第90話 交易都市エスナル
エスナルは、想像より遥かに大きな街だった。
砂漠の只中に突然現れる城壁は、褐色の石で作られており、砂に馴染むようでいて、圧倒的な存在感を放っていた。高さは十メートルを超えているだろうか。城壁の上には見張りが立ち、巨大な門には長い行列ができていた。
「でかい……」
ライトが思わず呟くと、フォルクが頷いた。
「砂漠側の大陸では最大の交易都市だ。ここを通らずには東西を行き来できない、と言われるくらいの場所だ」
「それだけ人が集まるのか」
「商人、冒険者、研究者——それから、訳ありの連中もな」
最後の一言は、少し含みがある言い方だった。ライトは聞き流したが、セイラが小声で「訳ありって何?」と囁いてきた。ライトも首を振るしかなかった。
門の列はゆっくりと進んだ。衛兵が一人一人に質問し、荷物を確認している。物々しい雰囲気だった。
「厳しいな」とレインが静かに言った。
「最近、遺跡絡みの問題が増えているらしい」とナディアが答えた。「密売人が遺物を持ち込もうとするから、検問が厳しくなったって聞いた」
遺跡の話が出て、ライトは昨日のことを思い出した。あの封印された存在も、何者かが意図して閉じ込めたのだろうか——そんな考えが頭をよぎったが、今は余計なことを考える場面ではない。
やがてライトたちの番が来た。
衛兵は屈強な男で、目つきが鋭かった。フォルクを見て、少し表情が変わった——顔見知りなのかもしれない。
「フォルク・ダイン。久しぶりだな」
「ああ。通してもらえるか、クラウス」
「連れは?」
「仲間だ。信用できる」
衛兵——クラウスが、ライトたちを順番に見た。ナディア、レイン、セイラ、そしてライト。ライトで、その目が少し止まった。
「子どもじゃないか」
「強いぞ」とフォルクが短く言った。
クラウスは鼻を鳴らして、「まあいい」と言って通してくれた。
城門をくぐると、まるで別世界だった。
砂漠の外とは打って変わって、街の中は喧噪に満ちていた。色とりどりの布を纏った商人が声を上げて呼び込みをしている。露店が道の両側に並び、香辛料の香りと焼いた肉の匂いが混じり合っている。様々な種族の姿がある——人間だけでなく、耳の長い亜人、体の大きな半獣族、小柄なドワーフ系の種族も。
「すごい……」セイラが目を輝かせた。「こんな街があるんだ」
「砂漠の宝石とも呼ばれる」とナディアが言った。「私も来るのは久しぶりだけど、相変わらずね」
ライトは周囲を観察しながら歩いた。人が多い。情報も多い。それだけ、気をつけなければならないことも多い。
「宿はどこにする?」とレインが聞いた。
「いつもの場所だ」とフォルクが答え、迷わず歩き始めた。
連れていかれたのは、大通りから少し外れた路地にある小さな宿だった。外観は地味だが、中に入ると清潔感があって、主人の老婆が人のよさそうな笑顔で出迎えてくれた。
「フォルク! 久しぶりじゃないか」
「世話になる、タマラ婆さん」
「連れが増えたね。若い子ばっかりだ」老婆——タマラが、ライトたちを見回して目を細めた。「特に、そっちの金髪の子。まだ子どもじゃないか」
「強いぞ」とフォルクがまた同じことを言った。
ライトは苦笑した。
部屋を取ってもらい、荷物を置いた。久しぶりにまともな寝台だ。砂漠での野営が続いていたので、それだけで少し気分が上がった。
「休憩したら、例の研究者のところへ行く」フォルクが告げた。「ライト、お前も来い」
「俺も?」
「話の中心はお前のことだからな」
それはつまり、自分自身のことを知るための話だということか。ライトは少し構えたが、断る理由もなかった。
「わかった」
「私も行く」セイラが手を上げた。
