14話:お家の掃除
「……っていうか、どこまでついてくる気ですか?」
駅に向かうことは、まあいい。安達さんも帰宅しないといけないもんね。
しかしわたしと同じ駅で降りて、買い物にまで付き合うとは意味がわからない。
もうすぐ家が見える道の途中で、立ち止まって尋ねてやる。
だって、同じ方向に住んでいるとは思えないもんね。
薄暗くなった街では、家や電柱の灯りがぽつぽつと点いている。
しかし時間はまだ十八時台。危険な時間帯でもなんでもない。
……まあ、変質者に時間は関係ないだろうけど。
「ええ、そうです」
まさにそれだと、一つ頷かれた。
……いや、どれだよ。
「昨年末までは九時十七時勤務で、就職が決まるまではほとんど家にいたんですよね?」
「はあ、まあ……」
仕事探しにハローワークに、食料を買いにスーパーに行ったりはしていたけど。仕事をしていた時期から考えれば、引きこもっていたことは確実だ。
何が言いたいのかはわからないけれど、その通りなので頷いておく。
安達さんも軽く頷いて、ニコリと微笑みながら物騒なことを呟いた。
「ほとんど家にいた状態から、急に五日も不在だったんですよ?不審者が家の中に入っていたり、最悪、住みついていてもおかしくない日にちが経っています」
「えっ!?」
虫の心配が中心で、不審者対策は甘かったかなとは思ったけれども。
五日も帰ってこない家は、虫以外の何かが侵入している可能性があると言われてしまった。
「そもそも、一人暮らしの女性宅です。金目の物がなくとも、盗聴器や監視カメラなどが仕掛け放題ではないですか」
「……」
「いまは素人でも、簡単に世界中に発信できる時代ですよ」
それをしそうな人は目の前にいるけれども……何度もしていないと言われたし、実際、ブツは出なかったもんね。
しかしそれは出掛ける前までの話で、風呂やトイレなんかに仕掛けて来週以降に回収されても、家主がいないんだからやりたい放題だと厳しい顔で付け加える。
「沢村さんに関しては、万全のサポートをという上司の命令です」
ポンと鞄を叩いて、そういうブツの発見器も持ってきたと話していく安達さんの顔が楽しそうなのはどういう意味だ。
「はあ……。じゃあ、お願いします」
「わかりました」
夕食くらいは出してやろうと思いつつ、久しぶりの我が家に向かって行った。
「うん?……おっと」
扉周辺に特に変わった様子はないなと二人で見て、一応、表札にも不審な番号や数字なんかが書かれていないことを確かめる。
何人で暮らしているとか不在の時間とか、次に来た時の参考にするために表札にメモって行くらしいもんね。
とりあえず一安心かなとホッとして、鍵を入れたところで異変に気が付いた。
スーッと、上から降りてくる八本足の物体。
「……蜘蛛か」
「うわっ!?」
五日間、まったく不動の扉は蜘蛛には居心地が良かったんだろう。
日にちが経っていることが分かる、色々なものがついている立派な蜘蛛の巣が、扉の上のほうを陣取っていた。
これはさすがに、予想していなかったな。
一歩下がった安達さんに、もっと後ろに下がるように伝えて。鍵を開けたら玄関の脇に用意しておいたホウキで、巣を丁寧に絡めながら取っていく。
バサバサとちり取りでホウキについた蜘蛛の巣を取ったら、ついでに表も掃いておこうか。
「近付いても大丈夫ですよ、安達さん」
「……かなり大きくなかったですか?」
不審者が部屋に入っていたら任せろと勇んでいたはずなのに、それよりも小さな蜘蛛には近付きたくもないらしい。相変わらず、虫が苦手っぽいな。
「安達さんも一人暮らしですよね?虫がいたらどうするんですか?」
「虫が侵入しないように常日頃から気を付けています」
「そうですか……」
答えのような、答えじゃないような。
深く考えないことにして、思いっ切り玄関扉を開けることにしよう。
「……うわぁ」
向こうから戻ってきた時も湿気があるなあと感じたけれど、その比じゃない。
五日間、まったく空気が動かない室内って、こんなに湿気とホコリがひどくなるのか。
外用のホウキを片付けたら、まずはブレーカーを上げていく。
さすがにカーテンも開けていない部屋は、暗くてなんにも見えないや。
「うわぁ……」
ツツーッと指を撫でる、テレビでよく見た姑のあの仕草がしたくなったぞ。
そのくらいにホコリが積まれてあることがわかるし、このまま無視して入れないこともわかる。
「やっぱり、もう少し離れていてください」
怪しい人がいないかうしろから覗き込んでいた安達さんに、ホコリがひどすぎることと、掃除が済むまでは近付かないように伝えていく。
これはアレだな。天井を掃きつつ床を掃きつつ進んでいって、雑巾で往復しないと自分以外は入れられない。
マスクをしたらリュックを担ぎ直して、早速、掃除の準備に取り掛かる。
「人は住み着いていなさそうですから、もう帰りますか?」
