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第55話 南の海へ

《蒼穹の楔》編が終わり、新たな旅へ。五人は憧れの南の海を目指す。

 王都エルグラードを発ったのは、ガドルを騎士団に引き渡した翌々日だった。


 出発の朝、宿の前でリオンが見送りに来た。王都で療養しながら冒険者として再出発すると言っていた。顔色は少しよくなっている。セルの治療が効いているようだ。


 「達者でな」とカルツが手を挙げた。


 「お前たちも」とリオンが短く返した。アキトと目が合った。リオンが小さく頷いた。アキトも頷いた。それだけで十分だった。


 五人は南へ向かった。


 ◇


 王都から南へ続く街道は、北や東への道よりずっと整備されていた。交易の盛んなルートらしく、荷馬車が頻繁に行き交い、旅人の姿も多い。


 「南は温かいな」


 三日目の午後、カルツが上着を脱ぎながら言った。確かに気温が上がっている。北の山地とは空気の質が違い、草の香りに混じって何か甘い匂いがした。


 「南方の花の香りです」とセルが教えてくれた。「この辺りから先は亜熱帯の気候になります」


 「亜熱帯……」とカルツが繰り返した。「よくわからんが、暑いってことか」


 「端的に言えばそうです」


 「なら上着はいらないな」


 ミレイが地図を確認しながら言った。「港町ラーゼまであと二日。海沿いの大きな町で、交易船が多数寄港するらしいわ」


 「楽しみだな」とカルツが目を輝かせた。「海の幸が食いたい」


 「まず宿を取ってから」とミレイがたしなめた。


 ◇


 五日目の朝、丘を越えた瞬間、海が見えた。


 「……すごい」


 誰かが呟いた。誰だったか、アキトにはわからなかった。自分だったかもしれない。


 地平線まで続く青い水面が、朝の光を受けてきらきらと輝いている。波が白い泡を立てて岸に寄せ、引いていく。潮の香りが風に乗ってくる。これまで嗅いだことのない、塩と磯の混ざった独特の匂いだ。


 「海だ……」


 カルツが呆然としたように立ち止まった。「でかいな。想像より全然でかい」


 「見たことなかったのか?」とミレイが聞いた。


 「内陸の出身だからな。絵でしか見たことがなかった」


 セルも静かに海を眺めていた。その目が穏やかに細くなっている。ブルスは無言だったが、いつもより長く同じ場所に立ち止まっていた。


 アキトは海風を胸いっぱいに吸い込んだ。封印の旅を終え、《蒼穹の楔》を止め、リオンとの因縁に区切りをつけた。そして今、ここに立っている。

 ◇


 港町ラーゼは、想像以上に賑やかな場所だった。


 色とりどりの旗を掲げた船が港に並び、荷降ろしをする船員たちの声が飛び交っている。市場には見たことのない魚や貝が山積みになっており、香辛料の香りが漂っていた。石畳の道を行き交う人々は様々な肌の色をしており、大陸中から交易のために集まってきているのがわかった。


 「いい町だな」とカルツが目を細めた。「活気がある」


 「港町はいつもこんな感じです」とセルが言った。「物と人が集まる場所は、自然と賑やかになります」


 宿は港から少し離れた静かな通りに見つけた。海風が入る二階の部屋で、窓を開けると波の音が聞こえた。


 「悪くない」とブルスが短く言った。彼にしては上々の評価だ。


 荷物を置いてすぐ、カルツが「飯を食いに行くぞ」と宣言した。全員に異存はなかった。


 ◇


 港の近くの食堂に入ると、大きな鍋に入った海鮮スープが看板料理だった。白身魚、海老、貝が惜しみなく入り、南方の香辛料で味付けされている。一口飲んだカルツが「うまい!」と声を上げ、隣の客が笑った。


