地下に眠る患者
王都の地下へ続く亀裂を、俺は一人で下っていた。背後からヴァルドの足音が聞こえる。
「待て!」
「来るなと言ったはずだ」
「お前一人で行かせられるか」
「邪魔になる」
「それでも行く」
俺は振り返った。
ヴァルドは剣を握っている。
「俺の命を救ったのはお前だ」
「だから?」
「なら、今度は俺がお前の背中を守る」
「……好きにしろ」
俺は再び歩き始めた。地下へ進むほど、空気が変わっていく。湿っているわけではない。魔力が濃い。壁そのものに魔法陣が刻まれている。それも、一つではない。無数の魔法陣が複雑に重なり合っている。
「これは……」
ヴァルドが息を呑む。
「全部、魂を繋ぐための術式だ」
「どこまで続いている?」
「王都だけじゃない」
俺は壁へ手を当てた。
魂視を使う。魔力の流れが見える。地下を走る巨大な術式は、王都の外へ伸びている。さらにその先。街から街へ。国中へ。
「……国全体だ」
「何だと?」
「この術式は、王都だけで完結していない」
俺は歩きながら説明する。
「王都は中心。周辺の街や村が魔力を送るための中継点になっている」
「なら、これを壊せば……」
「大量の魂が死ぬ」
ヴァルドが黙った。
俺は立ち止まった。目の前に巨大な扉がある。黒い金属で作られている。その表面には、あの黒い金属片と同じ魔力が流れていた。
「ここだ」
俺は扉へ手を伸ばした。触れた瞬間、魂へ魔力が流れ込んできた。
――認証。そんな感覚だった。
「開くのか?」
「いや」
俺は扉を見る。
「俺を通すつもりはない」
「なら、どうする?」
「壊す」
俺は右手を握った。
「《魂魄切除》」
魔力が扉へ走る。黒い魔力が剥がれ落ちる。扉を構成していた魔法そのものを、一部分だけ切り取った。
轟音。扉が崩れる。その向こうには、巨大な空間が広がっていた。
ヴァルドが絶句する。
「……何だ、これ」
部屋の中央に巨大な魔法陣。その周囲には、無数の柱が立っている。柱の中には人間がいた。
いや、正確には、身体ではない。魂だ。透明な球体の中に、一人分ずつ閉じ込められている。
数百。数千。それ以上。
「生きているのか?」
「魂は残っている」
「なら、助けられるか?」
俺は答えなかった。部屋の奥にあるものを見ていた。
巨大な肉塊。人間の身体に似ている。だが、完成していない。腕が何本もあり、脚の数も合わない。胸部には巨大な穴が開いている。そこから黒い魔力が噴き出している。
「……身体を作っている」
「何?」
「魂を材料にして、身体を作ろうとしている」
俺はその肉塊を見た。魂を一つにして巨大な存在を作ったのではない。
順番が逆だった。ここでは大量の魂を集め、それを使って一つの身体を作っている。
「何を作るつもりなんだ?」
ヴァルドが聞く。
「分からない」
俺は魔力を視る。
「だが、まだ完成していない」
そのとき、部屋の奥から声がした。
「完成は近い」
俺は振り向いた。黒いローブの男が立っている。
前に診療所を襲った連中とは違う。顔を隠していない。白髪の老人だった。
「ようこそ」
老人は笑った。
「魂魔法の使い手よ」
「お前が黒幕か?」
「黒幕?」
老人は首を傾げる。
「違うな。私はただの研究者だ」
「研究者?」
「ああ。人間が死を克服するための研究をしている」
俺は巨大な肉塊を見る。
「これが死の克服か?」
「そうだ」
「趣味が悪い」
老人は笑った。
「君なら理解できると思っていたよ」
「何を?」
「肉体は器に過ぎない」
俺は黙る。
「君はすでに、それを証明している」
老人は続ける。
「身体が死んでも魂が残っていれば、新しい身体を作れる。君はそれを何度も実践してきた」
「……」
「ならば、なぜ一人の身体だけを作り直す必要がある?」
老人が両手を広げる。
「魂を一つにすればいい」
「それが、あれか」
「あれはまだ未完成だ」
老人は巨大な肉塊を見上げた。
「無数の魂を一つの器へ収める」
「それで何になる?」
「死なない人間だ」
俺は老人を見る。
「違う」
「何?」
「それは人間じゃない」
老人の笑みが消える。
「魂を一つに混ぜれば、人格は消える」
「人格など必要ない」
