圧倒的解放感
「それでは、私はお嬢様を連れて先にリガの街に向かう。貴様はゆっくり歩いてくるがいい」
「ええ。それより、保存食はそれだけでいいんですか?」
「問題ない」
チェリルを背負ったままで、マリカが僕へとそう言ってきた。
背負われているチェリルに渡したのは、僅かなパンと干し肉を数切れである。多分、一日分もないだろう量だ。僕としては、食事の必要もないし全部渡しても良かったのだけれど。
「私がお嬢様を揺らさない程度に走れば、リガの街など今日中には到着する」
「何度も聞きますけど、あなた本当に人間なんですか」
「私など、故郷の師父たちに比べれば大したことはない。所詮、私は影者の真似事をしているだけだ」
「影者、どれだけ凄いんですか」
全力で、ユクト皇国に行きたくなくなってきた。あの国にも、聖剣三本くらい刺さってるんだけど。
うん。
ユクト皇国に行くのは、最後にしよう。それまでに他の国の聖剣抜いておけば、僕の権能も二つや三つくらいは復活してくれるだろうし。
「それではゼノさん! お先に行きますねー」
「はい。道中気をつけて」
「問題ない。私がいる」
「まぁ、そこは信頼していますよ」
少なくともマリカがいれば、チェリルが危険に遭うような事態にはならないだろう。
盗賊の集団とか魔物の襲撃とかがあっても、多分マリカなら蹴りだけでどうにかなるだろうし。
「お嬢様、走りますね」
「では、わたしは寝ますねー」
「はい。お嬢様を起こさないよう、最低限の揺れで向かわせていただきます」
「すぴー」
「さすがはお嬢様。眠ると宣言して二秒で眠ることができるとは、最早神業でございます」
「褒めてる本人寝てますけど」
もう、マリカのフィルターを通すと全部「さすがはお嬢様」になるんだろうな。
まぁ、僕も彼女らに振り回されない、のんびりとした一人旅ができることだし、良しとしよう。
「では」
マリカが短くそう言って。
そして――風が、吹いた。それだけである。
その次の瞬間には、マリカとチェリルの背中は遥か遠くにあった。
「……」
ほんの一瞬での移動。
音もなく、ただ風だけを残して。
だから僕は、何度となく彼女に言っている言葉を、ここで呟くのだ。
「あなた本当に人間なんですか」
僕の呪い、全部解けてもマリカに勝てる気がしない。
「ふー……」
チェリル、マリカ、ベルグラードと分かれて二日。
僕は、一人旅を満喫していた。
そもそも僕は、魔王として全盛期であった頃から、こうして一人、のんびり世界を巡るのが好きだったんだ。
時には動物の鳴き声に癒され、風に髪を靡かせ、木々の葉が擦れる音、小川のせせらぎ、そんな自然の音楽に耳を傾け、のんびりと歩むのが大好きだったんだ。
この最近、こんな風に穏やかな旅路を歩んだことがあっただろうか。
ポンコツ勇者のポンコツ発言を聞かされ、人間やめてるメイドのポンコツ信仰を聞かされ、最近入った謎の喋る剣の無駄に大きい声を聞かされ、僕の精神は随分と削れていたらしい。
そう、今僕が感じているのは。
「圧倒的……解放感……!!」
誰も気にする必要もなければ、誰の発言に突っ込みを入れなくてもいい、そんな時間。
ああ、今までは当たり前のようにあったこの時間が、こんなにも穏やかで素晴らしいものだったなんて。失って初めて、この当たり前の日常が輝いて見えるものなのか。
そう、僕は疲れていた。
心から、疲れてしまっていたんだ。
あんなにも、訳の分からないパーティメンバーに囲まれている結果、僕の精神はごりごりすり減ってしまっていたんだ。
「あー……もう、リガの街に行きたくない……」
僕の中で、色々と鬩ぎ合っている。
一つは、この穏やかな日常を取り戻してもいいんじゃないか派。
僕の体には、確かに呪いが刻まれている。弱体化し、筋力は老人並で、ろくに魔術も使うことができない体だ。冒険者として生きていくには、あまりにも弱いと言えるだろう。
だけれど、たまに街で氷作りを行えば、それなりに稼げる。そして、一人で旅をしても僕は魔物に襲われない。何せ魔王だし。僕の旅って、せいぜい脅威になってくるのは盗賊くらいのものだ。それでも、いくら刺されても死なないから、死んだふりさえしておけば勝手に去ってくれるだろう。
わざわざ、ポンコツ連中を連れて疲れる旅をしながら、呪いの解除なんてしなくてもいいんじゃないか――そう、囁いてくる。
「でも……」
しかしもう一つは、それでも呪いを解きましょう派。
僕は今まで、千年以上生きてきている。そして、チェリルと出会って現在までの時間は、長い時を生きる僕にしてみれば一瞬の出来事でしかない。
今後の勇者が、チェリルみたいに扱いやすい相手とは限らないし、これが僕の呪いを解除する最後の機会かもしれないのだ。そうでなくとも、少なくともチェリルが天寿を全うし、次の勇者が生まれ、その勇者が旅立つまで待たなければならないと考えると、百年弱くらいは待たなければならないだろう。僕もこの貧弱な体で、百年弱も過ごすのは苦痛だ。
ならば今、耐えるとき。
全ての聖剣を抜いて、僕の力を再び取り戻すための好機なのだ。
今だけどうにか耐えれば、僕は全盛期の力を取り戻せる――そう、囁いてくる。
「……」
ああ、どうしよう。
そう考えている間に、見えてきた街。まだ遥か遠いけれど、確かに街道の先に街が見える。あれは、リガの街だ。
既に、チェリルとマリカはあの街に到着し、高級ホテルに泊まっていることだろう。僕はこのまま歩いて行けば、多分二時間くらいで到着してくれるはずだ。ぎりぎり、日が沈む前には街に入ることができるだろう。
ああ、行きたくない――。
「はぁ……まぁ、覚悟しましょうかね」
僕の中での怠惰を、どうにか追い出して。
リガの街へと、歩みを進める。
僕のこの呪いを、解くために。
勇者の聖剣を、ぜんぶ抜くために。




