第39話 砂塵の中へ
砂漠越え編。三日間の過酷な旅路が始まります。
フォルクの街を出た翌朝、砂漠は容赦なかった。
地平線まで続く砂の海。風が吹くたびに砂が舞い上がり、視界が白く霞む。太陽はまだ高くないというのに、すでに肌が焦げるような熱さだ。
「これは……なかなかだな」
カルツが首に巻いた布を目の下まで引き上げながらぼやいた。
「この時期の砂漠は特に過酷だと聞いていました」とセルが静かに言った。「水分の補給は小まめに。乾いていなくても飲むことが大切です」
「お母さんみたいなことを言うな」
「お母さんで結構です」
ブルスが無言で水筒を口に運んだ。
アキトは《全属性防護膜》を薄く展開し、五人の周囲に熱遮断の膜を張った。完全に熱を遮ることはできないが、それでも体感温度はぐっと下がる。全員の足取りがわずかに軽くなった。
「助かる」とミレイが言った。「でも、ずっと使い続けると消耗するんじゃ?」
「ゆっくり歩く分には問題ない。走ったり戦ったりすると話は別だが」
「なら穏やかに行こう。急いでも砂漠は縮まない」
カルツがそう言って、やや歩幅を狭めた。
◇
一日目の夜は、砂丘の影に陣を取った。日が沈むと砂漠は一変した。あれほど灼けるようだった空気が急速に冷え、毛布なしでは眠れないほどの寒さになる。
「砂漠って昼と夜で別の場所みたいだな」
カルツが焚き火に手をかざしながら言った。薪は街で買い込んだ乾燥木材だ。
「昼の熱が地面に蓄えられないんです。砂は保温性が低いので」
「セル、お前は何でも知ってるな」
「旅の前に少し勉強しました」
ミレイが温かいスープを配りながら笑った。アキトはスープを受け取り、夜空を見上げた。
星が、驚くほど多かった。街の灯りがない砂漠の夜空は、満天の星に埋め尽くされている。天の川が白い帯となって頭上を横切っていた。
「きれいだな」
ミレイが隣に座り、同じように空を見上げた。
「こんな空、久しぶりに見た気がする。いつも目の前のことで手一杯で」
「それは俺も同じだ」
しばらく二人で黙って星を眺めた。遠くでブルスが剣の手入れをしている音がする。カルツはすでに毛布に包まって眠っていた。
「……終わったら、どうするんだ?」
ミレイが小さく聞いた。
「封印を全部解いたら?」
「そう」
アキトは少し考えた。
「わからない。でも、急いで決めなくていいと思ってる」
「そうだね」
ミレイはそれだけ言って、スープの残りを飲み干した。
◇
二日目の昼、砂竜が現れた。
最初は地面の揺れだった。砂の中から何かが近づいてくる振動がじわじわと足裏に伝わってくる。アキトが《全属性感応》に似た知覚を研ぎ澄ませると、砂の下に複数の気配を察知した。
「来る。砂の下だ、三匹」
言い終わるより早く、砂が爆ぜた。全長五メートルほどの砂竜が三匹、砂煙を上げて地上に躍り出た。鱗は砂の色に近く、口から細かい砂粒を噴き出している。
「俺たちに任せろ」
カルツが大剣を抜いた。ブルスが無言で斧を構える。
「セル、後方で待機。ミレイは援護を」
「了解」
二匹がカルツとブルスに向かい、一匹がアキトを狙って突進してきた。アキトは横に跳びながら防護膜を瞬間的に強化し、砂の噴射を弾いた。砂が霧散する中、素早く間合いを詰め、《炎熱弾》を竜の顎の下に叩き込む。
鈍い爆発音。竜が仰け反り、砂の上に倒れた。
反対側では、カルツが大剣を一閃させて一匹を仕留め、ブルスが重い斧を竜の頭頂に振り下ろしていた。
「三匹、完了」
カルツが肩で息をしながら言った。「さすがに砂竜は手強いな。動きが読みにくい」
