第96話 千年の重さ
光の柱に近づくにつれ、声は言葉に変わり始めた。
正確には、言葉ではない。意味の塊だ。感情が圧縮されたもの——それがライトの頭の中に直接流れ込んでくる。
怒り。
誰かへの、深い怒り。
悲しみ。
長い、途方もない悲しみ。
そして——疲れ。
千年分の疲れが、ライトに押し寄せてくる。膝が少しぐらついた。《スキル無限》でそれを受け止め、流す。流して、立ち続ける。
「ライト」
後ろでセイラの声がした。
「ここで待っていてくれ」ライトは振り返らずに言った。「俺一人で行く」
「でも——」
「声が強すぎる。全員で進んだら、誰かが耐えられなくなる」
沈黙。
「……わかった」セイラが答えた。「でも、何かあったらすぐ呼んで」
「ああ」
《蒐集者》の一人が静かに言った。「頼む」
ライトはその言葉を背中で受け、一人で歩き始めた。
光の柱まで、あと五十歩。
声がどんどん強くなる。感情の波が、肌を、骨を、心を叩く。怒り、悲しみ、疲れ——そして。
(助けを求めている)
奥底に、それがあった。
十歩。五歩。
光の柱の前に立った。
近くで見ると、柱というより——繭のように見えた。白く輝く光の膜が、何かを包んでいる。その中心に、影がある。人の形をした影が、微動だにせずそこにあった。
ライトは《スキル無限》を最大限に展開した。感知、防護、そして——対話のための橋。
意識を伸ばす。光の膜に触れる。
弾かれるかと思ったが——すんなりと入れた。まるで、待っていたかのように。
《……来たか》
声が届いた。言葉ではなく、意識として。重く、古く、疲れ果てた声。
「ああ、来た」ライトは声に出して答えた。「話を聞きに来た」
《話?》
その一言に、驚きが混じっていた。千年間、誰も話を聞きに来なかった。ライトにはそれがわかった。
「あなたのことを教えてくれ。何があったのか。なぜここにいるのか」
長い沈黙があった。
やがて——存在が、静かに語り始めた。
《千年前……世界が壊れそうになった。大きな災害が来た。誰も止められなかった。私だけが……止められた》
「それで、あなたが封じた?」
《力を使い果たして……自分ごと封じた。それしか方法がなかった》
「それから、ずっとここにいた?」
《ずっと……いた。最初は目的があった。封じたものが完全に消えるまで、見届けなければならなかった。だが——それは三百年で終わった》
「三百年で終わったのに、なぜまだここに?」
《封印が……解けなかった。自分で閉じた封印だが、自分では開けられない。外から誰かが——》
ライトは理解した。
「自分で封印して、自分では出られなくなった」
《そうだ。笑えるだろう……世界を救った存在が、自分で作った檻から出られなくなった》
笑えない、とライトは思った。全く笑えない。
七百年間——三百年間は使命のために、そしてその後の七百年間は出口のないまま、ただ待ち続けた。助けを求める「声」が外に漏れ出ていたのは、そのためだろう。叫んでいたのだ。気づいてくれと。終わらせてくれと。
「あなたは——終わりたいのか?」ライトは静かに聞いた。
また長い沈黙。
《……疲れた。もう休みたい。ただ——》
「ただ?」
《怖い。終わることが怖い。千年生きていると……消えることが怖くなる》
ライトは光の柱を見上げた。白い光が静かに揺れている。
「怖くていい」ライトは言った。「怖いのは当然だ」
《……お前は怖くないのか。終わることが》
「正直、考えたことがある」ライトは少し考えながら言った。「でも——今は、怖いより先にやりたいことがある。だから怖さより、そっちを先に考えてる」
《やりたいこと……》
「あなたも、やり残したことはあるか?」
また長い沈黙。今度は、少し違う質感の沈黙だった。
《……見たかった。封じられた後の世界が、どうなったのか。自分が守った人たちが、どう生きたか》
「それは——外に出れば、わかるかもしれない」
《外に……出る?》
「終わるんじゃなく、外に出てから——見てから、終わることはできないか?」
長い、長い沈黙が続いた。
ライトは急かさなかった。千年かけて考えてきたことだ。すぐに答えが出るはずもない。
やがて——存在が、静かに揺れた。光の柱が微かに変化する。固く閉じていた何かが、少しだけ緩むような感覚。
《……お前は、不思議な存在だな》
「そうかもしれない」
《なぜ——見ず知らずの私に、そこまでするんだ》
ライトは少し笑った。
「困っている人を、放っておけない。それだけだ」
存在がまた沈黙した。でも今度の沈黙は、さっきとは違った。
重さが、少し変わった気がした。
《……見てみたい》存在がゆっくりと言った。《今の世界を。お前が言うように——見てから、決めたい》
「わかった」ライトは頷いた。「一緒に出よう」
《封印は、お前が解けるか》
「やってみる」
ライトは《スキル無限》を通じて、光の膜に手を触れた。封印の構造を感じ取る。複雑ではあるが——ダラント遺跡でやったことと、根本は同じだ。内側から閉じられた鍵を、外側から優しく回す。
焦らず。力ずくでなく。
ただ——扉を、開けるように。
《痛く……ない》存在が驚いたように言った。
「痛くしたくないから」ライトは集中しながら答えた。「もう少しかかる。待ってくれ」
《……ああ》
千年待った存在が、もう少しだけ待つと言った。
ライトは光の膜に集中し続けた。《スキル無限》が静かに輝く。封印が、ゆっくりと、ほぐれていく。
後ろで——セイラが待っている。フォルク、ナディア、レインも。《蒐集者》の三人も。
みんなが、ここを見ている。
ライトは静かに、一歩ずつ、封印を解いていった。
どれくらいの時間が経ったか、わからない。
光の膜が、少しずつ薄くなっていった。固く閉じられていた封印が、層を一枚ずつ剥がすように解けていく。ライトの額に汗が滲む。《スキル無限》を全開で展開し続けるのは、相当な消耗だ。
だが——止まれない。
存在が待っている。千年間、ずっと待っていた存在が。
最後の一層が、光の中に溶けていった。
静寂。
そして——光が、爆発するように広がった。
眩しくて、ライトは目を腕で覆った。光が砂漠全体を白く塗り替えるほどの輝き。それが数秒続いて——ゆっくりと収まっていった。
目を開けると、光の柱は消えていた。
代わりに、一つの人影が立っていた。
老いた、白い髪の女性だった。ずっと若い頃に封じられたはずなのに、千年の時が滲んでいた。その目が、ゆっくりとライトを見た。
《……外は、明るいな》
女性が言った。声が、今度は本当の声として聞こえた。
「ようこそ」ライトは静かに言った。「外へ」
女性が、かすかに笑った。千年ぶりの——笑顔だった。
後ろで、セイラが息をのむ声がした。フォルクが低く「解けた……」と呟いた。《蒐集者》の一人が、その場に膝をついた。
灰色だった空が、少しずつ色を取り戻し始めていた。




