救えなかった魂
『お前が、誰を救えなかったのかを』
その言葉が、頭の中に残っていた。
俺は門の向こうを睨む。無数の魂が漂っている。その中心にいる、俺と同じ顔をした存在。
「……お前は誰だ?」
『知っているはずだ』
「知らない」
『ならば、思い出せ』
「それができないから聞いている」
『違う』
巨大な魂が揺れる。
『お前は思い出したくないのだ』
その瞬間、頭の奥に激痛が走った。
「っ……」
視界が白くなる。また、記憶だ。
白い塔。崩れかけた研究室。床には無数の魔法陣。
そして――少女。
今度は、顔が見えた。長い髪。細い身体。泣き腫らした目。
俺は知っている。名前も知っている。
「……リゼ」
口から自然に名前が漏れた。
老人が息を呑む。
「その名前を……覚えていたのか」
「知っているのか?」
老人は答えない。
俺は老人の魂を覗き込む。そこに刻まれた記憶の一部が、今の言葉によって揺れている。
「……リゼは誰だ?」
老人は目を伏せた。
「最初の患者だ」
「患者?」
「ああ」
「俺が治療したのか?」
「そうだ」
老人の声が震える。
「お前が初めて魂魔法を使った相手だ」
俺は黙った。
魂魔法。身体を作り直し、魂を移す。それは今では俺にとって当たり前の技術だ。だが、最初から完成していたわけではない。
当然だ。魔法は誰かが作る。試行錯誤し、失敗し、改良する。
そして、その最初の患者が――リゼ。
「何の病気だった?」
老人はしばらく黙った。
「病気ではない」
「では?」
「死んでいた」
俺は眉を寄せた。
「死者か」
「正確には、死にかけていた」
老人は続ける。
「身体のほとんどが壊れていた。治癒魔法では間に合わない。お前は身体を作り直すことを考えた」
「そして魂を抜いた」
「ああ」
「成功した?」
老人は目を閉じた。
「……最初はな」
その言葉に、俺は違和感を覚えた。
「最初は?」
老人は答えない。
俺は門の向こうを見る。
無数の魂。その一つが、ほんの一瞬だけ強く輝いた。
俺はそこへ意識を向ける。
「……まさか」
「何だ?」
ヴァルドが尋ねる。
俺は答えず、門へ近づいた。
その魂を解析する。
身体情報。記憶。人格。すべてが残っている。
そして――名前。
「リゼ」
俺の声が震えた。
門の向こうにある魂の一つ。そこに、リゼの情報が残っている。
「なぜ……」
老人が呟いた。
「どうして、そこにいる?」
俺は振り返る。
「知っているのか?」
老人は青ざめた。
「私は……知らない」
「嘘だ」
「本当に知らない!」
「なら、お前の魂を調べる」
「やめろ!」
老人が叫ぶ。
だが、もう遅い。俺は老人の魂へ魔力を伸ばした。
記憶を読む。深く。さらに深く。
そして見つけた。千年前の記憶。白い塔。リゼ。そして俺。
俺は少女の魂を取り出していた。身体はすでに死んでいる。だが、魂は残っている。俺は新しい身体を作ろうとしていた。
ところが――途中で魔法陣が崩れた。
「……失敗した」
俺の記憶の中で、俺が呟く。
新しい身体は完成した。だが、魂が定着しない。何度試しても駄目だった。魂が身体から弾かれる。
『お願い……』
少女の魂が消えていく。俺は必死に魔力を注ぎ込んだ。
『死にたくない』
そして――
『もう一度、生きたい』
そこで記憶が途切れた。
俺は老人から手を離した。
「……失敗したのか」
老人は何も言わない。
「俺はリゼを救えなかった」
「そうだ」
「だから魂魔法を完成させた?」
「ああ」
「違う」
俺は首を振った。
「完成させたんじゃない」
俺は門を見る。
「完成させようとしたんだ」
老人が黙り込む。
「リゼを救うために」
そのときだった。門の向こうにあるリゼの魂が、淡く光った。
俺は手を伸ばす。
「リゼ」
返事はない。魂は何も語らない。それでも俺には分かる。この魂は、まだ壊れていない。
千年間、この門の中で保存されていた。
「待っていたのか」
俺は呟く。当然、答えはない。だが、俺は決めた。
「今度は失敗しない」
門の向こうへ手を伸ばす。だが、触れられない。門そのものが俺を拒絶している。
「先生、どうするんですか?」
ミアが尋ねる。
「門を壊す」
老人が叫んだ。
「待て!」
「何だ?」
「門を壊したら、向こう側の魂は戻ってこられない!」
「なら壊さない」
俺は魔法陣を見る。
「開いたまま、治療する」
「そんなこと……」
「できる」
俺は確信していた。
俺の魂魔法は、身体を作るためだけの魔法ではない。魂そのものを扱える。ならば、門も治療できる。
「まず、病巣を切除する」
俺は魔法陣へ手を伸ばした。黒い核。その周囲には、無数の魂が絡みついている。
「ここだ」
魔力を流す。一本。また一本。魂を傷つけないよう、慎重に術式を剥がしていく。
だが――黒い核が突然、俺の魂へ向かって伸びてきた。
「!」
黒い線が腕を伝い、身体の中へ入り込む。
ヴァルドが剣を構える。
「切る!」
「やめろ!」
俺は叫んだ。
「俺の魂に繋がっている!」
黒い線が魂へ到達する。そして、俺の魂の奥にある何かへ触れた。
次の瞬間、記憶が爆発した。
白い塔。リゼ。俺。そしてもう一人。俺と同じ顔をした男。
そいつが言っている。
『君は優しすぎる』
俺が答える。
『何がだ』
『全員を救おうとしている』
『医者だからな』
『だから、君には無理だ』
男が笑う。
『世界中の魂を救うことなどできない』
俺は答える。
『なら、できるようにする』
『そのために?』
『魂を繋ぐ』
そこで記憶が途切れた。
俺は息を呑んだ。
「……そういうことか」
この施設。魂のネットワーク。巨大な門。すべては、俺が始めた研究の延長だった。俺は世界中の魂を繋ぎ、一つの巨大な術式にしようとしていた。
一人も死なせないために。
だが、その研究は失敗した。
そして――誰かが、それを完成させようとしている。
「先生?」
ミアの声がする。
俺はゆっくり顔を上げた。
「この施設を作ったのは、あの老人じゃない」
老人が震える。
「……」
「俺だ」
地下室が静まり返る。
「千年前の俺が、この仕組みを作った」
ヴァルドが言葉を失う。
老人だけが、目を閉じた。
「ようやく思い出したか」
「まだ全部じゃない」
俺は門を見る。
「だが、分かったことはある」
黒い核が脈打つ。
「俺は昔、一人を救うために世界中の魂を繋ごうとした」
そして俺は、門の向こうにいるリゼを見る。
「今度は違う」
俺は魔力を集中させる。
「一人ずつ救う」
黒い核が砕けた。同時に、地下施設全体を覆っていた魔法陣が消えていく。無数の魂が自由になる。そして門の向こうから、巨大な何かがこちらへ近づいてきた。
俺はそれを見上げる。
「……まだ患者が一人残っているな」
門の向こう。無数の魂を従える、俺と同じ顔の存在。そいつがゆっくりと手を伸ばした。
『ならば、私を治してみろ』
俺はその手を見る。そして静かに答えた。
「患者なら、治す」
『たとえ、お前自身であっても?』
俺は一瞬だけ黙った。それから、魔力を最大まで引き上げた。
「当然だ」




