異常者用収監刑務所
時刻は早朝三時。
夜と朝の境界が曖昧になる時間帯。
街の喧騒は消え、世界は静まり返っている。
ラックは、犯罪を犯した異常者が収監される施設――
異常者専用収監刑務所の前に立っていた。
人間以外の異常者は極めて珍しい。
そのためシバも、この施設へ収容されたという情報をサイフォンから得ている。
巨大な外壁が施設をぐるりと囲み、
四隅には監視塔。
それぞれに一人ずつ監視員が配置されている。
外壁の中央には、無機質な外観の本棟。
来るもの去るもの両方一人も許さない作りである。
だが――
ラックは余裕の表情で正門の前に立つ。
門の奥で警備員が怪訝な視線を向けるが、気にする様子はない。
「おはようございます。
セキュリティ点検に参りました。アラン・スミシーです」
キャップ帽を脱ぎ、爽やかな笑顔を浮かべる。
「セキュリティ点検だと? そんな話は聞いていないぞ」
当然の反応。
だがラックは落ち着いたまま、胸元から鍵を取り出す。
「そんなはずはありませんよ。
この通り、門の鍵を預かっています」
そう言って、何の躊躇もなく鍵穴へ差し込む。
――カチリ。
錠が外れる音。
ラックの異常により難なく門が開かれる。
警備員の目が見開かれる。
「待て、確認を取る」
無線を取り出し、どこかへ連絡を入れる。
だが返答はない。
「……チッ、寝てやがるな。
すまない、どうやらこちらの連絡漏れらしい。入っていい」
「ありがとうございます」
ラックは軽く会釈し、堂々と中へ足を踏み入れる。
背後で警備員の声が響く。
「監視員各位。これより点検担当が本棟へ入る。
警報システムを一時的に遮断してくれ」
――完璧だ。
ラックは内心で微笑む。
本棟の入口も、難なく突破。
中には別の警備員が待っていた。
「看守のスタードだ。
話は外のやつから聞いている。
念のため同行させてもらうぞ」
制帽を被るその看守は帽子の下は坊主頭であり、鋭い瞳で威圧感を与えてくる印象である。
「助かります」
人懐っこい笑み。
スタードと名乗る看守に連れられ監視室へ向かう。
そこは施設全域の監視カメラとセキュリティを統括する中枢だった。
警備員が扉前に立ち、腕を組む。
ラックは中央の椅子に腰掛け、モニターを操作し始める。
(シバはどこだ……)
画面を一つずつ切り替えていく。
収監室、廊下、管理区画。
そして――
(いた。C棟F6)
檻の中。一匹の柴犬が丸まって寝ていた。
ラックは鍵をモニターに素早く刺して右側に曲げると何事もないように口を開く。
「一点、監視カメラに不備を見つけました。
C棟F6を担当しているカメラです」
スタードが反応する。
「不備だと?」
「はい。映像が真っ暗ですね。
該当の監視カメラを修理しに行きましょう」
ラックは腰にぶら下げている工具箱からドライバーを手に取りながら警備員に伝える。
スタードは不思議そうに首を傾げるが素直に案内をする。
「出してくれよ!」
「へへへ...」
「...」
牢屋の前を通るたび、囚人たちの視線が突き刺さる。
好奇、嘲笑、敵意。
看守以外の人間が通ることは滅多にないのだろう。
鉄格子越しに伸びる指先。
低く唸る声。
「気をつけろ。ここの囚人たちは“異常を使えない”とはいえ、全員が凶悪犯だ」
スタードが低く言う。
「へぇ。
どうして使えないんですか?」
ラックは軽い調子で問いかける。
だがスタードは即座に首を横に振った。
「悪いが、部外者に機密は話せない」
「そうですか」
ラックはあっさり引き下がる。
最初から期待していなかった。
やがて足が止まる。
「ここがC棟F6だ。
お前が言っていた監視カメラはあれだろう」
スタードが前に立ち、壁上部のカメラを指差す。
右側の牢屋。
そこには――
一匹の柴犬。
前足に拘束具をかけられ、静かに座り込んでいる。
眠っているのか、気配を殺しているのか。
だが確かに生きている。
(シバ……)
