24話:急な帰還
「うわぁぁ、これは、また……」
「はい……」
親方に薬を渡されてから、安達さんが来るまでに帰り支度をすることになった。
血まみれの服は下着ごとタオルで包んで、袋に入れて渡し済みだ。
支度が済んだタイミングで、本当に安達さんが来てくれて、ちょっとだけホッとしたことは内緒だ。
なんだかこう、ホームシックというか妙に気恥しくなったので、感情ごと無視をする。
そうして部屋の中で現状確認をするべく、かぶっていたフードとタオルを取って見せた。
「見事に戻りましたね」
「はいぃぃ……」
いつもよりも艶のある髪は嬉しいけれど、真っ黒に戻ったことは嬉しくない。
親方から連絡をもらっただけなので、新しい許可証しか持ってきていなかった。
わたしの真っ黒い髪を見て、「カツラを持ってくるべきだったのか……」と心底悔やんでいる。
「いえ、誰も予想なんてできませんよ」
わたしが連絡できれば良かったんだろうけれど、それよりも早く親方がしてくれていたおかげで、もうすぐお昼という速い時間に来れたのだ。
こうなることは誰も予想できなかったことなんだから、許可証以外の用意なんてできなくて当たり前だ。むしろ、カツラを持ってきているほうがおかしい。
連絡をしてくれた親方には、本当に感謝しかない。解毒薬に休みまでくれる上司なんて、表彰されるくらいに素晴らしい存在だ。
久しぶりの黒髪にわたし自身も動揺しつつ、こうなった経緯を話していく。
「……それで、一命は取り留めたんですが、毒を落とすことになりまして。親方にこの石鹸を渡されたんです」
「ああ、なるほど」
使いかけの石鹸を見せたら、納得した顔で頷いた。
この世界の事情や薬も知っている安達さんは、石鹸についても詳しいみたい。
「これは毒の洗浄に特化したものなんです。ただ作り方が複雑なので、持っている人はあまりいないんですよね」
「そうなんですか?」
それこそ、キルゼさんやシーズさんは持っていそうだと思ったんだけどな。
各地を飛び回って素材の買い付けをする業者の二人を思い浮かべながら、道中で毒の危険や毒草を摘んだりしないのかと首を傾げる。
「業者の二人は持っているはずですよ。それこそ、毒を制するために毒を扱うことは日常茶飯事でしょうから」
いくつかそういう薬草も買ったはずだと言われて、弟子がなるべく近付かせようとしなかったことを思い出す。
ちょっと困った顔で微笑んだ安達さんが、小さく頷いた。
「薬草は扱いが面倒なものが多いですが、毒はもっとも気を遣う素材ですからね」
「はい……」
二階の作業場所には、そもそもあんまり近付かないようにと言われている。奥の部屋なんてもっと行ったことがなくて、何が入っているのかもわからない。
なんだか除け者にされた気がして、拗ねた気持ちになっていたけれど、危険から遠ざけてくれていたんだなあ。
弟子の気遣いを知っても、黒髪黒目だと知られたら教会へ連行されるだろう。
どうしたものかと髪をつまむわたしに、いまなら大丈夫だと話していく。
「幸い、全店休業中です。私は裏から来ましたが、そちらも人はいませんでした。タオルで髪を巻いて、さらにフードをかぶればイケるはずです」
「わかりました」
まずは、ここから出て向こうへ戻らないとどうしようもない。急いで来てくれた安達さんは、帰りのこともチェックしてくれていたらしい。……相変わらず、仕事に関しては頼れる人だな。
「モランさんにも確認しましたが、日曜まで休むことになったんですよね?」
「はい。最初にもらった薬が効いているようで、追加の解毒薬も渡されましたが、帰っても問題ないという診断でした」
一つ一つを確かめたら、これからしなくちゃいけないことも確認していく。
「美容室はどうでしょうか?」
「ええと、いつもの人が空いていたら、すぐに染めてもらえると思います」
今日は木曜だから、お店は普通に開いている日だ。
わたしは肩よりも少し下の長さなので、染める時間はそれほど掛からない。
「ネット予約などはしているところですか?」
「はい。……はい?」
ふむと一つ頷いた安達さんが、タブレットを取り出して検索し出した。
え、ここってネットが繋がるの?
「緊急事態ですので、裏技を使わせてもらっています」
「はあ……」
こっちで予約が取れれば安心だけど、それならわたしのスマホも普段から使えるようにできたんじゃないの?