「私もだ」とナディアも続いた。
「……俺も」レインが小声で言った。
フォルクが全員を見回して、「騒がしくなりそうだな」と苦い顔をしたが、止めはしなかった。
一時間後、五人は揃って街の北側へと向かった。
研究者の家は、街の北区画にある古い建物の二階にあった。看板も表札もない。どこにでもある民家にしか見えない。だが、フォルクは迷わずその扉を叩いた。
しばらく間があった後、扉が開いた。
出てきたのは、小柄な老人だった。白髪を後ろで束ね、丸眼鏡の奥に鋭い目が光っている。着ているのは染みだらけの研究者用のローブ。手にはペンを持ったままで、明らかに作業中を邪魔された様子だった。
「フォルク・ダイン」老人は感情の読めない声で言った。「また来たか」
「ご無沙汰してます、ヴェルン先生」
「無沙汰を謝る気があるなら手紙の一本でも寄越せ」老人——ヴェルンはそう言いながら、ライトたちを見た。「その連れは?」
「話したいことがある。聞いてもらえますか」
ヴェルンは少し間を置いてから、眼鏡を押し上げた。
「……中に入れ」
狭い部屋に五人が通された。壁一面が本棚で、床にも積み上げられた書物がある。窓から差し込む光が、埃を浮かび上がらせていた。
「で」ヴェルンが椅子に座り、ライトを見た。「お前が《スキル無限》の使い手か」
ライトは少し驚いた。いきなり核心をついてくる。
「……そうだ」
「昨日、ダラント遺跡の封印が解けた。お前がやったのか」
「どうしてそれを」
「この街には耳がある」ヴェルンは短く言った。「それより——封印を解いたとき、どうやった?」
「力で壊したわけじゃない。封じられていた存在と話をして……自分で出ていくよう促した」
老人が静止した。眼鏡の奥の目が、細くなる。
「話をした? あの存在と?」
「ああ」
「正気か?」
「正気だ」
ヴェルンはしばらく黙っていた。それからゆっくりと立ち上がり、本棚の奥から一冊の古い本を引き出した。表紙は擦り切れていて、文字も判読しにくい。
「これを見ろ」
広げられたページには、古い文字で何かが書かれていた。ライトには読めないが、ヴェルンが指でなぞりながら言った。
「三百年前の記録だ。当時も、砂漠の遺跡に封じられた古い存在を——暴力ではなく、対話によって解放した人間がいた」
「……本当に?」
「そいつは特殊なスキルを持っていたと記録されている。名前は……《無限の器》」
その言葉に、セイラが息をのんだ。ライトは自分の手を見た。
《スキル無限》。《無限の器》。
偶然にしては——似すぎている。
「続きを教えてもらえますか」ライトは静かに言った。
ヴェルンは眼鏡を外し、布で拭いた。それから改めてかけ直し、ライトを真正面から見た。
「続きは——長い話になる」
「構わない」
「今日は時間がないな」ヴェルンが窓の外を見た。夕暮れが始まっていた。「明日、また来い。資料を整理しておく」
「はい」
フォルクが「先生、感謝します」と頭を下げた。ヴェルンは手を振って「礼はいらん。面白い話が聞けそうだからな」と言った。老人なりの好奇心が、目の奥に光っていた。
五人が外に出ると、街はもう夕暮れの橙色に染まっていた。露店の灯りが次々と点り、昼とは違う賑わいを見せ始めている。
「《無限の器》……か」セイラが呟いた。「ライト、怖くないの?」
「怖い、というより」ライトは少し考えてから言った。「知りたい、という気持ちの方が強い」
自分の力の正体。どこから来たのか。なぜ自分に宿ったのか。
それが全部わかるわけではないだろう。でも、少しずつでも——知ることはできるかもしれない。
「明日、また来よう」
ライトは前を向いて歩き始めた。夕暮れのエスナルが、温かな光で街を包んでいた。




