第83話 大図書館の秘密
ヴァルナの港は、エルダリアのそれとは様子が違った。
船の形が違う。旗の色が違う。行き交う人々の顔立ちや服装が違う。荷物を運ぶ声も、商人の呼び込みも、聞いたことのない言葉が飛び交っている。それでも活気そのものは同じだ。港というのは世界中どこでも、賑やかなものなのだと思った。
「ヴァルナへようこそ」とロードが岸壁に降り立ちながら言った。故郷に戻ってきた安堵が、全身から滲み出ている。「まずは宿を取る。その後、大図書館へ案内する」
ガルダンが陸に足をつけた瞬間、目に見えて表情が和らいだ。
「問題なかった」と彼は言った。
「十二日間、問題なかった顔じゃなかったぞ」とレオが言った。
「陸ではそう言える」とガルダンが答えた。
全員が笑いながら歩き始めた。
ヴァルナの古都サルタは、丘の上に広がる白い石造りの都市だった。建物の壁は白く塗られ、青い屋根が並んでいる。道は石畳で、いたるところに水路が走っていた。海の香りと花の香りが混じり合った、不思議な空気がある。
「きれいな街だ」とリナが目を輝かせた。
「百年かけて作り上げた都だ」とロードが誇らしそうに言った。
「フォルスハイムに近い雰囲気がある」とシルヴィアが静かに言った。「建築様式が似ている部分がある。やはり古代の技術が継承されているのかもしれない」
宿を確保した後、ロードの案内で大図書館へ向かった。
丘の頂上に建つ大図書館は、俺が今まで見た建物の中で最も大きかった。高さ五十メートルはある石造りの建物で、正面に巨大な扉がある。扉には無数の文字が刻まれていた。
「千年分の知識がここにある」とロードが言った。
「入れるのか?」とヴィクトルが聞いた。
「私が館長に話をつけてある。待っているはずだ」
扉の中に入ると、高い天井から光が降り注いでいた。棚が何列も並び、古びた本や巻物が所狭しと収められている。その量に、全員が圧倒された。
「夢みたいな場所だ」とシルヴィアが呟いた。目が輝いている。
「三日あっても足りないわ」
「三日しかないぞ」と俺は言った。「ヴァルナに長く滞在するわけにはいかない。効率よく探そう」
館長が現れた。白髪の老人で、丸い眼鏡をかけている。ロードと短く話した後、俺たちを奥へ案内した。
「古の災禍に関する資料は、地下の特別書庫にある」と館長は言った。俺が《言語理解》で翻訳した。「普段は閲覧を制限しているが、今回は特別に許可する。ただし——持ち出しは禁止だ」
「わかりました」と俺は答えた。
地下への階段を降りると、温度が下がった。燭台の明かりが揺れる中、石造りの部屋に古い資料が保管されていた。棚の前に立ったシルヴィアが、一冊を手に取って表紙を読んだ。
「『深淵の口——五百年前の封印記録』」と彼女は言った。「あった」
全員が集まった。シルヴィアがページをめくる。俺が《言語理解》で翻訳し、声に出して伝える。
そこには——五百年前の魔導師たちが、いかにして封印を施したかが詳細に記されていた。
そして最後のページに、こう書かれていた。
『この封印は永続しない。五百年を限度とし、その後は徐々に弱まる。次の世代の者たちへ——封印を強化するためには、深淵の口に直接触れ、核となる魔力を注ぎ込む必要がある。その者は、大いなる力と、揺るぎない意志を持つ者でなければならない』
沈黙が落ちた。
「直接触れる、か」とレオが静かに言った。
「深淵の口は海の底だ」とヴィクトルが言った。「どうやって近づく?」
「方法が書いてあるかもしれない」とシルヴィアが次のページを開いた。「続きを読みましょう」
燭台の炎が揺れた。地下書庫の中で、五百年前の言葉が現代の俺たちに語りかけていた。
続きのページには、封印を強化する手順が図解とともに記されていた。
