もう1人の俺
門の向こうから、俺と同じ顔をした存在がこちらへ手を伸ばしている。その姿を見ていると、妙な感覚があった。
敵意は感じない。殺意もない。ただ、こちらを観察している。
「お前は何者だ?」
『お前だ』
「その答えは聞き飽きた」
『ならば、別の答えをやろう』
巨大な魂が形を変える。無数の魂が剥がれ落ち、その中心から一人の男が現れた。
白い髪。黒い服。そして、俺と同じ顔。ただし、今の俺より少し若い。
「……」
俺はその顔を見つめる。
記憶にある白い塔で見た男。俺と同じ魂魔法を使っていた男。だが、完全には一致しない。
「お前は、千年前の俺か?」
『違う』
男は答える。
『私は、お前が捨てたものだ』
「捨てた?」
『記憶だ』
俺は眉を寄せる。
『お前は魂魔法を完成させるため、自分自身の魂を分割した』
「……何?」
『知識、記憶、感情、経験』
男の姿が揺らぐ。
『必要なものをすべて保存した』
「保存した?」
『そうだ』
「どこに?」
男は自分の胸を指す。
『ここに』
俺は言葉を失った。
「つまり、お前は……」
『お前の魂から切り離された記憶だ』
俺は自分の魂を見る。確かに、何かが欠けている。だが、そんなことは今まで気づかなかった。
当然だ。欠けているものが何なのか、知らなかったのだから。
「なぜ、俺は自分の記憶を切り離した?」
『忘れるためだ』
「何を?」
男は答えなかった。
代わりに、門の向こうへ視線を向ける。そこに一つの魂が浮かんでいる。
リゼ。『彼女を救えなかったことを』
俺は拳を握った。
「だから記憶を捨てた?」
『違う』
男の声が低くなる。
『お前は、彼女を救う方法を探すために捨てた』
「……」
『失敗の記憶があると、冷静な判断ができないと考えた』
「俺らしいな」
『そして、お前は魂魔法を完成させた』
男が手を伸ばす。
『身体を完全に再構築する方法を』
『魂を修復する方法を』
『魂そのものを保存する方法を』
『そして、死者を蘇らせる方法を』
俺は黙って聞いていた。どれも、今の俺が使っている魔法だった。
「じゃあ、なぜ俺はそれを覚えていない?」
『最後の実験で、失敗したからだ』
男の姿が歪む。
『お前は魂魔法の完成直後、全ての記憶を自分の魂へ戻そうとした』
「それが失敗した?」
『違う』
「では?」
『お前は自分から拒絶した』
「俺が?」
『そうだ』
男が俺を見る。
『お前は記憶を戻せば、また同じことをする』
「……」
『だから記憶を封じた』
俺はしばらく何も言わなかった。ヴァルドもミアも、黙ってこちらを見ている。やがて俺は口を開いた。
「つまり、俺は自分自身に治療を施したのか」
『そうだ』
「記憶を病気と判断して」
『そうだ』
「……馬鹿だな」
男は笑った。
『ああ』
その笑い方まで、自分に似ていた。
「リゼは?」
俺が尋ねる。男の表情が消える。
『お前は彼女を救えなかった』
「本当に?」
『一度目は』
「一度目?」
男は門の奥を指差す。
『見ろ』
無数の魂が移動する。
その中から一つの魂がこちらへ近づいてくる。
リゼ。俺は息を止めた。彼女の魂には、千年前と変わらない身体情報が残っている。ただ、魂の一部が欠けている。
「……これなら」
俺は魔力を集中させる。
「治せる」
『本当にそう思うか?』
「思う」
『お前は昔もそう言った』
「今は違う」
『何が違う?』
「経験だ」
俺はリゼの魂を見る。
「昔の俺は、魂の欠損を治せなかった」
「だが今の俺は治せる」
『それだけか?』
「それで十分だ」
俺は魔力を伸ばす。