「砂の中で加速するからな。地面の振動に慣れるまでは反応が遅れる」
「お前はよく察知できたな、三匹も」
「全属性感応のおかげだ。属性の乱れで気配がわかる」
セルが三人の傷に回復術をかけた。擦り傷程度で済んだのは不幸中の幸いだった。
◇
三日目の夕方、それが見えた。
地平線の向こうに、赤みがかった巨大な壁。高さは百メートルをゆうに超え、横には果てが見えない。近づくだけで熱波が押し寄せてくる。
「あれが灼熱の岩壁だ」
ミレイが地図と見比べながら言った。「間違いない。三つ目の封印はあの壁の奥にある」
「でかいな……」
カルツが素直に感嘆した。ブルスも珍しく岩壁をじっと見つめている。
アキトは熱波の向こうに意識を向けた。封印の気配が、ここからでもうっすらと感じ取れる。前の二つより重く、濃い。
「行こう」
アキトが一歩踏み出した。四人がその後に続く。
砂漠の三日間が終わり、本当の挑戦が始まろうとしていた。
◇
岩壁の麓に着いたのは、日が完全に沈む直前だった。今夜はここで野営し、明朝から洞窟の探索に入ることになった。
焚き火を囲みながら、カルツが腕を組んで言った。
「三つ目の封印は九層だったな。霧の湖が五層、霜の谷が七層——一つごとに増えてるのか?」
「そのパターンなら、四つ目は十一層になる」
ミレイが眉をひそめた。「アキト、それは体が持つのか?」
「全属性感応が使えるようになった分、封印の構造が早く読めるはずだ。時間が短くなれば消耗も減る」
「根拠のある楽観で助かる」とカルツが苦笑いした。
ブルスが静かに口を開いた。
「今夜はしっかり休め。明日は長くなる」
「珍しく心配してるな、ブルス」
「心配はしていない。効率の話だ」
カルツが笑い、ミレイも小さく笑った。セルがお茶の入ったカップを順に配る。
アキトはカップを両手で包みながら、岩壁を見上げた。闇の中でも壁はかすかに赤く光っており、熱を帯びた風が頬を撫でていく。
恐怖がないとは言わない。九層の封印がどれほどのものか、まだわからない。だが霧の湖を越え、霜の谷を越えた今、根拠のない不安よりも確かな経験が積み重なっている。
——やれる。
アキトは目を閉じ、静かに意識を整えた。焚き火の音と、仲間たちの穏やかな声が耳に届く。
明日が来れば、戦いが始まる。今夜はただ、この温かさの中に居ることにした。
◇
深夜、見張りの番はブルスだった。
アキトは眠れずに目を開け、毛布の中で空を見上げた。砂漠の夜空は二日目と変わらず、無数の星が瞬いている。
「眠れないのか」
ブルスが低く言った。見張りをしながらも気づいていたらしい。
「少し考えてた」
「封印のことか」
「それもある。でも……お前たちのことも」
ブルスが少し間を置いた。
「俺たちが、どうかしたか」
「俺を信じてついてきてくれてる。それが……ありがたいと思って」
ブルスはしばらく黙っていた。焚き火が小さく爆ぜる。
「信じてついてきたんじゃない」
低い声が続いた。「お前が、信じるに値すると判断したから来ている。それだけだ」
アキトは何も言えなかった。ブルスらしい言い方だと思った。でも、その言葉の重さはちゃんと届いた。
「ありがとう」
「礼はいらない。寝ろ。明日、万全で挑め」
アキトは目を閉じた。今度は自然と眠気が来た。
仲間がいる。それだけで、どれだけ心強いか——追放された日の自分には、想像もできなかったことだ。
砂漠越え完了!次回はいよいよ灼熱の岩壁に到着します。応援よろしくお願いします!




