王の魂
王城にある魂が、異常なほど大きい。
俺は地下施設から地上へ戻る階段を歩きながら、王都全体へ意識を広げていた。
数十万。王都に暮らす人間の魂が、ぼんやりと浮かび上がる。その一つ一つに黒い線が絡みついている。
魂の網。地下施設を破壊したことで大部分は機能を失ったが、完全には消えていない。むしろ、今まで見えなかったものが見えるようになっていた。
「先生」
ミアが隣を歩いている。
「王城に何があるんですか?」
「患者がいる」
「患者……ですか?」
「ああ」
「でも、王様ですよね?」
「だから何だ?」
「いえ……」
ミアは少し困ったように黙った。
俺にとって王も平民も同じ患者だ。身分は治療の難易度に関係しない。ただし、料金には関係する。王族なら、それ相応の金額を請求するつもりだった。
「お前はここで待っていろ」
俺はミアを見る。
「嫌です」
即答だった。
「危険だ」
「先生が行くなら、私も行きます」
「足手まといになる」
「分かっています」
「なら――」
「でも、先生が一人で無茶をするのも分かっています」
俺は黙った。ヴァルドが横で小さく笑う。
「その娘には勝てないな」
「……そうらしい」
俺たちは王城へ向かった。だが、城門へ近づいたところで異変に気づく。兵士がいない。正確には、倒れている。
「魂が……」
ヴァルドが目を見開く。
俺には見えている。兵士たちの魂には、黒い亀裂が走っていた。まだ死んではいない。だが、魂の一部が術式に接続されている。
「全員、動くな」
俺は魔力を広げた。
「ここから先は俺が治療する」
「一人で?」
「三十七人だ」
俺は兵士たちの魂を同時に解析する。
「同時にやる」
ヴァルドが息を呑む。
「そんなことができるのか?」
「できる」
俺は右手を上げた。
「《魂魄分離》」
三十七人の魂から、黒い線が一斉に切り離される。兵士たちの身体が一度大きく痙攣した。だが、死なない。俺はそのまま魂を確認する。
大半は軽傷。一人だけ深い損傷がある。
「こいつだけ先に治す」
俺は兵士の魂を取り出した。黒い亀裂が、心臓に相当する部分まで伸びている。
「かなり進行しているな」
「治せるのか?」
ヴァルドが聞く。
「まだ壊れていない」
俺は亀裂を一つずつ修復する。黒い魔力を除去する。そして魂を身体へ戻す。
「《魂魄定着》」
兵士が目を開いた。
「……ここは?」
「王城の門前だ」
「何が……」
「寝ていろ」
兵士は再び意識を失った。俺は残りの兵士たちも処置する。
数分後。全員の魂から黒い線が消えた。
「行くぞ」
王城の中へ入る。廊下には誰もいない。
いや。いる。倒れている者が多すぎる。
侍女。兵士。文官。貴族。全員の魂に同じ傷がある。
「王都中を繋いでいるのか」
ヴァルドが呟く。
「違う」
俺は首を振った。
「王都は末端だ」
「末端?」
「ああ」
俺は王城の奥を見る。
「この国そのものを術式にしている」
王城の中心。そこから巨大な魂の流れが伸びている。
王都。周辺都市。国境。さらに遠く、この国の外にまで続いている。
そして、その中心にいるのが――王だった。
「急ぐぞ」
俺たちは謁見の間へ向かった。扉を開ける。王座に、一人の男が座っていた。
年齢は五十前後。豪華な衣装を身につけている。だが、その身体はほとんど動いていない。
「……遅かったな」
王が言った。
「俺を知っているのか?」
「知っているとも」
王は笑った。
「お前が来るのを待っていた」
俺は王の魂を見る。その瞬間、異常の正体が分かった。
「お前……」
王の魂は巨大だった。だが、それは本人の魂ではない。無数の魂が王の魂へ接続されている。王自身の魂は、その中心で小さく震えている。まるで巨大な海の中に浮かぶ小舟だった。
「どういう状態だ?」
ヴァルドが尋ねる。