ラックは胸元の鍵を、静かに握る。
音もなく。
呼吸を整え。
そして――
一歩、踏み込む。
鍵を逆手に持ち替え、
スタードの後頭部へと突き立てる。
「やっぱりな」
低い声。
次の瞬間。
スタードの身体がわずかに沈み込み、
そのまま鋭くバックステップ。
鍵は空を切った。
「……!」
スタードは振り返り、距離を取る。
「監視カメラのレンズの反射を利用してお前の動きは注意深く見ていた」
監視カメラを指差したあと、スタードはゆっくり両手を横へ広げる。
次の瞬間――
ボッ、と音を立てて両掌から炎が噴き出す。
揺らめく橙色の光が廊下を照らし、鉄格子に影を踊らせる。
「侵入者だな」
炎は腕を覆い、肘まで燃え上がる。
しかし皮膚は焼けない。
それが異常。
「牢屋送りだ」
炎を生み、操る異常。
それが――
この異常者専用収監刑務所を守る看守、スタードの力。
廊下の奥で囚人たちがざわめく。
「おいおい、面白ぇことになってきた」
「燃えるぞ……」
ラックはゆっくりと鍵を構え直す。
その顔に焦りはない。
むしろ――
少しだけ、楽しそうだった。
「異常者達を相手にしてるんだ。
そりゃぁ持ってるよな」
両者に緊張が張り詰める。
スタードが地面を蹴る。
爆ぜるように炎が散り、一瞬で間合いを詰める。
「はぁッ!」
炎に覆われた右拳が一直線に振り抜かれる。
ラックは鍵を刀状に伸ばし、斜めに受け流す。
金属と炎が擦れ、火花が散る。
その勢いのまま、顎目掛けて鍵を振り上げる。
「甘い!」
スタードの両足から炎が噴き出す。
推進力。
身体が宙へ跳ね上がる。
同時に、空中から踵落とし。
「っ!」
ラックは鍵で受けるが、衝撃を殺しきれない。
床を滑り、壁へ叩きつけられる。
「死んでくれるなよ」
スタードが両手を前へ突き出す。
その掌の間に、小さな火種が生まれる。
それは瞬く間に膨れ上がり、
人の胴ほどの球体へ。
さらに。
さらに。
廊下を埋め尽くすほどの灼熱。
「――炎陽」
解き放たれる。
轟音。
灼熱の奔流が一直線にラックへと迫る。
だが。
「オープン」
ラックは何もない空間へ鍵を振り下ろす。
――裂ける。
空間そのものが、布のように裂ける。
裂け目の奥は、光を拒絶する漆黒。
炎陽はその裂け目へと呑み込まれていく。
音もなく。
熱もなく。
ただ、消える。
「クローズ」
鍵を軽く捻る。
裂け目は静かに閉じた。
焦げ跡一つ残らない。
スタードの表情が初めて歪む。
「お前……何の異常だ?」
炎を全身に纏いながら、低く問う。
ラックは鍵を肩に担ぎ、笑う。
「開けて、閉めるだけだよ」
軽い口調。
だが内心は冷静ではない。
(この騒ぎだ。応援が来るのも時間の問題……)
視線を走らせる。
監視カメラ。
牢屋。
拘束具。
(……賭けるか)
スタードが炎を爆発させる。
一瞬で接近。
「炎拳!」
炎に包まれた拳が振り下ろされる。
ラックは地面を蹴り、宙へ。
拳が床を砕き、爆炎が舞い上がる。
「伸びろ」
ラックの鍵刃が、音もなく伸長する。
刃は一直線に牢屋へと走る。
スタードではない。
狙いは――
「オープン」
拘束具に触れた瞬間、
錠が外れる。
「しまった!」
スタードが反転し、シバへ駆ける。
異常を封じる手錠。
それを掛け直すために。
だが――
遅い。
「グルルル……」
低い唸り。
床が軋む。
檻の中の柴犬の体が、膨張していく。
骨が軋み。
筋肉が肥大し。
毛皮が逆立つ。
体長十メートル。
天井すれすれまで巨大化した影が、牢屋を満たす。
瞳が、赤く光る。
次の瞬間。
巨大な爪が振り抜かれる。
鉄格子が紙のように裂け、吹き飛ぶ。
「ガァァァァァァ!!」
咆哮。
衝撃波のような声が廊下を震わせる。
囚人たちの悲鳴。
警報が鳴り始める。
スタードが歯を食いしばる。
「最悪だ……!」
炎と獣。
そして、その中央に立つ鍵の男。
ラックは静かに呟く。
「さて――ここからが本番だ」




