魂に流れ込むもの
「治療費は金貨千枚だ」
俺がそう告げると、青年は一瞬だけ言葉を失った。金貨千枚。一般的な平民なら、一生かけても手に入らない額だ。貴族であっても簡単に払える金額ではない。
それでも青年は、妹の眠る寝台を見つめてから、ゆっくりと頷いた。
「……払う。俺の家の財産を全部売ってでも払う」
「そうか」
「だから、頼む。妹を助けてくれ」
「分かった」
俺は寝台の横に立った。少女は十六、七歳くらいだろうか。顔色は悪く、呼吸も浅い。身体そのものに致命的な損傷はない。問題は魂だった。
「名前は?」
「エリナだ」
「年齢は?」
「十七だ」
「最後に意識があったのは?」
「三日前だ。それからずっと、この状態だ」
俺は少女の顔を見下ろした。
三日前。普通の医者なら、すでに手の施しようがないと判断する頃だろう。だが、俺にとって重要なのは意識の有無ではない。魂が残っているかどうかだ。
「まず、説明しておく」
青年へ視線を向ける。
「これから妹の魂を抜く」
「……ああ」
「その瞬間、妹の身体は死ぬ」
青年の顔が強張った。
「だが、魂が残っている限り、俺は新しい身体を作れる。身体を作ったら、そこへ魂を戻す」
「それで……妹は?」
「目を覚ます」
「本当に?」
「俺はできないことをできるとは言わない」
青年は唇を噛みしめた。
「……頼む」
俺は少女の胸元へ手をかざした。
「《魂魄離脱》」
淡い光が少女の身体を包む。次の瞬間、少女の身体から魂が抜け出した。肉体から生命が失われる。心臓が止まり、呼吸も止まる。青年が息を呑んだ。
「……死んだ」
「そうだ」
俺は冷静に答えた。
「今、妹は死んでいる」
魂は目の前に存在している。だが、そこに意思のある声はない。会話もできない。ただ、人間一人分の記憶と人格、そして身体に関する膨大な情報が、ひとつの魂として存在している。
俺はそれを魔力で解析した。そして、すぐに異常を見つけた。
「なるほど」
「どうした?」
「やはり同じだ」
魂の一部に、黒い亀裂が走っている。そこから何かが流れ込んでいた。
魔力。いや、単純な魔力ではない。魂そのものを書き換えるための魔力だ。俺は昨日、ヴァルドから受け取った黒い金属片を思い出した。あれと同じ波長。
「……同じ術式か」
黒い金属片に残っていた魔力。少女の魂へ流れ込んでいる魔力。完全に一致している。偶然ではない。
「……妹は治るのか?」
青年の声に、俺は答えなかった。代わりに魂の亀裂を詳しく調べる。亀裂は、自然に生じたものではない。誰かに意図的に開けられている。そして、そこへ外部から魔力を送り込まれている。
目的は――魂の改変。
「これは病気じゃない」
「……え?」
「誰かが妹の魂に細工している」
青年の顔から血の気が引いた。
「細工……?」
「ああ」
俺は魂をさらに解析する。記憶には大きな欠落があった。三日前より前の記憶は正常。しかし、その直前に何があったのかだけが不自然に抜け落ちている。記憶そのものが消されたというより、魂の一部が削り取られている。そして、その欠損部分から黒い魔力が入り込んでいた。
「このままでは、魂そのものが壊れる」
「どれくらいだ?」
「早ければ今日中だ」
「そんな……」
「だから先に魂を治す」
俺は手を伸ばした。
「身体を作るのは、その後だ」
俺の魂魔法は、身体を作り直すだけの魔法ではない。魂に刻まれた情報を読む。壊れた情報を修復する。それができなければ、どれだけ完璧な身体を作ったところで意味がない。
病気なら病気の情報を取り除く。毒なら毒を除去する。そして今回は――他人によって書き込まれた情報を消す。
「《魂魄修復》」
魔力を流す。魂の亀裂が淡く輝いた。同時に、黒い魔力が抵抗する。まるで魂に根を張っているようだった。
「……面倒だな」
俺は魔力の出力を上げた。黒い魔力を無理に引き剥がせば、魂そのものまで壊れる。慎重に、一本ずつ糸をほどくように取り除いていく。
