千人分の治療
「治療を始める」
俺がそう言った瞬間、地下室にいた老人の顔が引きつった。
「やめろ」
「断る」
「貴様には、この術式を止められない!」
「止める必要はない」
俺は巨大な魔法陣を見る。
「治療するだけだ」
「同じことだ!」
老人が叫ぶ。
「その術式は何十年もかけて完成させた!
何千人もの魂を使い、ようやくここまで――」
「何千人?」
俺は言葉を遮った。
「なら、時間がかかるな」
「……何?」
「全員救う」
老人は絶句した。
俺は魔法陣の前に立つ。
この術式は複雑だ。無数の魂が繋がっている。一本の線を切れば、別の魂へ負荷が流れる。無理に切れば、魂が壊れる。だから、一人ずつ切り離す。そして、その魂を修復する。
俺は最初の魂へ手を伸ばした。
「《魂魄分離》」
黒い線が一本、切れた。球体が淡く光る。中から一人の男の魂が現れた。
俺はすぐに解析する。肉体情報は残っている。記憶も大部分が残っている。ただし、長期間の拘束によって魂の一部が摩耗している。
「修復が必要だな」
俺は欠損部分へ魔力を流した。壊れた記憶を無理に復元するのではない。魂に残っている情報から、本来あるべき形を組み立てる。
「《魂魄修復》」
魂の亀裂が閉じていく。そして身体を作る。骨。筋肉。血管。内臓。神経。脳。最後に魂を定着させる。
「《魂魄定着》」
男が息を吸った。
「……ここは?」
「診療所ではないが、治療は終わった」
男は自分の手を見る。
「俺は……死んだのか?」
「一度な」
「そうか」
男は呆然とした。
「……生きているのか?」
「ああ」
男は泣いた。俺はそれを気にせず、次の魂へ手を伸ばした。
二人目。三人目。四人目。作業を続ける。
一人を治療するのに数分。単純計算でも数千人なら何日もかかる。だが、問題は時間ではなかった。
「……魂が減っている」
ヴァルドが言った。
「分かるのか?」
「俺の目にも、術式の光が少しずつ弱くなっている」
「そうだ」
俺は答える。
「魂が解放されるたび、この術式は弱くなる」
「なら、急げ」
「急いでいる」
五十人。百人。二百人。地下室に次々と人間が増えていく。
身体を作り直された者たちは、最初は混乱していた。だが、自分が生きていることを理解すると、互いに支え合って出口へ向かっていった。
「おい!」
その中の一人が叫んだ。
「外へ出られるぞ!」
「本当か?」
「身体が動く!」
「俺もだ!」
地下室にざわめきが広がる。老人はそれを呆然と見ていた。
「……ありえない」
「何が?」
「魂を分離したら、人格が崩壊するはずだ」
「しない」
「記憶の混線は?」
「修復した」
「肉体は?」
「作った」
「そんな簡単に……」
俺は老人を見る。
「簡単ではない」
「……」
「俺が何年、この魔法を使っていると思っている?」
老人の顔が歪んだ。
「貴様は……」
その言葉を聞いた瞬間、俺は手を止めた。
「何だ?」
「何年、だと?」
老人がこちらを見る。
「貴様はいったい何歳だ?」
「さあな」
「さあな、だと?」
「数えるのをやめた」
俺は再び治療を始めた。
老人は黙り込んだ。しばらくして、低い声で言った。
「やはり……」
「何がだ?」
「お前は、あの方と同じだ」
俺は手を止めた。
「誰だ?」
老人は答えない。代わりに、巨大な肉塊へ視線を向ける。
「この器は、お前を再現するために作られた」
「それは聞いた」
「だが、あの方が欲しがっているのは身体ではない」
「なら何だ?」
老人は笑った。
「お前の記憶だ」
俺は老人を見た。
「俺の?」
「ああ」
「何のために?」
「魂魔法の完成形を知るためだ」
その言葉に、俺は違和感を覚えた。
俺は自分の魂魔法を独学で身につけたと思っていた。少なくとも、そう記憶している。