「医者は過去の失敗を言い訳にして治療をやめたりしない」
魂の欠損部分を解析する。欠けている情報は完全には残っていない。だが、周囲の情報から推測できる。
記憶。人格。身体情報。すべてを照合する。
「……少しずつだな」
俺は慎重に修復を始める。
「《魂魄修復》」
欠けた部分が埋まっていく。
だが、リゼの魂は拒絶した。
「……なるほど」
男が言う。
『無理だ』
「そうでもない」
『魂が千年間も保存されている』
「だから?」
『損傷している』
「知っている」
『ならば、無理だ』
「違う」
俺は魔力を弱める。そして、逆に魂の動きを止める。
「急いで治す必要はない」
『……』
「千年間待ったんだ」
俺はリゼの魂を見る。
「もう少しくらい待てるだろう」
俺は欠損部分を完全に修復するのではなく、まず魂そのものを安定させる。崩壊しないように固定する。それから少しずつ欠損を埋めていく。
一時間。二時間。三時間。地下室では、誰も口を開かなかった。
やがて――
「……できた」
リゼの魂が完全な形を取り戻した。
「先生」
ミアが呟く。
「成功したんですか?」
「ああ」
「じゃあ……」
「身体を作る」
俺は新しい身体を構築する。
すべてを魂に記録された情報から作り出す。
「《身体構築》」
白い光が集まり、人間の形になる。
少女。千年前と同じ姿。
最後に魂を定着させる。
「《魂魄定着》」
少女が目を開いた。
「……」
ゆっくりと呼吸する。俺は少女の脈を確認する。正常。呼吸も正常。魂の定着も問題ない。
「成功だ」
俺が言った。
少女は周囲を見回す。そして、俺を見る。
「……先生?」
その声を聞いた瞬間。
俺の頭の中で、何かが弾けた。
千年前の記憶。白い塔。血だらけの床。倒れている少女。
そして――俺は思い出した。
「リゼ……」
「はい」
少女が微笑む。
「お久しぶりです」
俺は言葉を失った。だが、再会を喜ぶ時間はなかった。門の向こうで、もう一人の俺が崩れ始めていた。
「おい」
『問題ない』
「何が起きている?」
『役目を終えただけだ』
「待て」
俺は手を伸ばす。
『私はお前の記憶だ』
「だから何だ」
『記憶は、いつか本人へ戻る』
男の身体が光になる。
『私を取り込め』
「……」
『そして、思い出せ』
光が俺の魂へ吸い込まれていく。
その瞬間。千年前のすべての記憶が戻ってきた。
俺は――なぜ魂魔法を作ったのか。なぜリゼを救おうとしたのか。なぜ記憶を捨てたのか。そして、なぜ俺が千年間、生き続けているのか。
すべてを思い出した。
俺は目を開く。門の向こうには、もう誰もいない。
ただ一つ。新しく作られた身体の中で、リゼが俺を見ている。
「……先生」
「何だ?」
「今度は、私が先生を治してあげます」
俺は一瞬だけ黙った。
「必要ない」
「そうですか?」
「ああ」
俺は自分の魂を見る。そして、その奥に刻まれた黒い傷を確認する。
「だが、少しだけ手伝ってもらう」
「何を?」
俺は門の残骸を見る。
「この世界には、まだ俺が作った魂の網が残っている」
「……」
「それを全部、終わらせる」
俺は立ち上がった。
「今度こそ、誰も道具にしない」
その瞬間、地下施設の外から、大鐘の音が響いた。
一度。二度。三度。
ヴァルドが地上への階段を見る。
「王都からだ」
「何かあった?」
「分からない」
俺は魔力を広げる。そして、王都全体の魂を確認した。無数の魂。その中に、一つだけ異常なものがある。
巨大な魂。しかも、その魂は――王城にいる。
「……次の患者が見つかったな」
俺はそう呟いた。




