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第86話 カルドの古代図書館

 山道を二日かけて進むと、岩肌に刻まれた巨大な扉が現れた。


 カルドの古代図書館——地下に掘り抜かれた、千年以上の歴史を持つ書庫だ。扉の高さは十メートルを超え、カルドの紋章である鷲の浮き彫りが施されている。表面には古い傷が無数にあり、歴史の重さが滲み出ていた。


「ここか」とレオが見上げながら言った。


「圧迫感がある」とリナが呟いた。


「ヴァルナの大図書館とは雰囲気が全然違う」とシルヴィアが目を細めた。「あちらは光と開放感。ここは……重厚さと閉塞感」


「山の中に掘った図書館だ。そうなる」とヴィクトルが言った。「しかし中は広い。慣れれば不思議と落ち着く」


 扉を開けると、冷えた空気が流れ出てきた。石の廊下が奥へ続き、等間隔に松明が灯っている。足音が反響し、自分たちの歩く音がやたらと大きく聞こえた。


「地下に降りていくのか」とガルダンが言った。


「三層構造だ」とヴィクトルが説明した。「一層目は一般資料。二層目は専門資料。そして三層目の最深部が——秘蔵区画だ」


 館員が案内してくれた。年配の男性で、カルド語で話しているのを俺が《言語理解》で翻訳した。


「第三層は通常、王族以外は立ち入り禁止です。しかし王からの特別許可状をいただいております。ただし——資料の複写は禁止です。読んだことを覚えて持ち帰ることしかできません」


「わかりました」とシルヴィアが頷いた。ペンを取り出そうとして止めた。「……メモもできないのか」


「残念ながら」と館員が言った。


「記憶するしかないか」とシルヴィアが唇を引き結んだ。「分担しましょう。私は魔法の術式部分を担当する。ライトは《言語理解》で翻訳しながら概要を把握する。レオとガルダンは地図や図解を記憶する。リナは薬や素材に関する部分を」


「俺が地図を記憶するのか」とレオが不安そうな顔をした。


「見て覚えるだけでいい。細かいことはいい」


「了解」


 三層目への階段は急で、降りるにつれて温度が下がっていった。最深部に着くと、広い石室があった。棚には革装の書物と巻物が並んでいる。照明は魔法石で、温かみのある光が空間を満たしていた。


「ここだ」とヴィクトルが言った。「さあ、探そう」


 全員が手分けして棚を調べた。シルヴィアが表紙の文字を読み、俺が翻訳する。


 一時間ほど経った頃、シルヴィアが一冊の書物の前で足を止めた。


「ライト、これ」


 背表紙に刻まれた文字を俺が《言語理解》で読んだ。


『深淵に眠りし者の起源と、その終焉の方法について』


「終焉の方法」と俺は繰り返した。


「封印ではなく、終わらせる方法だ」とヴィクトルが息を呑んだ。


 シルヴィアが慎重にページを開いた。俺が翻訳を始める。


 書かれていたのは——千年前のある魔導師の記録だった。


 その魔導師は、深淵の口の正体を研究し続けた人物だった。古の災禍の本質は、魔力の塊ではなく——意識を持つ存在だという記述があった。


「意識を持つ?」とリナが驚いた。


「眠っているだけで、意識がある」と俺は翻訳しながら言った。「そして——目覚めれば大陸を脅かすが、その存在は本質的に悪ではない。ただ、巨大すぎて制御できないだけだ」


「悪ではない?」とレオが眉を寄せた。


「この魔導師は、対話を試みた」と俺は続けた。「封印や排除ではなく——対話で共存の道を探った。そして……」


 俺はページを読み進めた。


「……成功したと書いてある」

 石室が静まり返った。


「対話で成功した……?」とシルヴィアが信じられないという顔で言った。


「この魔導師は一度、深淵の口に潜り、眠りの浅い状態の存在と意識で繋がることができたと書いてある」と俺は読み続けた。「彼女はその存在に問いかけた。なぜ大陸を脅かすのかと。答えは——苦しいから、だったと」


「苦しい?」とリナが聞いた。


「海の底に封じられた存在が、千年、二千年と眠り続けることは、想像を絶する苦痛だったらしい。目覚めれば大陸に影響が出る。しかし眠り続けることも限界がある。そのジレンマの中で、存在は暴れるしかなかった」


