アイン・キャシー
ラックがルールオブへ戻ると、そこにはシバと、涙を流しながらシバを抱きしめるルナの姿があった。
「良かった……ほんと、良かったよぉ……!」
ルナに強く抱き寄せられたシバは抵抗することもなく、ただ静かにその場に座っている。
まるで、ルナが泣き止むのを待っているかのようだった。
「泣きじゃくってるところ悪いけどさ」
ラックが少しだけ苦笑を浮かべながら声をかける。
「ルナ。約束、覚えてるか?」
「うん……」
ルナは涙で濡れた目を拭いながら頷く。
「シバは……ここで預かってもらうんだよね……」
⸻
「あぁ。ただしシバは俺が貰う」
その言葉を聞いた瞬間、ルナと母親の表情が固まった。
「何でよ!
シバはルナたちの家族なんだよ!!」
ルナは必死にラックへ訴えかける。
「違う違う」
ラックは軽く手を振る。
「貰うとは言ったけど、別に俺の犬にするわけじゃない。うちで保護するってだけだ」
そう言ってルナの目を真っ直ぐ見つめる。
「お前たちは、いつでもうちでシバに会える」
「それでも……シバと一緒に暮らせないのは嫌だよ……!」
ラックは小さくため息をつく。
そして、しゃがみ込んでルナの目線まで顔を下げた。
「ルナ、よく聞いてくれ」
優しくルナの頭を撫でながら続ける。
「今回シバは“異常”が発生したって理由で政府に連れていかれた。
もし俺が取り返して、またルナの家に戻したら……」
一拍置く。
「また同じことが起きる」
ルナは黙って話を聞いている。
「だから俺が保護する。
一緒には暮らせないけど、いつでも会える」
ラックは静かに問いかけた。
「今みたいにシバと離れ離れになるのと、
いつでも会えるのと……どっちがいい?」
少しの沈黙。
そしてルナは、ゆっくりと頷いた。
「……分かった」
涙を拭きながら言う。
「シバは……お兄さんに預かってもらう」
ルナは立ち上がると、そのままラックに抱きついた。
「だから……シバを取り返して!」
必死な声だった。
ラックは優しくルナを抱きしめ返す。
「あぁ」
短く答える。
「任せろ」
その言葉を聞き、ルナはようやく安心したように泣き止んだのだった。
――
ルナがラックに依頼した時。
すでに一つの約束が交わされていた。
シバは、ここ“ルールオブ”で暮らす。
それが、二人の間で交わされた条件だったのだ。
「本当にありがとうございました……」
ルナの母親は深く頭を下げる。
「分かっているとは思いますが、ここのことは秘密で頼みますね」
ラックは口元に人差し指を当て、軽くウインクをする。
「こちら、今回のお礼です。どうかお受け取りください」
ルナの母親はバッグから一つの封筒を取り出した。
中には、かなりの額の紙幣が入っているのが見える。
「これは受け取れません」
ラックは穏やかな声でそう言うと、封筒の向きを変えて母親へと押し返した。
「すでに依頼料はいただいていますから」
そう言ってから、シバの方へ手のひらを向ける。
「……こいつも、もううちの住人ですしね」
その言葉に、母親は一瞬驚いたような表情を見せた。
だがすぐに目を潤ませ、もう一度深く頭を下げる。
「……本当にありがとうございました」
「ルナ、そろそろ帰るよ」
母親はシバと遊んでいるルナへ声をかける。
「うん!」
ルナはシバの頭を優しく撫でた。
「お兄さん、本当にありがと!!」
ぱっと顔を上げてラックを見る。
「また来るね!」
最後にもう一度シバを撫でると、ルナは手を振りながら店の外へ向かった。
ラックも軽く手を振り返す。
こうしてルナは母親と共に、ルールオブを後にしたのだった。
こうしてルナは母親と共に、ルールオブを後にしたのだった。
「へぇ……あの子とそのワンちゃんのために、あなた収容所を襲撃したのね」
ルナたちが扉を出ていってすぐ、店内の奥から一人の女性が姿を現した。
驚くべきことに、周囲の気配に敏感なラックですら、その存在にまったく気づかなかった。
「……お前、誰だ?」
ラックは胸元にぶら下げている鍵へ手を当て、いつでも戦闘に移れるよう構える。
「待って待って!戦うつもりはないよ!」
女性は慌てたように両手を前に出し、ぶんぶんと振る。
明らかに敵意はなさそうだ。
「まずは自己紹介からだよね!」
女性はにこっと笑った。
「私はアイン・キャシー。
この子と同じで収容所に入れられてたんだけど、あなた達の騒ぎに乗じて脱獄したの」
くりくりとした瞳でラックを見つめながら名乗る。
背は低く、黒髪のショートカット。
どこか愛嬌のある、可愛らしい見た目の少女だった。
「この服は借りたよ。囚人服じゃすぐ見つかっちゃうからね!」
アインが着ている服は、確かにラックの店のものだった。
サイズの合わないパーカーに、ぶかぶかのスウェット。
完全に“借り物”という格好である。
「あの看守、逃してんじゃねぇよ」
ラックは鍵を変形させ、剣の形へと伸ばす。
「ちょっ、ちょっと!戦う意思は無いって言ってるじゃん!」
アインは慌てて再び両手を前に出す。
「俺は善人じゃないが、悪人ってわけでもない」
ラックは静かに言う。
「俺が脱獄させちまった悪人は……俺の手で送り返す」
鍵の切っ先が、ゆっくりとアインへ向けられる。
「私は悪人じゃないの!」
アインは必死に訴える。
「冤罪であそこに入れられたの!」
しかし次の瞬間――
アインは突然、頭を押さえて床に膝をついた。
「っ……待って……まだ出てこないで……」
苦しそうに呟く。
だが数秒後、何事もなかったかのように立ち上がった。
「……行きたい場所があるの」
アインは真っ直ぐラックを見る。
「そこで、私が捕まった経緯を話す。
その話を聞いて、それでも私が悪人だと思うなら……」
少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「その時は、収容所に送り返していいよ」
「……はぁ」
ラックは深くため息をつく。
そして鍵を元の形に戻し、胸元の紐へ結び直した。
「分かったよ」
「で、行きたいところってどこだ?」
「んー……私の家なんだけど」
アインは少し考えるように顎に手を当てる。
「もう家は残ってないかもだけど……ここから近いと思う。ついてきて!」
そう言うと、玄関へと歩き出した。
「はぁ……」
ラックは頭を掻く。
「お前、脱獄者だろ。多分もう指名手配されてる」
淡々と忠告する。
「目立つようなことはするなよ」
そう言って、玄関のそばで伏せているシバの頭に手を置いた。
「シバは留守番しててくれ」
シバは目を閉じたまま、特に反応を見せない。
「じゃあ――レッツゴー!」
元気よく扉を飛び出していくアイン。
それとは対照的に、ラックはどこか憂鬱そうな表情を浮かべながら、ルールオブを後にしたのだった。




