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闇医者の俺、魂を抜いて身体を作り直します  作者: 大豆


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三十二万の魂

空が、落ちてきた。そう錯覚するほどの数だった。

三十二万八千四百十二。この国に生きる人間、その多くの魂が、空に開いた裂け目から流れ出している。


川ではない。濁流でもない。もっと静かで、もっと恐ろしい。

無数の魂が、光の粒となって空を埋め尽くし、一本の巨大な流れとなって俺へ向かっていた。


「……そういうことか」


俺は空を見上げたまま呟いた。白髪の研究者が震えている。


「何を……理解した?」


「この国を門にした理由だ」


俺は自分の手を見た。指先に、ひとつの魂が触れる。その瞬間、頭の中に情報が流れ込んできた。

骨格。筋肉。内臓。血管。神経。そして、魂に刻まれた異常。

黒い染みがある。ごく小さなものだ。


別の魂が触れる。また黒い染み。

さらに別の魂。今度は黒い糸が心臓付近に絡みついている。


またひとつ。またひとつ。同じだった。

三十二万八千四百十二の魂、そのすべてに異常がある。


「……全員、患者か」


背後からリゼの声がした。


「そうみたい」


彼女は俺の隣に立っていた。空を見上げながら、静かに息を呑む。


「先生。これ……全部、治すの?」


「治す」


即答だった。研究者が目を見開く。


「三十二万人だぞ!」


「だから何だ」


「一人ずつ診るつもりか!?」


「そうだ」


「不可能だ!」


「俺ができないと思う理由は?」


研究者は言葉を失った。

俺は再び空を見上げる。三十二万を超える魂。以前なら、途方もない数に見えただろう。だが、魂魔法を知っている今なら分かる。魂は人間そのものではない。


魂には、その人間が生きてきた結果が刻まれている。

身体の情報。傷。病気。毒。呪い。記憶。そして、生きようとした痕跡。


ならばやることは変わらない。患者が一人なら、一人を診る。百人なら百人。三十二万人なら、三十二万人を診る。


「《魂魄診断》」


世界が変わった。空を埋め尽くしていた魂が、無数の情報へと分解されていく。

黒。白。赤。青。無色。

それぞれの魂に刻まれた異常が、俺には見えた。


「……やはりな」


異常は一種類ではなかった。

病気。毒。呪い。魔力障害。魂の欠損。そして――ネットワークへの接続。

全員が同じ黒い線で繋がれている。その線は魂の奥深くに入り込み、意識や生命力を少しずつ吸い上げていた。


「これを切ればいい」


俺は右手を上げた。


「《魂魄分離》」


空中に浮かんでいた魂のひとつが、黒い線から外れた。その瞬間、ひとつの魂が俺の手のひらへ落ちてくる。何も喋らない。何も反応しない。ただ、そこに存在している。俺はその魂を診た。異常箇所を確認する。