「王が術式の核になっている」
俺は答えた。
「この国にいる人間の魂を集めている」
王が苦笑する。
「その通りだ」
「なぜだ?」
「生きるためだ」
俺は黙った。王は続ける。
「私は十年前、病に倒れた」
「病名は?」
「治癒魔法でも治せない病だった」
俺は王の魂を見る。確かに病巣がある。だが、それだけではない。
「その病気を治すために魂の研究を始めた?」
「ああ」
「そして、あいつらに利用された」
王の表情が変わった。
「……あいつら?」
「魂を集めている連中だ」
「知らぬ」
「嘘だ」
「本当に知らぬ!」
王の声が響く。俺は王の魂を見る。嘘ではない。少なくとも本人には本当に分かっていない。
「……操られているな」
「何?」
王の魂の奥。そこに小さな黒い魔法陣がある。これまで見たものとは違う。命令を送るものでもない。魂を媒介として、他人の意思を王へ流し込む術式。
「王自身の意思と、他人の意思が混ざっている」
「では、私は……」
「自分が何をしているのか、完全には理解できていない」
王が青ざめた。
「私は国民を殺していたのか?」
「まだ殺してはいない」
「……まだ?」
「この術式は魂を消費している」
俺は王の魂を見る。
「あと数日もすれば、国民の魂は回復不能になる」
王が立ち上がろうとする。だが、身体が動かない。
「止めろ」
「治療する」
「今すぐ止めてくれ!」
「だから治療すると言っている」
俺は王の前へ歩く。
「ただし、問題が一つある」
「何だ?」
「お前の魂を治すには、他の魂を一度全部切り離す必要がある」
王の顔が強張る。
「切り離したらどうなる?」
「一時的に術式が崩壊する」
「国民は?」
「俺が一人ずつ治す」
「何人いると思っている?」
「治療が必要なのは三十二万八千四百十二人だな」
ヴァルドが絶句した。ミアも言葉を失っている。
王だけが俺を見つめていた。
「……できるのか?」
「できる」
「何日かかる?」
「分からない」
「それでも?」
「ああ」
王はしばらく黙った。やがて、ゆっくりと王座へ腰を下ろした。
「頼む」
俺は頷いた。
「分かった」
そのときだった。謁見の間の天井から、黒い光が落ちてきた。床に巨大な魔法陣が浮かび上がる。
「遅かったな」
聞き覚えのある声。
俺は顔を上げた。そこに、白髪の老人が立っていた。地下施設にいた研究者。
「どうやってここへ?」
「私は研究者だ」
老人が笑う。
「逃げ道くらい用意してある」
「お前は何をした?」
「何もしていない」
老人は王を見る。
「すべては予定通りだ」
「何?」
王の魂に刻まれた黒い魔法陣が光る。俺はすぐに手を伸ばした。
「まずい」
「先生?」
「王の魂が――」
黒い魔法陣が砕ける。
その瞬間、王の魂から、巨大な黒い柱が伸びた。
王都の空へ。さらにその先へ。遠く離れた場所にある無数の魂と繋がっていく。
「始まった」
老人が呟く。
「これで、王国全体が一つの魂になる」
「そんなものを作って、何をする?」
「門を開く」
「もう開いただろう」
「違う」
老人が笑った。
「前の門は試作品だ」
俺は目を細める。
「本物は?」
老人が王を見る。
「この国そのものだ」
その瞬間、王城の外で、巨大な鐘が鳴り響いた。
一度。二度。三度。
王都中の魂が、一斉に黒く染まっていく。
俺は王の魂を見る。そして理解した。今までの事件は、すべて前段階だった。
本当に治療すべき患者は――王一人ではない。
この国そのものだった。
「……面倒な患者だ」
俺は魔力を解放する。
「だが、治せないとは言っていない」
老人が笑った。
「ならば、治してみろ」
王城の上空で、空そのものが裂けた。その向こうから、巨大な眼が開く。
そして今度は、俺の顔ではなく――王都に住む全員の顔が、同時に浮かび上がった。




