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第87話 決戦の海へ

 ヴァルナへの二度目の航海は、一度目より速かった。


 王宮から借りた快速船は帆が大きく、風を受けるたびに力強く進んだ。ロードの船と並んで航行し、八日でヴァルナの港に到着した。


「また来た」とレオが桟橋に降り立ちながら言った。


「今度が最後かもしれない」とシルヴィアが言った。


「縁起でもないことを言うな」とレオが言った。


「事実として、ということよ」とシルヴィアが訂正した。「うまくいけば、この件で海を渡るのはこれが最後だという意味」


「それならいい」


 ロードが案内してくれた宿は、前回と同じ古都サルタの中心にあった。建物の白い壁が夕日に染まり、水路に光が揺れている。


「準備は整っている」とロードが言った。「セイラも待っている。明日、打ち合わせをしよう」


「ありがとう」と俺は言った。


 翌朝、港の倉庫を借りて全員が集まった。セイラが海図を広げ、深淵の口への航路を確認した。


「前回と同じルートで行く」とセイラが言った。「ただし今回は時間がかかる可能性がある。意識の対話には、どれくらいかかるか予測できない」


「わからない」と俺は正直に言った。「記録の魔導師は半日かかったと書いていた」


「半日、水中で?」とレオが言った。


「《属性融合》で防護膜を維持しながら、意識の大部分を対話に使う」とシルヴィアが言った。「《スキル無限》があるから魔力は枯渇しにくいはずだが——集中力の限界が問題になる」


「つまり、疲弊しても意識を保ち続けなければならない」とエドガーが言った。


「そういうことだ」と俺は答えた。


「上で待っている間、俺たちは何かできるか?」とガルダンが聞いた。


「ライトが意識を対話に集中している間、体の防護が薄くなる可能性がある」とシルヴィアが言った。「セイラが三百メートルで支えてくれるが、それ以上の深さでは届かない。だから——上からできることはほぼない。ただ待つことになる」


