隙間のお仕事
「やれやれ……」
窓から去っていった女性――僕以外に誰もいなくなった部屋の中で、大きく溜息を吐く。
変なトラブルは避けたかったのだけれど、いきなり襲われてしまった以上、僕にはどうにもできないことである。今回はとりあえず、僕が魔王であり聖剣を抜いて封印を解きたいという目的があることさえ、察知されなければそれでいい。
最後に言われた「この魔王がっ!」という台詞も、あくまで比喩だと思うし。
「しかし、面倒なことになりましたね」
間違いなく、あの女性はチェリルの関係者だ。
そして、恐らくチェリルを陰から護衛するように命じられていたのだろう。あれだけの強力な護衛を用意できるほど、チェリルの実家――ゴルトベルガー家は名家だということだ。そして、チェリルのことを「お嬢様」と呼んでいた以上、チェリルとも面識はあると考えていい。
そんな相手に対して、僕は召喚魔法の使い手だと示した。まぁ、ああでもしなければ離れてくれそうになかったから、苦肉の策だったのだが。
「……とりあえず、口先で騙すことができただけでも、良しとしましょう」
実際のところは権能を一部開放しただけで、召喚魔法というわけではない。
召喚魔法のことを、女性は「魔物を使い魔にする」と言っていたけれど、厳密には違うのだ。召喚魔法により呼び出されるのは、精霊や神獣など善性に拠っている存在である。だが、その見た目がどうしても人間や動物から乖離した魔物に見えるがゆえに、「魔物を使い魔にする」と言われているのだ。そして、これは存在そのものを空間に召喚することが特徴でもある。
比べて僕の権能は、魔物である雷纏馬の下半身を顕現されるものであるため、厳密に言うと召喚魔法とは一線を画したものなのだ。
それこそ、本当に召喚魔法の使い手が僕を見れば、異常だと分かるほどの。
まぁ、その使い手がいないからこその、失われた魔法なのだが。
「はぁ……」
僕はゆっくりと、寝台に腰掛ける。
チェリルの弱さといい、僕の虚弱さといい、謎の女性といい、これからの旅路に不安しかない。
だけれど、なんとかしなければならない。
僕は聖剣を抜いて、僕の体に刻まれた、この呪いを解除しなければならないのだから。
一晩、僕は寝台に寝転がったままで過ごした。
残念ながら、殺されそうな状況になって眠ることができるほど、僕は神経が図太くない。そもそも眠らなくてもいい体であり、本当に安全が確保されている状況でない限り、眠ろうとも思わない。
死なない体である以上、食事も睡眠も娯楽に似たようなものだ。摂ってもいいし摂らなくてもいい。まぁ、何も食べなければチェリルが怪しむから、彼女と食事を共にする場合は摂取するけれども。
「ふぅ……」
空が白んできたのを確認して、小さく溜息を吐く。
ひとまず今日は、チェリルのところには行かない。彼女には、二日後――明日の朝に迎えに行くと、そう伝えてある。つまり、今日の僕は自由ということだ。
自由といっても、今後の旅路のことを考えれば、今日は労働に従事しなければならないのだが。
「よっ、と。出ますかね」
ちなみに、一晩待ったけれど、僕以外にこの部屋に入ってくる者はいなかった。
僕を間違いなく殺すために、最初からあの女性が、部屋の寝台を三つ確保していたのだろう。そして、残る一つの寝台を僕が使う――それにより、女性と僕だけが部屋にいる状況を作り上げたのだ。
荷物を抱えて立ち上がり、部屋の扉を出る。
そのまま僕は、宿屋『止まり木』の受付カウンターへと向かった。
「ああ……おはようさん。お前さん、随分と早いな」
むすっとした、愛想の欠片もない主人が、僕に向けてそう言った。
昨日も、全く笑顔もなく「泊まるなら一晩一つの寝台で銀貨一枚だよ」と、視線も交えることなく言った男性である。僕が銀貨一枚を出すと、部屋と寝台の番号だけ告げられた。その間も、ずっとこちらを見ることなく新聞を眺めていた。
今日は新聞がまだ届いていないらしく、手に何も持っていない。
「おはようございます。ちょっと仕事を探そうと思いまして」
「仕事? お前さん、冒険者じゃないのか?」
「魔術師です。一応冒険者ではありますけど、次の出発まで丸一日時間がありまして」
「銀貨一枚だ」
「はい」
主人の言葉に対して、僕は銀貨一枚をカウンターに置く。
無愛想な分、話が早くて助かるというものである。
えてしてこういった安宿の主人というのは、日雇いの仕事の紹介も行っているのだ。どうしてもその日暮らしの者が利用することも多いため、割のいい日雇いの仕事を斡旋して、その仲介料を貰うという形である。
そして、魔術師の日雇いの仕事は、割と金払いの良いところが多いのだ。
「宿を出て右に行って、『ロイヤル・ゼッツブール』の前を右に曲がって突き当たりだ。『魔女の宴』って酒場がある。そこの主人に、『止まり木』の紹介だと言え」
「仕事の内容は?」
「氷作りだ。次に行く場所は、『魔女の宴』の主人に聞け」
「なるほど」
魔術師のできるとても簡単な日雇い――それが、氷作りだ。
僕は水属性の魔法に関しては初歩しか使えないが、それでも初級魔法『氷結』は使うことができる。これは、ある一定の水を氷に変換させる魔法なのだ。
飲食店は食材の保存、冷たい飲み物の提供――そういった仕事に、必ず氷を必要とする。その氷は基本的に商会連合から仕入れるらしいのだが、商会連合が魔術連盟から買い求め、魔術連盟が所属の魔術師によって氷を作成させる、といった手順を踏むため、少なくない手数料がかかるのだとか。
だから、安く氷を手に入れるために、僕のような流れの魔術師に氷作りを要請する飲食店は少なくない。
僕も大した魔力を使うことなく、ある程度の収入が見込める日雇いであるため、良い稼ぎになってくれるのだ。
「ありがとうございます」
「ああ。稼いだら今夜も泊まりに来い」
「ええ、そうさせてもらいますよ」
僕と同室になった女性については、何も言わない。
僕は殺されそうになり、彼女は姿を眩ました――それを、何も言わない。
何故なら、この『止まり木』という宿はそういうところだからだ。一晩、寝る場所を用意する。それだけの場所でしかない。
さて。
僕は今日一日、のんびり氷作りに励むこととしよう。




