恫喝
僕の首にあてられた、短刀の刃。
少しでも彼女が力を入れれば、容易くその刃は僕の首の皮を裂くだろう。僕が少しでも動くと切れる――そんな、絶妙な位置で固定されている。
声を出したり、動いたりすれば、恐らく何の躊躇もなく斬りつけてくる――そんな、固い意志すら感じられる刃先。
「……」
ひとまず、言葉に従う。
僕は残念ながら、首を斬られたいと考えるような被虐趣味者ではないのだ。
死ぬことはないにしても、痛い目に遭うのは勘弁である。
ああ、うん。
僕は一応、死なない。
まぁこれでも、魔王だし。聖剣で僕の体にある核を貫かない限り、僕を殺すことはできない。
でも痛覚とは普通にあるし、致命傷の後の回復ってめっちゃ痛いから、できれば避けたいというのが本音だ。あとは、僕を殺す攻撃をした後に、回復する姿を見られたらそれこそ大騒ぎになるだろう。
だから、僕が死ぬような攻撃はできるだけ避けたいのだけれど。
「よろしい。少しは賢いようだ」
「……」
「では、答えろ。お前の狙いは何だ」
「……」
ええと。
先程、口を開くなと言われたところなんだけれど、この場合どちらが優先されるのだろう。口を開くなと先に言われた方を優先するのか、それとも答えろと後に言った方が優先されるのか。
まぁ多分後者なのだろうけれど、質問の意図が分からない。
僕の狙いって何よ。
「答えろ。お前の狙いは何だ。金か?」
「……質問の意図が、分からないのですが」
「余計なことは言わず、問われたことにだけ答えろ。お前の狙いは何だ」
「……ですから」
ぐっ、と僅かに首元に当たる強さが、やや上がる。
恐らく、もうちょっとだけ力を込めたら切れるだろう。下手に僕が喋っても、喉の上下運動で裂かれるかもしれない。呼吸する動きすら、危うい。
というか、『お前の狙いは何だ』という問いかけが抽象的すぎて、答える言葉がないというのが本音である。
僕の狙い――世界中の聖剣を全部抜く。それでいいのだろうか。
「答えろ。お前は、何を狙ってお嬢様を攫った」
「……はい?」
と――そこで、ようやく二つほどヒントが増える。
お嬢様。攫った。
残念ながら僕は、深窓の令嬢を誘拐した覚えなどない。頭がお花畑で埋め尽くされている自称勇者なら、一応同行してはいたけれど。
そういえばアレ、一応お嬢様だったな。
「狙いは何だ。ゴルトベルガー家の金か。それともお嬢様の体か」
「……あなたは、ゴルトベルガー家の?」
「質問されたことにだけ答えろ。今すぐ、その首と胴に別れを与えてやろうか」
「……狙い、と言われましても」
ふぅ。
とりあえず、悪漢や強盗の類でないことは分かった。
この女性が何者かは分からないけれど、かなりの手練れであることは分かる。気配すら見せない一瞬での肉薄といい、僕を押さえつけて圧しかかり、首元に刃物を寄せる手筈といい、一連の動きは達人のそれだ。
そして、次の瞬間に。
短刀の位置はそのままに、女性は僕の左手――その小指を掌で包み。
「ぐ、あっ……!」
べきっ、という音と共に、体に響く痛み。
一瞬で掌へと包み込まれた小指が、何の躊躇いもなくへし折られた――それを理解するのに、僅かな時間を要した。
何をされているのか分からなかったくらいに、あまりにも流麗に。
僕の小指は、本来あるべき向きとは逆方にだらりと下がった。
「答えないのならば、指を一つずつ折る」
「お、折る、前に言ってくれませんかね……?」
「何を目的に、お嬢様に近づいた。答えろ」
「ええと、ですね……」
僕の目的は、世界中の聖剣全てを抜くこと。
それによって、僕の呪いを解くこと。
聖剣を抜くことができるのはチェリルだけで、聖剣の位置が分かるのは僕だけ。そして今は封印されているため力不足であるけれど、今後封印されていた力が戻ってきた場合、チェリルを守りながら聖剣まで向かうことができるだろう。つまり、ウィンウィンの関係なのだ。
だからといって、そう説明しても納得などしてくれるはずがない。
それに僕が魔王であることは、今ここで明かすわけにいかない。
「僕は……偶然、ローレンス洞窟の奥で、チェリルさんに出会いまして……」
「知っている。お嬢様の手によって抜けた聖剣が、砂になったことは確認した」
「でしたら、話が早い……僕は、聖剣のある場所が分かるんです。そして、チェリルさんは勇者として認められるために、聖剣を手に入れたいと思っています」
「ああ」
チェリルが勇者であることに、全く驚きがない。
やはり、身内である可能性は高いか。
というか、チェリルはゴルトベルガー家――旧貴族家の令嬢だ。ポンコツではあるけれど、一応令嬢なのだ。
そんなご令嬢に対して、影から守るようにつけられた護衛――この女性は、その可能性が高いと思われる。
「ですから、僕がその手助けを、しようかと……」
「何を目的にその手助けをしようとしている」
「ただの善意……って言って信じてもらえます?」
「そんなわけがない。何の目的もなく、偶然出会った相手を信用して助力する者など、いるわけがない。いるとすれば余程の物好きか、真意を隠している悪人だけだ」
「……僕がその、余程の物好きと」
「信じるわけがあるまい」
ぴしゃり、と僕の意見は却下される。
本当のことを言うなら、僕は『真意を隠している魔王』である。だけれど、完全にウィンウィンなんだからいいじゃないか。チェリルは聖剣を抜きたいわけで、僕も聖剣を抜きたいわけで。
「答えろ。お前の目的は何だ」
「……」
つまり僕はここで、この女性に納得してもらうだけの、『チェリルを助力する理由』を考えなければならないのだ。
僕がただの冒険者で、偶然出会ったチェリルが聖剣を抜きたいと考えているから、その助力をする理由を。チェリルがポンコツだと分かっていて、苦難しかない旅路が待っているというのに、それを受け入れてチェリルと行動を共にしている理由――。
……。
……なくね?
「答えないと言うなら――」
「こ、答えます答えます。目的……まぁ、目的というほど、大層なものではないのですが……」
考えろ、考えろ僕。
僕がチェリルと行動を共にしている、その理由を。
この女性に、納得してもらえるだけの説明を。
「ぼ、僕は……」
「ああ」
「む、昔から、勇者に憧れていたんです」
「……」
口元を隠した、目しか露出していない女性。
その目しか、僕には見ることができないのだが。
その視線だけで、如実に語っていた。
何言ってんだこいつ、と。