「なら、それは生きているとは言わない」
「君は医者なのだろう?」
老人が言う。
「なら、結果だけを見ればいい」
「結果?」
「死者がいなくなる」
俺は黙った。確かに、理屈だけなら分かる。
死なない。老いない。病気にもならない。身体が壊れても、新しい身体を作ればいい。
だが――それは人間を救うこととは違う。
「魂を一つにする必要はない」
俺は言った。
「一人ずつ身体を作ればいい」
老人が目を細める。
「何?」
「お前たちは魂を集める必要なんてない」
俺は周囲の魂を見る。
「俺なら全員を個別に蘇生できる」
老人が笑った。
「それができないから、我々はこの研究をしている」
「できる」
「何?」
「ここにいる全員、助けられる」
老人の顔から笑みが消えた。
「……馬鹿な」
「魂が残っている」
俺は一番近くの球体へ手を伸ばした。
「なら、身体を作れる」
魂を取り出す。身体を構築する。魂を戻す。
一人目。二人目。三人目。次々と魂を解放していく。
だが、途中で問題に気づいた。
「……なるほど」
「何が分かった?」
ヴァルドが尋ねる。
「この魂たちは長期間拘束されている」
「それが?」
「魂そのものが弱っている」
それだけではない。大量の魂を繋いでいたせいで、互いの記憶が混ざり始めている。このまま分離すると、自我が壊れる可能性がある。
俺は手を止めた。
「どうした?」
「全員を一気に助けるのは無理だ」
老人が笑う。
「だから言っただろう」
「だが――」
俺は魂を見る。
「治療すればいい」
「治療?」
「混ざった記憶を一つずつ分離する」
老人の表情が変わった。
「そんなことが……」
「俺の専門だ」
俺は魂魔法を使う。魂の中に混ざった情報を整理する。
一人分。また一人分。魂の境界を作り直す。
そして――
「《魂魄分離》」
魂が二つに分かれる。
さらに一つ。三つ。四つ。
「……馬鹿な」
老人が呟く。
俺は止まらない。魂を治療する。身体を作る。一人ずつ戻す。
この研究者たちが何年かけたかは知らない。だが俺には関係ない。患者がいる。なら、治す。
「お前たちは、魂を材料にした」
俺は老人を見る。
「俺は魂を患者として扱う」
老人が後ずさる。
「やめろ!」
初めて、老人の声に恐怖が混じった。
「その術式に触れるな!」
「なぜ?」
「それを壊せば――」
「何が起きる?」
老人は答えない。
俺は術式を見る。そして、気づいた。
「……そういうことか」
巨大な肉塊。無数の魂。王都全体を覆う術式。すべてが一つに繋がっている。
「この身体が完成すれば、魂の門を開く」
「……」
「違うか?」
老人は沈黙した。
「そして、門の向こうから何かを呼び込む」
老人は笑った。
「そうだ」
「何を?」
「この世界ではない場所から来る存在だ」
老人が両手を広げる。
「それこそが、人間が死を超えるために必要なものだ」
俺は巨大な肉塊を見る。
「……器か」
「その通り」
俺は黒い金属片を取り出した。すると、巨大な肉塊が反応した。
そして――肉塊の中心から、一本の腕が伸びた。
その腕の先にあったのは、人間の手だった。俺はその手を見て、目を細める。
指の形。爪。骨格。筋肉。皮膚。全てが見覚えのある構造だった。
「……俺の身体情報?」
老人が笑う。
「ようやく気づいたか」
「どういうことだ」
「その器は、君の魂を基準に作られている」
俺は初めて、言葉を失った。
「君の魂魔法を解析して得た情報だ」
老人が言う。
「その身体には、君の身体情報が使われている」
巨大な肉塊の顔が、ゆっくりとこちらを向いた。
その顔は――俺と同じ顔だった。
「完成すれば、君と同じ魂魔法を持つ器になる」
老人が笑う。
「だから、君の魂が必要なのだ」
俺は巨大な偽物を見つめる。
そして、静かに言った。
「そうか」
俺は右手を上げた。
「なら、壊す」
老人の顔から笑みが消えた。
「待て!」
「患者をこんな身体にする医者はいない」
「それを壊せば、ここにいる魂も――」
「だから壊し方を選ぶ」
俺は魔力を集中させる。
「全員、生かしたまま取り出す」
そして俺は、巨大な術式の中心へ手を伸ばした。
「治療を始める」