「だから定期的に活動が活発化する」とシルヴィアが言った。「封印を突破しようとするのではなく、苦しみで身もだえしていた……」


「この魔導師は、存在に提案した」と俺は続けた。「深淵の口を封じるのではなく、別の場所へ誘導することはできないかと。大陸から離れた、誰も傷つけない場所へ」


「どこだ?」とヴィクトルが前に出た。


「海の最も深い場所——この大陸から遠く離れた、果ての海だ」と俺は翻訳した。「そこには大陸も島もない。存在が眠り、目覚めても、誰も傷つけない場所だ」


「存在は同意したのか?」とレオが聞いた。


「この魔導師は同意を取り付けた。しかし——誘導するには、存在の意識に直接触れ、道を示しながら導く必要がある。それには莫大な魔力と、存在を恐れない心が必要だと書いてある」


 全員が俺を見た。


「また俺か」と俺は言った。


「《深層感知》で意識に触れられるのはあなただけだ」とシルヴィアが静かに言った。「しかも今回は深海に潜るだけじゃない。未知の意識と直接繋がる必要がある」


「危険か?」とガルダンが聞いた。


「記録によれば、この魔導師自身が試みた時——意識が繋がりすぎて、しばらく自分に戻れなくなったと書いてある」とシルヴィアが読み進めながら言った。「それでも彼女は成功した。強い意志と、帰るべき場所があったから、と記されている」


 帰るべき場所。


 俺は仲間たちを見た。


「やってみる」と俺は言った。


「即決か」とレオが言った。


「考えれば考えるほど怖くなる」と俺は正直に言った。「だから、考える前に決める」


 レオが肩をすくめた。「まあ、それがお前だな」


「一つ確認させてくれ」とシルヴィアが言った。「この魔導師が成功した記録の続きに、具体的な方法は書いてあるか?」


 俺はページをめくり続けた。そして——見つけた。


「ある」と俺は言った。「詳細な手順が書かれている」


「全部覚えよう」とシルヴィアが言った。「一字一句、漏らさず」


 全員が書物の前に集まった。


 千年前の魔導師が残した言葉が、現代の俺たちに語りかけてくる。


 答えが、ここにあった。

 手順の記録は、驚くほど詳細だった。


 深淵の口に再び潜ること。封印に触れた状態で《深層感知》を最大展開し、存在の意識の波に合わせること。無理に接触しようとせず、ただ寄り添うように意識を近づけること。恐怖を感じても退かないこと——恐怖は存在にも伝わり、警戒させてしまうから。


「難しい」とリナが言った。「恐怖を感じても退かないって……」


「今まで退いたことがあるか?」とレオが俺に聞いた。


「ない」と俺は答えた。


「なら大丈夫だ」とレオが言った。単純だが、それが力になった。


 シルヴィアが記録の最後のページを読んだ。


「この魔導師は書いている」と彼女は言った。「『恐れるな。深淵に眠るものは、憎しみで目覚めるのではなく、孤独で目覚める。孤独を知る者だけが、彼と話せる』」


 孤独を知る者。


 俺は追放された日のことを思い出した。誰もいない城門の外。何も持たず、何も信じられなかったあの夜。


「俺には、わかる気がする」と俺は静かに言った。


 シルヴィアが俺を見た。それから静かに頷いた。


「できると思う」と彼女は言った。「あなたなら」


 記録を読み終えて、全員が覚えられる部分を頭に刻みつけた。シルヴィアが全体を把握し、俺が術式の要点を記憶した。


 地上に出ると、山の夕暮れが空を橙に染めていた。


「行くのはいつだ?」とヴィクトルが聞いた。


「準備が整い次第」と俺は言った。「ただ——一度エルダリアに戻って、王に報告する。それから改めてヴァルナへ向かう。また海を渡ることになる」


「また船か」とガルダンが言った。


「問題ないだろ」とレオが笑った。


「……問題ない」とガルダンが認めた。


 山の風が吹いた。冷たく、清々しい風だった。


 根本的な解決への道が、見えた。あとは——実行するだけだ。


 旅はまだ続く。しかしゴールが、確かに近づいている。

毎日更新中!千年前の記録に根本解決の方法が!次話もお楽しみに!

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