「それが一番つらい」とリナが言った。


「わかってる」と俺は言った。「でも頼む。みんながいると思えば、戻れる」


 打ち合わせが終わり、出発は翌朝と決まった。


 その夜、俺は一人で港を歩いた。


 波の音が聞こえる。遠くに灯台の光が瞬いている。空は満天の星だ。


 追放された日のことを、また思い出した。あの夜も星が出ていた。しかしあの時の俺には、何もなかった。今は違う。仲間がいる。目的がある。信じてくれる人たちがいる。


 深淵に眠る存在のことを考えた。


 孤独な存在。海の底で、何千年もひとり眠り続けた存在。苦しくて、暴れたくて、でも暴れれば誰かが傷つく。そのジレンマの中に閉じ込められた存在。


「俺が行く」と俺は海に向かって呟いた。「待っていてくれ」


 波が答えるように打ち寄せた。


 翌朝——決戦の海へ出発する。

 夜も更けた頃、足音が近づいてきた。


 振り返るとエドガーがいた。


「また眠れないのか」と俺は言った。


「お前の部屋に明かりがついていなかった。探した」と彼は言った。


「心配かけてすまない」


「謝るな」とエドガーが隣に立った。波を見た。「俺は、侯爵のために動いていた時期がある。間違った方向に力を使っていた。それが今でも引っかかっている」


「今は正しい方向に使っている」と俺は言った。


「そう思う。だから来た」とエドガーが静かに言った。「お前の旅に加わって、間違いを少し正せた気がする」


「俺の方こそ、助かっている」と俺は言った。「別邸の急襲でも、カルドでも、お前がいなければうまくいかなかった」


 エドガーが少し黙った。それから言った。


「明日、絶対に戻ってこい。俺はまだ、お前に謝っていないことがある」


「何を?」


「侯爵に雇われていた時期、お前の情報を少し流したことがある。直接害を与えたわけじゃないが——知っていてほしかった」


 俺は少し驚いた。それから、静かに言った。


「過去のことだ。今のお前を見ている」


「……それでいいのか」


「いい」と俺は言った。「仲間だから」


 エドガーが長い息をついた。「ありがとう」


 二人でしばらく、波を見た。言葉はなかった。それでも十分だった。


「行くか」とエドガーが言った。「明日に備えて寝ておかないと」


「そうだな」


 宿へ戻りながら、俺は空を見上げた。星が明るい。明日も、晴れるだろう。


 最後の海が、俺を待っている。


 怖い。しかし——逃げない。


 それだけでいい。部屋に戻り、横になった。目を閉じると、波の音が遠くに聞こえた。次第に意識が薄れ——俺は眠りについた。


 夜明けが来る。そして、すべてが始まる。

 夜明けとともに港へ集まった。


 全員の顔に緊張があった。しかし誰も弱音を言わなかった。それぞれが自分なりの覚悟を持ってここに立っている。


 セイラが船の準備を確認していた。ロードが全員に目を向け、短く頷いた。


「行くか」と俺は言った。


「ああ」とレオが答えた。


「問題ない」とガルダンが言った。


「任せてください」とリナが言った。


「準備はできている」とシルヴィアが言った。


「一緒に行く」とエドガーが言った。


「ヴァルナは全力で支援する」とロードが言った。


 俺は全員の顔を一人一人見た。追放された日には、想像もできなかった光景だ。こんなにも多くの人が、俺を信じて共にいる。


「ありがとう」と俺は言った。「行ってくる」


 セイラとともに小型船に乗り込んだ。


 仲間たちが桟橋に並んでいる。レオが腕を組んで立っている。リナが両手を合わせている。シルヴィアが静かに目を細めた。ガルダンが無言で頷いた。エドガーが右手を胸に当てた。ロードが「信じている」と言った。


 船が動き出した。


 沖へ向かって進む。港が遠ざかり、仲間たちの姿が小さくなる。やがて見えなくなった。


 前方には、青く広大な海だけがある。


 深淵の口が、待っている。


「準備はいいか?」とセイラが言った。


「ああ」と俺は答えた。


 風が吹いた。帆が大きく膨らみ、船が加速した。


 波しぶきが顔にかかる。潮の味がした。


 すべての始まりが——そこにある。

 深淵の口のある海域に着いたのは、港を出て二時間後だった。


 海が静かだった。風もなく、波も穏やかで、まるでここだけ時が止まったようだった。水面が鏡のように空を映している。


「不思議だな」と俺は言った。「ここだけ凪いでいる」


「深淵が近いからだ」とセイラが言った。「水面の下で、膨大な魔力が押さえ込まれているから、周囲の自然が従っている感じがする」


「生き物みたいだ」


「そうかもしれない」とセイラが言った。


 前回潜った時の感触を思い出す。暗闇の中、水圧に耐えながら降りていった五百メートル。しかし今回はそれだけでは終わらない。封印に触れるだけでなく——意識の奥まで踏み込む。


「行く」と俺は言った。「時間がかかっても、待っていてくれ」


「ここを離れない」とセイラが言った。「何があっても」


 俺は《属性融合》を全身に纏った。防護膜を展開する。《深層感知》を深く、静かに——ただそこにあるものを感じ取るように。


 海に入った。


 水の冷たさが全身を包んだ。光が届かなくなる。セイラの文身が青く光る。どんどん深く、深く、潜っていく。


 三百メートル。セイラが手を離した。「行け」と彼女が言った。


 俺は一人、さらに深く潜った。


 四百メートル。五百メートル。


 深淵の口が、また目の前に現れた。


 前回強化した封印の文字が輝いている。しかし今回、俺がすることは封印の強化ではない。


 俺は封印に手を当て、目を閉じた。


《深層感知》を——奥へ。もっと奥へ。


 暗い、深い、果てしない場所に、何かがいる。


 俺は意識を近づけた。恐れずに、ゆっくりと。


 そして——触れた。


 巨大な意識が、俺の存在を感知した。


 次の瞬間、俺の頭の中に何かが流れ込んできた。言葉ではない。感情だ。混乱、警戒、そして——深い、深い孤独。


「俺もかつて、孤独だった」と俺は意識の中で言った。「だから、お前の気持ちがわかる」


 巨大な意識が揺れた。

毎日更新中!いよいよ決戦の海へ出発!次話もお楽しみに!

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