黒い染みをひとつ。細い鎖を三本。魂の一部に軽度の損傷。


「治療する」


指先を動かす。黒い染みを取り除く。鎖を断つ。損傷した部分を繋ぐ。そして、魂の情報を確認する。問題なし。


「《身体構築》」


光が集まり、一人の人間の身体が形作られていく。

骨。筋肉。臓器。血管。神経。皮膚。完全に同じ身体を作る。最後に魂を重ねる。


「《魂魄定着》」


身体が小さく震えた。胸が上下する。心臓が動き出す。

一人。治療完了。


俺は次の魂へ手を伸ばした。

その瞬間だった。


「待て」


空から声が落ちてきた。俺と同じ顔をした男。あの存在が、空中に立っていた。


「なぜ続ける?」


「患者が残っている」


「違う」


男は首を横に振った。


「それは患者ではない」


「なら何だ?」


「材料だ」


俺の目が細くなる。男は笑った。


「三十二万八千四百十二の魂。それを一つに集めれば、死という概念そのものを超えられる」


「興味がない」


「なぜだ?」


「人間を一つにして何になる」


男の表情から笑みが消えた。


「全員を救える」


「救う?」


俺は鼻で笑った。


「一つになったら、誰が誰を救ったんだ?」


男は答えなかった。


「お前は勘違いしている」


俺は空を見上げた。


「俺が求めていたのは、死なない人間じゃない」


「……」


「死にそうな人間を、死なせないことだ」


男の瞳が揺れた。


「それが同じことだと思っていた」


俺は続ける。


「昔の俺はな」


リゼが隣で黙って俺を見ている。


「だから、全部を一つにしようとした」


「そうだ」


男が答える。


「それが最も合理的だからだ」


「違う」


俺は首を横に振った。


「医者は合理性だけで患者を診ない」


「では何を見る?」


「その人間を見る」


男は黙った。


俺は次の魂を取った。


「この魂には肺に病変がある」


また一つ。


「こっちは毒」


また一つ。


「こいつは呪い」


また一つ。


「この人間は魂そのものが少し欠けている」


俺の手が止まらない。


「全員違う」


「だから何だ」


「治療方法も違う」


黒い線から魂を切り離す。

診断する。修復する。身体を作る。魂を戻す。

また一人。また一人。治療が続いていく。


だが、三十二万人分の魂は、あまりにも多い。俺の魔力が削られていく。指先が震える。視界が滲む。呼吸が浅くなる。それでも止めない。


「先生!」


リゼが声を上げた。


「無理をしたら……!」


「無理はしていない」


「でも!」


「医者が患者を前にして疲れたから休むのか?」


「……」


「違うだろ」


俺は次の魂へ手を伸ばした。

そのとき、空中にいた男が、ゆっくりと右手を掲げた。

世界が揺れた。


「ならば、すべてを救うために必要なものを与えよう」


黒い線が一斉に動いた。空を埋め尽くしていた魂が、再び一つの巨大な塊へと集まり始める。


「やめろ」


俺は低く言った。


「これ以上、魂をまとめるな」


「なぜだ?」


「治療できなくなる」


「ならば治療する必要がなくなる」


巨大な魂の塊が、ゆっくりと人の形へ変わっていく。

三十二万人分の情報。三十二万人分の身体情報。三十二万人分の記憶。三十二万人分の生命。

それらすべてが一つに混ざり合っていく。


「これが完成形だ」


男が言った。


「一人の人間に、すべての人間を収める」


巨大な存在が姿を現した。

それは人間に似ていた。しかし、人間ではなかった。

無数の腕。無数の目。無数の口。そして、その中心に俺と同じ顔。


「これなら死者すら蘇らせられる」


男は静かに言った。


「誰一人として失わない」


俺はその存在を見つめた。そして、初めて少しだけ迷った。

確かに、それなら死はなくなる。病気もなくなる。肉体が壊れても、一つの巨大な魂がすべてを維持するなら、誰も死なない。


理屈だけなら完璧だ。

けれど、俺には分かる。これは治療ではない。


「……お前は」


俺は男を見た。


「まだ俺のことを何も理解していない」


「何?」


「俺は、死を克服したかったんじゃない」


俺は手を握る。


「リゼを救いたかっただけだ」


その言葉に、男の顔が初めて歪んだ。


「……違う」


「何が違う」


「お前はもっと大きな目的を持っていた」


「それは忘れていた」


「思い出したはずだ」


「ああ」


俺は頷いた。


「だからこそ、分かった」


一歩、前へ出る。


「俺は間違えた」


男が目を見開いた。


「魂を一つにすることは、人間を救うことじゃない」


俺は巨大な魂の塊を睨みつける。


「それは、人間を消すことだ」


その瞬間、巨大な存在のすべての目が開いた。

そして、初めて、俺と同じ顔をした男が怯えたような表情を浮かべた。


「ならば……」


男が呟く。


「お前は、何をする?」


俺は右手を掲げた。

魂魔法を使う。これまでとは違う。一人を救うためではない。三十二万人を救うためでもない。そのすべてを、もう一度「一人」に戻すために。


「決まっている」


俺は巨大な魂へ向けて手を伸ばした。


「分離する」


魂の中心に、亀裂が走った。

三十二万八千四百十二。そのすべての魂が、一斉に光った。

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