門の向こう側
門の向こうには、何もなかった。
いや。正確には、「何もない」という言葉すら正しくない。そこには空間がなかった。
上下もない。左右もない。遠近すら存在しない。ただ、無数の光が浮かんでいる。それぞれが淡い光を放ち、互いに重なりながら、どこまでも続いていた。
「……あれは」
ヴァルドが息を呑む。
俺にも分かる。あれが何なのか。
「魂だ」
門の向こうに浮かんでいるのは、すべて魂だった。
数千。いや、数万。これまでこの地下施設で集められていた魂とは比較にならない。
「こんな数……」
ヴァルドが後ずさる。
「世界中から集めていたのか」
「違う」
俺は門を見つめた。
「集めたんじゃない」
「じゃあ何だ?」
「繋いだんだ」
この門は、どこかへ繋がっている。魂が存在する場所へ。
生きている人間の魂。死者の魂。長い年月をかけて蓄積された魂。それらを無差別に接続し、一本の巨大な術式として利用している。
そして、その中心にいるのが――あの巨大な器だった。
「先生」
ミアが震える声で言った。
「門の中に……人がいます」
俺は目を細めた。
確かにいる。門の向こう。無数の魂の中に、一つだけ異質な魂があった。
巨大だ。他の魂を束ねるように存在している。
そして、その魂の形は――俺と同じだった。
「……またか」
俺は呟いた。
俺の顔。俺の身体。俺と同じ魂の形。ただし、あれは俺ではない。
「先生の……」
ミアが言葉を失う。俺は門へ手を伸ばした。
その瞬間、頭の中に映像が流れ込んできた。
白い塔。千年前と同じ光景。だが、今回は違う。俺に似た男が二人いる。一人は、魔法陣の前に立っている。もう一人は、その男に向かい合っている。
『これ以上はやめろ』
声が聞こえた。
『魂を器にするなんて、そんなものは人間じゃない』
『人間だよ』
『違う』
『魂が人間を決めるなら、器が何であろうと関係ない』
俺は息を止めた。二人とも、俺と同じ顔だった。
『身体は交換できる』
『魂も移せる』
『ならば、死など克服できる』
『それは不死ではない』
もう一人が答える。
『ただの永遠の逃避だ』
映像が途切れる。俺は目を閉じた。
「……そういうことか」
「何が分かった?」
ヴァルドが尋ねる。
「魂魔法は、最初から一つではなかった」
「どういう意味だ?」
「二人いた」
俺は門を見る。
「俺と同じ顔をした男が二人」
老人が震えた。
「……思い出したのか」
「まだ全部じゃない」
「だが、それで十分だ」
老人が苦笑する。
「やはり、お前は……」
「俺は何だ?」
老人は答えなかった。代わりに、巨大な器が動き始めた。
ドクン。心臓のような音が地下室に響く。
ドクン。二度目。三度目。そのたびに、周囲の魂が吸い寄せられていく。
「まずい!」
老人が叫んだ。
「器が起動する!」
「なら止める」
俺は巨大な器へ近づく。
「先生!」
ミアが叫んだ。
「危険です!」
「分かっている」
「でも――」
俺は振り返る。
「ここにいる全員を助ける」
ミアは何も言わなかった。
俺は再び器を見る。表面には無数の魔法陣が刻まれている。その中心に、一本の線がある。魂と器を繋ぐ線。
「これを切ればいい」
俺は手を伸ばす。
「《魂魄切断》」
魔法が発動した。だが――弾かれた。
「……なるほど」
俺は手を見る。
「俺の魔法を拒絶するように作られている」
老人が笑った。
「当然だ」
「何が当然だ?」
「その器は、お前の魂魔法を解析して作られた」
「だから?」
「お前自身を殺すためのものだ」
老人の言葉と同時に、器の表面が割れた。中から黒い腕が伸びる。
ヴァルドが剣を抜いた。
「下がれ!」
黒い腕が振り下ろされる。
ヴァルドが受け止めた。
轟音。床が大きく陥没する。
「ぐっ……!」
「ヴァルド!」
「問題ない!」
ヴァルドが剣を振る。黒い腕に深い傷が入る。
傷口から無数の魂が流れ出した。
「くそっ!」
「斬るな!」
俺が叫ぶ。
「中に魂がいる!」
「分かった!」
ヴァルドはすぐに距離を取る。
俺は黒い腕を見る。肉体ではない。魂を素材にした疑似生命体。しかも、一つの魂ではない。何百もの魂を無理やり繋ぎ合わせている。
「こんなものを……」
俺は呟く。
「人間と呼べるわけがない」
その瞬間。門の向こうから声がした。
『ならば、お前は何だ?』
俺は顔を上げた。声ではない。直接、魂へ響いている。
『お前も同じだ』
「違う」
『身体を捨てる』
「必要ならな」
『魂から身体を作る』
「患者を救うためだ」
『死者を蘇らせる』
「魂が残っているなら可能だ」
『ならば、お前も我々と同じだ』
「違う」
俺は即答した。
「俺は患者を道具にしない」
門の向こうの存在が沈黙する。
「お前たちは魂を集めた」
俺は巨大な器を見る。
「人間を材料にした」
そして門を見る。
「俺は違う」
「俺は一人ずつ治す」
その瞬間、門が大きく震えた。
無数の魂が一斉に揺れる。
「先生!」
ミアが叫ぶ。
俺は構わず魔法を発動する。
「《魂魄解析》」
巨大な器。門。魂のネットワーク。すべてを同時に解析する。
そして見つけた。たった一つ、この巨大な術式を支えている核。
「……あった」
俺は笑った。
「これなら治せる」
老人の顔が青ざめる。
「何を見つけた?」
「この術式の病巣だ」
「病巣?」
「そうだ」
俺は核へ向かって歩く。
「お前たちの研究は間違っている」
「何を……」
「魂を集めすぎた」
俺は手を伸ばす。
「だから、壊れた」
黒い核が脈打つ。その周囲には、無数の魂が絡みついている。まるで巨大な腫瘍だった。
「なら、切除する」
「待て!」
老人が叫ぶ。
「そこを切れば、門が消える!」
「そうだな」
「すべての魂が――」
「死ぬと思っているのか?」
俺は老人を見る。
「だから、治療するんだ」
俺の指先から魔力が伸びる。
一本。二本。三本。無数の魂を傷つけないよう、一本ずつ絡みついた術式を切り離していく。
時間がかかる。だが、確実だ。
そして最後の一本に触れた瞬間、俺の頭の中に、また記憶が流れ込んできた。
白い塔。二人の男。そして――その二人の間に立つ、一人の少女。
少女は泣いていた。
『お願い』
少女が言う。
『二人とも、やめて』
俺はその少女を知っている。名前まで思い出せる。
だが――その名前が出てこない。
記憶が黒く塗り潰されている。そして、映像の中の俺が少女へ手を伸ばす。
『大丈夫だ』
その声を聞いた瞬間、俺は理解した。
千年前、俺はこの魔法を使った。誰かを救うために。
そして、その結果――魂魔法は生まれた。
「……そうか」
俺は静かに呟く。
「俺は、最初から医者だったのか」
その瞬間、門の向こうにいた巨大な魂が、初めて明確な形を取った。
俺と同じ顔。そして、その口が動く。
『ならば思い出せ』
俺は目を細める。
『お前が、誰を救えなかったのかを』
地下室に、門の轟音が響き渡った。