そうすれば、今日だってすぐに連絡できたのにと伝えたら、少し考え込んだ安達さんがニコリと微笑んだ。
「社長に無理をさせることになりますが、よろしいですか?」
「よろしくありません」
これ以上、社長にも誰にも迷惑は掛けたくないです。
向こうの病院は、どういう説明をすれば良いのかわからないので、行かない方向でまとまった。
「どう言い換えても、説明のしようがありません」
「……確かに」
へっぽこ冒険者に生首を渡されて、そこからしたたり落ちていた血が染み込んだことで危うく死にかけました、なんて。
現代でも戦国時代でも意味がわからないし、処置のしようがないだろう。
親方から渡された薬で様子を見て、休み明けに診断してもらうことにする。
「はあ……。いつも迷惑を掛けてしまっていますね」
引っ越しの時も感じたけれど、わたしって迷惑しか掛けてない。
こんなんでも正社員で雇ってくれるとか、親方や弟子にも、会社にも申し訳なさすぎる。
向こうに戻ったら社長さんにも謝らないとと落ち込むわたしに、安達さんが肩をすくめる。
「それこそ、不可抗力じゃないですか。モランさんたちにも、沢村さんが謝る必要はないと言われたんでしょう?」
「そうですけど……」
「謝るべきは毒ごと持ち込んだ二人で、沢村さんではありませんよ」
冒険者二人が平に謝るべき、という言葉には賛成だけれども、そもそもわたしにお礼を渡そうとしてくれたことだ。
「いえ。ゴブリンでランクが上がったお礼に別なゴブリンの生首を持ってくることは、どう考えても異常です。百人に訊いたら、百人が冒険者のほうを殴ります」
「……」
どうしてそういう考えになったのか、さっぱりわからないとまで言い捨てる。
こういう時の安達さんは、絶対に容赦しないよね。
フンッと一息吐いたら、タブレットを片付けてすぐに立ち上がった。
「では、美容室の予約も取れましたので戻りましょうか」
「はい」
タオルを巻いてフードをかぶったら、向こうへ帰ることにしよう。
親方と弟子に挨拶を済ませて、そそくさと裏口から例の扉がある場所まで足早に向かうことにする。
「明るいですが、夜逃げをしている気分です」
「誰も歩いていないところも、余計に感じますね」
人目を気にするように、ちょっとキョロキョロと周囲を確認しながら足早に裏道を走る二人。とても怪しい。
別な意味で通報されないんだろうかと心配になるほど、色々と怪しい二人組だ。
スニーカーも捨てることになったので、足元がサンダルなところも怪しさに拍車が掛かっている気がする。
そうだった。髪を染めることもだけど、服に靴も買い直さないといけないんだ。
「はあ……」
ペタペタと妙な音を鳴らしながら、扉がある場所へと急いで走った。
扉の前に着いても安心できなくて、ビルから出たところでようやく深呼吸をすることができた。
「はあーーー……」
ちょっとだけ湿った空気、ガタンゴトンと走る電車の音。
何もかもが懐かしすぎて、とっても安心する。
「お疲れさまです」
「いえ。こちらこそ、急に呼び出してしまってすみません」
「仕事ですから構いませんよ」
それに、これからもっと忙しいのだ。
髪を染めたら会社に行って事情を説明して、残りの業務日誌を仕上げる。来週分の許可証の発行もしなくちゃいけないし、今日から月曜の朝までの食料を買わないと食べるものがない。
急に帰ることになったから、いつもよりも慌ただしい。
「そうだ、掃除をしないと家には入れないんだった」
今日くらい、しないでも済むようなことになって欲しかった。
しかし帰ることを決めたのはわたしだし、黒髪のままでは仕事ができない。
ランプの精を呼んで、風でホコリを吹き飛ばしてもらったら簡単なのになあとか思うくらいに、向こうに馴染んだことは、いまは置いておこう。
「はあ……」
これからの予定を考えて、もっと疲れが出てきたよ。
「その前に、昼食がまだですよね?」
「え?ああ、そういえば」
いつもはお弁当を作るけど、今日はない。たけのこご飯をたくさん炊いたので、朝から煮込んでおいた煮染めと一緒に食べようと考えていたのだ。
煮染めは親方に渡して、ご飯はまとめて冷凍してくることになった。
食べていなかったことと食べる予定の料理を思い出した途端に、お腹が鳴った。
……ぐうぅぅ~
「……」
「……」
正直すぎる、わたしのお腹よ。
「食べに行きましょうか」
「……はい」
口元を押さえながら、聞こえないふりをしてくれているらしい。
全身が震えているけれど、必死にこらえて耐えている。……笑いを。
「あの、笑ってもらったほうがありがたいんですけど」
「そうなんですか?……ぶふっ」
わたしの言葉に振り向いた瞬間、目が合ったことで決壊したらしい。
たまらず吹き出した安達さんを見ながら、夕飯を考えてやり過ごそう。
ぐぅ~……
「……」
「……くっ」
催促するように、何度も鳴らなくていいから!