一時間。
二時間。
三時間。
その間、青年は一言も発しなかった。
やがて最後の黒い魔力が消えた。俺は息を吐く。
「終わった」
少女の魂には、まだ欠損が残っている。だが、それは修復できる。記憶の前後関係。脳の構造。神経の接続。筋肉の付き方。血管の位置。内臓の状態。
魂に残された情報を読み取り、欠けた部分を補っていく。
「次は身体だ」
俺は魂を保存したまま、死んだ少女の身体を見た。
三日前から眠り続けていた身体。一見すると、生き返らせてそのまま使えそうにも見える。だが、それはしない。一度死んだ身体は捨てる。俺が必要としているのは、魂に記録された本来の身体情報だけだ。
「《身体構築》」
魔力が集まる。骨が形成される。その周囲に筋肉が生まれる。血管が伸び、神経が組み上がる。
心臓が作られ、肺が形成され、肝臓、腎臓、胃、腸――人間の身体を構成する全てが、魂の情報を基準として一から再構築されていく。
青年は、その光景をただ見つめていた。やがて、寝台の上に一人の少女が完成した。外見は、元の身体とほとんど変わらない。
当然だ。同じ魂から身体を作ったのだから。
「最後だ」
俺は魂を新しい身体へ重ねた。
「《魂魄定着》」
光が弾ける。魂が身体へ入り込んでいく。心臓が動いた。肺が膨らむ。血液が全身を巡る。
そして――少女の瞼が震えた。
「……ん」
ゆっくりと目が開く。
「ここ……どこ……?」
青年が椅子から立ち上がった。
「エリナ!」
「……お兄ちゃん?」
「エリナ!」
青年は妹の手を握った。少女は困惑したように兄を見つめる。
「私……どうしたの?」
「お前は……」
青年の声が震える。
「死んだんだ」
「え?」
「一度、死んだ」
少女は意味が分からないという顔をした。
当然だ。魂を抜かれている間、本人に意識はない。死んだ身体を捨てられ、新しい身体を作られたことも知らない。
「……夢を見てた気がする」
「どんな夢だ?」
「分からない。何も覚えてない」
俺は少女の魂を確認する。問題ない。記憶も人格も正常だ。魂と身体の定着にも異常はない。
「治療は終わりだ」
俺は青年へ告げた。青年は何度も妹の名前を呼んでいる。
そしてしばらくして、俺へ向き直った。
「……ありがとう」
「礼はいらない、対価さえもらえれば」
「金貨千枚だな」
「ああ」
青年は懐から契約書を取り出した。
「必ず払う」
「なら、それでいい」
俺は契約書を受け取った。青年と少女が診療所を出ていく。扉が閉まった。
俺は黒い金属片を机の上に置く。そして、少女の魂から取り除いた黒い魔力の残滓を思い出した。
ヴァルドの眼を斬った武器。七人を襲い、六人を殺した何者か。そして今回の少女。
偶然ではない。誰かが、人間の魂を狙っている。しかも――ただ殺しているわけではない。魂に何かを仕込んでいる。
「……面白くなってきたな」
そのときだった。診療所の扉が、激しく叩かれた。
「先生!」
ミアの声だった。俺は扉を開ける。そこには息を切らしたミアが立っていた。
「どうした?」
「外に……王国騎士が来ています」
「騎士?」
「はい。それも、普通の騎士じゃありません」
ミアが震える声で続ける。
「聖療院の人たちも一緒です」
俺は机の上の黒い金属片を見る。どうやら、向こうから来てくれたらしい。
「何人いる?」
「……十人以上です」
「そうか」
俺は立ち上がった。
「なら、診察を始めるか」
「え?」
「患者かもしれないだろ」
ミアが呆然とする。その直後、診療所の扉が外から開かれた。
「闇医者!」
鎧を着た男が怒鳴る。
「王国騎士団の命令だ! 貴様を禁忌魔法使用の容疑で拘束する!」
俺は男の顔を見る。そして、その魂を視た。
「……なるほど」
俺の目に映ったのは――
騎士の魂に刻まれた、見覚えのある黒い亀裂だった。




