たちの仲間が死ぬかもしれない。それを理解しているのだろう。
「始める」
俺は騎士の胸へ手をかざした。
「《魂魄離脱》」
光が騎士の身体を包む。次の瞬間、肉体から魂が抜けた。
身体は死ぬ。心臓が止まり、呼吸が止まる。ローディンが息を呑んだ。
「本当に……死んだ」
「そうだ」
俺は魂を見る。黒い亀裂は、少女より深い。そして、その奥に何かが残っている。黒い魔力。だが、それだけではなかった。
「……これは」
俺は目を細めた。
黒い亀裂の奥に、極めて小さな魔法陣が刻まれている。それは、魔法陣というより印に近い。そしてその中心には――王冠のような形をした紋様があった。
「王家の紋章……?」
ローディンが呟いた。
「違う」
俺は否定する。
「似ているだけだ」
「では何だ?」
「分からない」
俺は魂をさらに解析する。すると、魔法陣の奥から微弱な信号が発せられていることに気づいた。
一定の間隔。まるで、何かに向かって位置を知らせているような――
「……発信器か」
俺は呟いた。
「何?」
ローディンが聞き返す。
「この騎士の魂には、何者かへ向けて魔力を送る術式が仕込まれている」
「そんなことが……」
「ある」
俺は黒い金属片を机から取り出した。騎士の魂に刻まれた魔法陣へ近づける。反応した。黒い金属片が、ほんのわずかに震える。
「やはり同じだ」
ヴァルドを襲った武器。少女の魂。そして、この騎士。
全部が繋がっている。
「誰かが人間の魂に印を刻んでいる」
俺は黒い魔力を見つめる。
「そして、その印を使って何かを探している」
「何を?」
ローディンが聞く。俺は答えなかった。
まだ分からない。だが、一つだけ確かなことがある。これは医療事件ではない。誰かが王都の人間を対象にして、魂へ細工している。しかも対象は冒険者だけではない。騎士まで混ざっている。
「面倒なことになったな」
俺は魔力を集中させる。
「まずは、この寄生虫を取り除く」
黒い魔力が蠢いた。
そして――騎士の魂に刻まれた魔法陣が、突然輝いた。
「……!」
俺は即座に魔力を止める。
遅かった。魔法陣の中心から、黒い光が弾ける。魂そのものを破壊しようとする魔力。
「自壊術式か」
誰かが、俺に見つかったことを想定していた。魂を調べられた瞬間、証拠ごと対象を殺す仕組み。俺は魔力を一気に流し込んだ。
「させるか」
黒い亀裂が広がる。魂が軋む。一歩間違えれば、完全に消滅する。そうなれば、身体をどれだけ完璧に作っても蘇生できない。
「……いい加減にしろ」
俺は術式の中心へ手を伸ばした。そして、黒い魔力だけを掴んだ。
「《魂魄切除》」
黒い光が消える。同時に、魂へ刻まれていた魔法陣が崩れ落ちた。残ったのは、傷ついた騎士の魂だけ。
「終わった」
俺は魂の状態を確認する。完全ではない。だが、これなら修復できる。
「身体を作る」
死んだ騎士の身体を横目に見る。必要なのは、魂に残された情報だけだ。
「《身体構築》」
骨が生まれる。筋肉が形成される。血管が伸び、神経が組み上がる。最後に脳が完成した。
「《魂魄定着》」
魂が新しい身体へ入る。心臓が動き出す。騎士が大きく息を吸った。
「……っ!」
目を開く。
「俺は……」
「治療は終わった」
騎士は自分の手を見つめる。それから身体を起こし、胸に手を当てた。
「……何も痛くない」
「当然だ」
俺は手を差し出した。
「金貨五百枚」
騎士は苦笑した。
「最後まで、それか」
「医者だからな」
騎士は立ち上がる。そしてローディンを見た。
「聖療院の先生」
「……なんだ」
「俺は、この医者に命を救われた」
ローディンは何も言わなかった。騎士たちが診療所を出ていく。最後にローディンだけが残った。
「闇医者」
「なんだ?」
「貴様は……あの術式を知っていたのか?」
「いや」
「なら、なぜ解除できた」
「俺が医者だからだ」
ローディンはしばらく俺を睨んでいた。やがて、低い声で言った。
「聖療院は、貴様を見逃さない」
「好きにしろ」
「必ず後悔するぞ」
扉が閉まる。診療所に静寂が戻った。
ミアが恐る恐る口を開く。
「先生……」
「なんだ?」
「あの人たち、敵なんですか?」
俺は黒い金属片を見る。
「まだ分からない」
「じゃあ、どうするんですか?」
俺は金属片を握った。
「調べる」
そして、俺は初めて本気で興味を持った。俺の魂魔法は、誰にも教えていない。この魔法を使える人間は、世界に俺一人しかいないはずだった。
それなのに――誰かが、俺の魔法と同じ領域に手を伸ばしている。
「……誰が魂を弄っている?」
答えはまだ出ない。
だがその夜、王都の地下では、黒いローブを纏った男が一枚の紙を燃やしていた。
そこには、たった一つの名前が書かれていた。
男は紙が灰になるのを見届けると、静かに呟いた。
「見つかったか」
そして、地下深くにある巨大な魔法陣へ魔力を流した。
「ならば、予定を早める」
魔法陣の中心で、黒い光が脈動する。
その光の先には――王都に住む、数百人分の魂が繋がっていた。




