魂を斬る剣
「魂を斬る武器?」
ミアが掃除の手を止めた。
「そんなもの、あるんですか?」
「ある」
俺は患者の右目を診察しながら答えた。
男は診察台に座っている。右目は潰れている。だが、普通の失明とは違う。眼球だけではなく、その奥にある神経まで完全に破壊されている。そして、その傷は魂にまで達していた。
「名前は?」
「ヴァルド。冒険者だ」
「冒険者にしては、ずいぶん高そうな服を着ているな」
黒い外套。質のいい革靴。腰の剣も安物ではない。それに何より、机の上には金貨五百枚。普通の冒険者が簡単に用意できる金額ではない。
「余計なことは聞かないでくれ」
「別に興味はない」
俺はヴァルドの右目に手をかざした。
「重要なのは、お前が何者かではなく、何に斬られたかだ」
「……それを聞いてどうする?」
「治療方法が変わる」
俺は魔力を流す。
右目の傷を調べる。眼球。視神経。脳。そこまでは普通の怪我と変わらない。だが、その先。魂にまで伸びた傷が問題だった。
「なるほど」
「何が分かった?」
「お前の右目は、眼球そのものを失ったわけじゃない」
「……?」
「正確には、視覚を認識するための魂の構造が破壊されている」
ヴァルドが黙る。
「つまり、目を作り直すだけでは見えるようにならない」
「じゃあ、治せないのか?」
「逆だ」
俺は答えた。
「普通の医者なら治せないが、俺なら治せる」
ヴァルドの表情がわずかに緩む。
「本当に?」
「ああ」
俺は診察台の横に立った。
「ただし、先に魂を抜く」
ヴァルドが黙った。
「……分かった」
「怖くないのか?」
「怖いさ」
意外な答えだった。
「だが、見えるようになるならやる」
「そうか」
俺は手を伸ばす。
「では始める」
「待て」
「なんだ?」
「一つだけ確認したい」
ヴァルドは俺を見る。
「魂を抜かれたら、本当に死ぬんだな?」
「ああ」
「そして、その間のことは何も覚えていない」
「ああ」
「……分かった」
ヴァルドは目を閉じた。俺は胸に手を置く。
「《魂魄離脱》」
魔力が流れる。魂が肉体から抜け出した。その瞬間、ヴァルドの身体は死んだ。呼吸が止まる。心臓も止まる。俺は魂だけになったヴァルドを目の前に浮かべる。
魂は何も話さない。何も動かない。ただ静かに存在している。俺はその魂を調べる。
「……酷いな」
魂の右側。そこには、まるで刃物で斬り裂いたような傷があった。
通常、魂は簡単には傷つかない。魔法や物理的な攻撃では、肉体に傷がつくだけだ。魂に直接干渉するには、特殊な力が必要になる。
「これを使ったのか」
俺はヴァルドの魂を調べる。魂の傷には、微かな魔力が残っている。独特の波長。俺は記憶しておく。誰が使ったのかは分からない。だが、同じ武器で傷つけられた人間が来れば判別できる。
そして俺は、魂の傷を修復し始めた。裂けた部分を繋ぐ。欠損した部分を補う。壊れた視覚情報を再構築する。
だが、ここで一つ問題があった。魂に残っている肉体情報そのものが壊れている。右目に関する情報の一部が欠損しているのだ。
俺は眉をひそめる。
「面倒だな」
肉体を作るだけなら簡単だ。魂に保存された情報をそのまま再現すればいい。しかし今回は、その設計図自体が破壊されている。それなら別の情報から補うしかない。
俺は左目の情報を調べる。左右の目は完全に同じではない。だが、基本構造は同じだ。そこから右目を再構築する。さらに脳に残った視覚情報。神経の構造。血管の配置。過去の肉体情報。
それらを組み合わせて、失われた右目を再設計する。
「これでいい」
俺は魂の傷を完全に塞いだ。次に肉体を作る。まず骨格。次に筋肉。内臓。血管。神経。そして脳。最後に右目。眼球が形成される。視神経が伸びる。脳へ接続する。
だが、そこで手を止めた。
「……違うな」
一度作った視神経を消す。
もう一度。今度は魂の情報に合わせて接続する。
「これでいい」
肉体が完成した。俺は全身を確認する。問題ない。右目も存在している。俺は魂を肉体へ重ねた。
「《魂魄定着》」
魂が身体へ吸い込まれる。しばらくしてヴァルドの胸が上下した。
「……」
心臓が動く。呼吸が戻る。ヴァルドが目を開けた。
「ここは……」
「診療所だ」
「俺は……治療を?」
「ああ」
ヴァルドはゆっくりと起き上がる。そして右目を押さえた。
「……見える」
「そうか」
「見えるぞ」
ヴァルドは周囲を見回す。何度も瞬きをする。
「本当に……見える」
俺は診察を続ける。
「視力は?」
「問題ない」
「二重に見えないか?」
「ない」
「光が眩しくないか?」
「少し眩しい」
「しばらくすれば慣れる」
ヴァルドは右目を何度も動かした。やがて俺を見る。
「……ありがとう」