だが――俺の頭に、またあの光景が浮かんだ。
白い塔。巨大な魔法陣。俺に似た男。
『魂魔法は完成した』
そして――
『次の器が必要だ』
「……」
俺は頭を押さえた。
「先生?」
ミアの声がする。
「大丈夫ですか?」
「ああ」
俺は顔を上げる。
「少し記憶が引っかかっただけだ」
「記憶?」
「昔のことだ」
俺は自分の魂を見る。
普段は意識していない。自分の魂を診ることなどほとんどない。
だが、今なら分かる。俺の魂にも、何かがある。他人には見えないほど深い場所。
封じられた記憶。俺自身が知らない過去。
「……なるほど」
老人が笑う。
「気づいたか」
「お前、俺の過去を知っているな」
「少しだけだ」
「なら、聞こう」
俺は老人の前まで歩いた。
「俺は何者だ?」
老人の顔から笑みが消えた。
「……知らない」
「嘘だな」
「本当に知らない」
「では、あの方とは誰だ?」
老人は答えなかった。俺は老人の魂を見る。そして眉をひそめる。
「お前にも術式がある」
「……」
「口封じか」
老人の魂にも黒い魔法陣が刻まれている。
だが、これまで見たものとは違う。自壊術式ではない。
記憶封印。一定以上の情報を話そうとすると、その記憶そのものを消す仕組みだ。
「お前も利用されている」
「……そうだ」
老人が初めて弱々しく答えた。
「私は研究者だった」
「過去形か」
「ああ」
老人は巨大な肉塊を見る。
「最初は、人を救うための研究だった」
「死を克服するため?」
「そうだ」
「なら、なぜ魂を混ぜた?」
「必要だった」
「誰に?」
老人は口を開いた。だが、突然苦しみ始めた。
「ぐっ……!」
魂の魔法陣が黒く輝く。
「先生!」
ミアが叫ぶ。俺は老人の魂へ手を伸ばした。
「動くな」
「無理だ……」
「黙れ」
俺は魔法陣を解析する。
やはり記憶封印。だが、解除できる。俺は魔法陣を一つずつ切り離した。
「《魂魄切除》」
黒い術式が消える。
老人が大きく息を吐いた。
「……助かった」
「話せ」
老人はしばらく黙った。
そして――
「この研究を始めたのは、千年前だ」
「……千年前?」
ヴァルドが驚く。
俺は老人を見る。その姿はどう見ても五十代だ。だが、魂には長期間生きてきた痕跡がある。
「どうやって生きている?」
「器を変えてきた」
「身体を?」
「そうだ」
老人は自分の胸に手を当てた。
「魂を新しい身体へ移す。それだけだ」
俺は黙った。それは俺の魂魔法と同じ原理だった。
「……誰に教わった?」
老人は俺を見つめた。
「お前に」
「……俺?」
「千年前の、お前にだ」
地下室が静まり返った。俺は何も言わなかった。
俺自身が知らない記憶。俺と同じ魂魔法を使う存在。そして千年前の研究者。すべてが一本に繋がり始めていた。
だが、その直後。地下室全体が大きく揺れた。
「何だ!」
ヴァルドが叫ぶ。
天井から砂埃が落ちてくる。俺は魔力の流れを見る。
「……術式が暴走している」
「止められるか?」
「まだだ」
巨大な肉塊が震えている。無数の魂が抜けたことで、器を維持できなくなっている。
「崩れるぞ!」
老人が叫ぶ。
「このままでは地下施設そのものが潰れる!」
俺は周囲を見る。まだ魂が残っている。全員を救うには時間が足りない。
そして――巨大な肉塊の中心から、黒い魔力が噴き出した。
その奥に、巨大な門が開く。門の向こうから何かがこちらを見ている。俺はその存在を見て、確信した。
こいつが、この研究の本当の目的だ。
「……なるほど」
俺は魔力を集中させた。
「なら、先にあいつを治す」
ヴァルドが叫ぶ。
「お前、あれを治すつもりなのか!?」
「ああ」
俺は門へ歩き出す。
「魂があるなら、患者だ」
そして俺は、誰も知らない場所へ続く門の前に立った。