 「こんな味は初めてだ」とカルツが夢中で食べながら言った。「砂漠飯より全然いい」


 「砂漠では食事の選択肢がなかっただけでしょ」とミレイが苦笑いした。


 「うまければいいんだ」


 アキトも黙々と食べた。魚の旨味と香辛料の辛さが絶妙に混ざり合い、体が温まる。旅の疲れが少しずつほぐれていく感じがした。


 食後、セルがお茶をすすりながら言った。「この町には冒険者ギルドもありましたね。明日、依頼を確認してみましょうか」


 「そうしよう。ただし」とアキトは言った。「急ぎの依頼でなければ、少し休んでからにしたい」


 「同意」とカルツがうなずいた。「俺も今日は休みたい。海を見ながらぼーっとしたい」


 「そんなカルツは初めて見た」とミレイが言った。


 「俺だって休みたい時はある」


 ブルスが静かに「悪くない」と言い、セルが「私もそうしたいです」と笑った。


 満場一致で、明日は半日休暇と決まった。


 ◇


 夜、アキトは宿の窓から海を見ていた。


 月明かりに照らされた波が、静かに岸に打ち寄せている。遠くに灯台の光がゆっくりと回っていた。


 「きれいだな」


 隣にミレイが来て並んだ。


 「王都のあの夜、目的のない旅がしたいって言ってたわね」


 「ああ」


 「今がそれじゃない?」


 アキトは少し考えた。確かにそうだ。特定の敵も、封印も、使命もない。ただ仲間たちと、行きたい場所へ行く。


 「……そうだな」


 「悪くないでしょ」


 「悪くない」


 波の音が続いた。二人はしばらく黙って海を見ていた。それだけで、十分すぎるほどよかった。

 ◇


 翌朝、五人は約束通り半日を自由に過ごした。


 カルツは本当に港の岸壁に腰かけて海を眺め続けた。ブルスは武器屋を一軒一軒静かに見て回った。セルは市場で南方の薬草を熱心に調べ、数種類を買い込んだ。ミレイは地図を広げて次の目的地の候補をいくつかリストアップしていた。


 アキトは一人で海岸を歩いた。


 波打ち際を歩きながら、《深層感知》を静かに発動させた。海の中の気配——魚の群れ、大型の海洋生物、水流の動き。砂漠の砂竜とも、塩湖の鱗魚とも違う、豊かな海の命が感じ取れた。


 穏やかだった。戦う必要のない感知は、純粋に心地よかった。


 砂浜に打ち上げられた貝殻を一つ拾い上げた。白くて丸い、小さな貝だ。特に何かに使えるわけではない。しかし何となく捨てられず、ポケットに入れた。


 午後、ギルドに寄った。依頼板を眺めると、海に関する依頼が多かった。海賊への対処、深海魔物の討伐、難破船からの荷物回収——陸とは違う依頼が並んでいる。


 「面白そうなのがあるな」とカルツが腕を組んだ。「《海底神殿の調査》——未踏の神殿があるらしい」


 「水中か」とアキトは言った。


 「またか」とミレイが苦笑いした。「塩湖で懲りなかったの?」


 「あっちは封印解除だった。今度は探索だ。気分が違う」


 「論理が雑すぎる」


 しかしミレイも依頼書を手に取って読んでいた。興味がないわけではないらしい。


 「まあ、急ぎではないわ。しばらくこの町で情報を集めてから決めましょう」


 「賛成」


 ラーゼでの日々が、ゆっくりと始まった。次の冒険が何になるかはまだわからない。しかし焦る必要はない。海風が心地よく吹き、波音が耳に届く。


 アキトはポケットの中の貝殻に触れた。小さくて白い、何の変哲もない貝。それがなぜか、今の旅にぴったりな気がした。夕暮れの港に船の汽笛が響いた。新しい一日が終わり、また明日が来る。それだけで、十分だった。次の依頼が何になるかは、明日考えればいい。アキトはゆっくりと宿への道を歩き始めた。

新章スタート!南の海で何が待っているのか。応援よろしくお願いします!

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