「治療費を払え」
「そうだったな」
ヴァルドは苦笑した。
「五百枚だったな」
「そうだ」
「高い」
「払わないつもりか?」
「いや、払う」
ヴァルドは机の上に金貨を並べた。五百枚。
「確かに」
俺は金貨を確認する。
「治療は終了だ」
ヴァルドは立ち上がった。だが、すぐには帰らなかった。
「先生」
「なんだ?」
「俺の目を斬った武器について、何か分かったか?」
「魂を傷つける武器だ」
「やはりそうか」
ヴァルドは黙った。そして外套の内側から、一枚の黒い金属片を取り出した。机の上に置く。
「これを見てくれ」
俺は金属片を手に取った。冷たい。魔力を流す。
「……」
微かな反応。魂に干渉する性質がある。
「これは?」
「剣の破片だ」
「誰に斬られた?」
「それは言えない」
「なら聞かない」
俺は金属片を返そうとした。
だが。
「一つだけ忠告しておく」
ヴァルドが言った。
「何だ?」
「俺を斬った奴は、俺だけを狙ったわけじゃない」
「……」
「同じ傷を負った人間が、他にもいる」
俺は金属片を見る。
「何人だ?」
「確認できただけで七人」
「全員、生きているのか?」
ヴァルドは首を横に振った。
「俺以外の六人は死んだ」
「魂は?」
ヴァルドは黙った。
「……分からない」
俺は金属片を机に置いた。
魂を斬る武器。同じ傷を負った人間が七人。六人は死亡。そして、この男だけが生き残った。偶然とは思えない。
「その武器を使った奴は、何を目的にしている?」
「それも分からない」
「そうか」
俺は興味を失った。
「なら帰れ」
「……あんた、本当に興味がないんだな」
「俺は医者だ」
「闇医者だろ」
「どちらでもいい」
俺は金貨をしまう。
「患者が治れば、それでいい」
ヴァルドは苦笑した。
「変な医者だな」
「よく言われる」
「それじゃあな」
ヴァルドが診療所を出ていった。俺は金属片を見つめる。
魂を斬る武器。俺はこれまで、魂を傷つける魔法や武器を見たことがなかった。少なくとも、この国では。
「……嫌な予感がするな」
「先生」
ミアが声をかけてきた。
「なんだ?」
「今の人、強そうでしたね」
「ああ」
「何者なんでしょう?」
「知らない」
「金貨五百枚も払ってましたよ」
「そうだな」
「私、先生の治療費って本当にそんなに高いんだって、改めて思いました」
「不満か?」
「いえ」
ミアは首を振った。
「お母さんを治してもらったので」
「ならいい」
俺は金貨を数える。五百枚。これだけあれば、しばらくは診療所を維持できる。
だが、その日の夕方。再び扉が叩かれた。
「先生!」
ミアが開ける。そこに立っていたのは、見知らぬ青年だった。
「患者ですか?」
「そうだ」
青年は息を切らしている。
「頼む……助けてくれ」
「どこが悪い?」
「俺じゃない」
青年は背後を振り返る。
「妹だ」
二人の男が、少女を抱えて入ってきた。少女は眠っている。いや。違う。俺は一目見て気づいた。眠っているように見えるだけだ。
「ベッドへ」
少女を診察台へ寝かせる。俺は胸に手を当てた。心臓は動いている。呼吸もある。だが、意識がない。
「いつからだ?」
「三日前からです」
「原因は?」
「分かりません」
俺は魂を診る。そして。
「……これは」
少女の魂が、異常な状態になっていた。魂の一部が欠けている。それだけではない。欠けた部分の奥から、見たことのない魔力が流れ込んでいる。
俺は眉をひそめた。
「誰かに魂を抜かれたな」
青年が青ざめた。
「……分かるんですか?」
「ああ」
「治せますか?」
俺は少女の魂を見つめる。
「分からない」
初めて。俺はそう答えた。魂を治療することはできる。肉体を再構築することもできる。
だが。魂そのものが欠けている患者を治療した経験はない。
そして、その欠けた魂の向こう側から流れ込んでいる魔力。その波長には、覚えがあった。
数時間前。ヴァルドが持ってきた黒い金属片。あれと同じだ。
「……なるほど」
俺は立ち上がった。
「どうしました?」
「治療費は金貨千枚だ」
青年が絶句する。
「せ、千枚……?」
「ああ」
「そんな金……」
「払えないなら帰れ」
青年は唇を噛んだ。そして少女を見る。
「……払います」
「どうやって?」
「何でもします」
「そうか」
俺は診察台を見る。
「なら、妹を救うために何でもしろ」
俺は少女の魂へ手を伸ばした。
「こいつは少し厄介だ」
その瞬間。少女の魂の奥で、何かが動いた。まるで。こちらを見ているかのように。俺は初めて、魂魔法では説明できない異常を目にした。
そして。この患者を治すことが、俺自身の過去を掘り起こすことになるとは、この時の俺はまだ知らなかった。