シルヴィアが一枚一枚丁寧に読み込み、俺が翻訳しながらヴィクトルとロードに伝えた。
要点をまとめると——
深淵の口に近づくためには、特殊な潜水魔法が必要だ。ヴァルナの海魔法の最高位技術で、水圧と魔力の暴走から体を守りながら深海へ潜ることができる。ただし通常の人間では、深度三百メートルが限界だという。深淵の口はそれよりさらに深い場所にある。
「三百メートルより深い場所か」とレオが顔をしかめた。
「しかし」とシルヴィアが続きを読んだ。「記録の中に例外がある。『大いなる力を持つ者であれば、自身の魔力で水圧を相殺できる可能性がある』と書かれている」
全員が俺を見た。
「俺か」と俺は言った。
「《属性融合》で水圧を防護できれば」とシルヴィアが言った。「試す価値はある」
「死ぬ可能性もある」とヴィクトルが静かに言った。
「そうだな」と俺は答えた。「でも——他に方法がないなら、試すしかない」
「俺も行く」とレオが即座に言った。
「深海に行けるのは一人だけだ」と俺は言った。「限界まで潜れるのは、俺の魔力があってこそだ。みんなは上で待っていてくれ」
「気に入らないが」とレオが言った。「まあ、状況はわかった」
「一人で行かせるのは不安だ」とリナが言った。
「《深層感知》で海底の状況を把握しながら進める。万一の時は即座に引き返す。約束する」と俺は言った。
リナが唇を引き結んだ。それから頷いた。
「絶対に帰ってきてください」
「当たり前だ」
翌日、ロードが潜水魔法を使える航海士を紹介してくれた。名をセイラという、四十代の女性の海魔法師だ。屈強な体格で、腕に複雑な魔法の文身が入っている。
「深淵の口近くまで案内できる」とセイラが言った。「ただし、私が行けるのは三百メートルまでだ。そこから先はあなた一人になる」
「わかった」と俺は答えた。「いつ出発できる?」
「明日の早朝、潮の流れが穏やかな時間を狙う」とセイラが言った。「今日はよく寝ておけ」
その夜、宿の部屋で俺は一人、天井を見上げた。
明日、海の底へ潜る。深淵の口に触れ、封印を強化する。うまくいけば大陸の危機が数百年先延ばしになる。失敗すれば——考えるだけ無駄だ。
やるべきことがある。それだけだ。
目を閉じた。眠れるかどうかはわからないが、体を休めることはできる。
明日の朝、海が待っている。
夜半、扉をノックする音がした。
開けるとヴィクトルが立っていた。
「眠れないか?」と俺は聞いた。
「お前の部屋に明かりがついていた」と彼は言った。「入っていいか」
「どうぞ」
ヴィクトルが椅子に座った。しばらく黙ってから口を開いた。
「明日、本当に一人で行くつもりか」
「ああ」
「止めても無駄だろうが——せめて言わせてくれ」とヴィクトルが言った。「カルドを代表して、あなたの安全を祈っている。大陸のためだけじゃない。あなた個人として、帰ってきてほしい」
俺は少し驚いた。王子という立場のヴィクトルが、こんなにも率直に言葉をかけてくるとは思っていなかった。
「ありがとう」と俺は言った。
「礼はいい」とヴィクトルが立ち上がった。「帰ってきたら、カルドに来い。あなたに見せたいものがある」
「何がある?」
「カルドには古代の図書館もある。エルダリアの歴史とも繋がる記録が眠っているかもしれない」と彼は言った。「次の旅先だ」
「楽しみにしておく」と俺は言った。
ヴィクトルが扉を閉めて出ていった。
俺は再び天井を見上げた。仲間がいる。繋がりがある。一人じゃない。
それだけで、十分だ。
目を閉じると、今度は眠れた。波の音が子守唄のように聞こえた。
明日——深淵の口へ。
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