玄関から奥の部屋に行ったら、キッチンと風呂場を掃除する予定だ。
部屋を掃除したら布団を乾燥機にかけて、風呂にはお湯を貯めるのだ。
それから冷蔵庫に食材を入れつつ、夕食作りが始まることになる。
これからの流れを話して、人の気配がしないから帰っても大丈夫だと伝えたら、何をしに来たと思っているのだと、自分の鞄を叩いて言った。
「人はいなくとも、侵入したかもしれないじゃないですか。掃除が完了次第、部屋には入らせてもらいますよ」
「……わかりました」
掃除の手伝いは、相変わらず業務外らしい。
清々しいくらいに掃除はしないとキッパリ言って、その後の調査はしっかりすることを話していく。
自分の家を人に掃除をさせることには、抵抗があるからいいけどさ。
向こうでだって、監視役を徹底していた人だもんね。
「ふう……」
ようやく畳を綺麗に拭いて、さっぱりした気持ちになる。
ホコリが積もっていると、畳って滑るんだなあ……。勉強になった。
就職が決まる前、海外旅行にでも行っていたら気付いたかな。
せいぜいが二泊三日の研修旅行で、春先だったもんね。
「こっちも大丈夫そうだな」
一応、念のために流しとお風呂は少しだけ水を貯めたら、一気に流してみる。
……よしっ。変な臭いもしないし、虫が這いあがってくることもない。これなら来週も大丈夫そうだね。
洗面所も同じように貯めた水を流していって、トイレもついでに確認する。
「虫も湧いていませんでした。今度こそ、入っても大丈夫ですよ」
「わかりました。では、お邪魔します」
流しも洗面所も、すべて蓋をしておいたことも良かったのかな。
風呂桶にお湯を貯めながら、夕食の支度を始めようっと。
「……」
玄関で発見器を取り出す安達さんのほうが、とっても怪しい見た目だと気付いたけれど。無視しよう、うん。
「古いアパートのわりに隙間がありませんね。これなら来週も問題ないでしょう」
「ありがとうございました」
一通り、各部屋を細かく確認した安達さんが一息吐いて、盗聴器も監視カメラは特に見つからなかったと話してくれた。
窓にも変な仕掛けがなくて、ひとまず安心だね。
……うん。いちいち、「この場所は死角なんですよ」という言葉と慣れた手際がまた別な疑問が浮かんできたけどね。うん。今日のために勉強したんだねってことにしておこう、うん。
床は五日分のホコリが積もっていたけれど、誰の足跡もなかった。しかしタイル敷きの水回りは足跡がつきにくいらしく、油断は大敵だと言われてしまった。……はい。
「風呂場の窓で、細長い板が何枚か並んでいるタイプを見たことがありませんか?あれは一枚ずつ外せば侵入できるので、鍵付きの普通の窓よりも危険なんですよ」
「そうなんですか?」
「昔は外枠だけしか囲まれていなかったので、出来たことですけれど」
「ふぅん……」
柵代わりになって頑丈かと思っていたのに、そういう裏技があったのか。
昔と今の違いも聞きつつ、味噌を溶かしていく。
「まあ鍵がある以上、どの場所も開けられることが前提ですね」
「ですね」
どんなに頑丈な金庫だって、いつかは開けられるもんね。
外の扉も問題ないし、鍵穴にこじ開けた跡はなかった。これで我が家は狙われていないことがわかったね。良かった。
ついでに、これで夕飯も完成だ。
ホッと一息吐くわたしに、鞄を担いだ安達さんはやんわりと首を振っていく。
「まだ一週目ですから、様子見だけで済んだのかもしれません。今月はあと二回、週末に戻って来れますが、来月は月に二回しか戻って来れないでしょう?」
「……はい」
何かあってからでは遅いので、対策を考えたほうが良いかもしれないと、物騒なことを呟いていく。
いままで何もなくても、急に平日が空き部屋になったら狙われるかもしれないんだもんね。
「わかりました。虫以外の侵入もないように考えてみます」
生ゴミの処分と掃除をしっかりしていけば、虫は今日みたいに表の蜘蛛くらいで済むだろう。
しかし人間の侵入者に関しては、蓋をするくらいでは難しい。
「表の鍵をもう一つ増やすとか、窓の防犯も追加したほうが良さそうです。まずは入りにくいと思わせることが大切でしょう」
「わかりました」
中にも三つ、鍵はあるけれど。外は一つじゃ、出掛けた時に困るもんね。
荷物が多い時に早く開けたくて、表は一つでいいやと過ごしてきたけれど。もう一つくらい増やすかと考えるわたしの前で、鞄を抱えた安達さんが立ち上がった。
「では、また来週」
「え?」
鞄を抱えた安達さんは、いつもの素早さで玄関にスタスタと向かって行く。
「ち、ちょっと」
ここまで付き合わせておいて、お茶の一つも出していないんだけど!?
「せめて、夕食でも食べて行ってください」
「さすがに十九時を過ぎましたので、これ以上、女性の一人暮らしの部屋にお邪魔するわけにはいきませんよ」
ちょうど出来上がる頃だろうと思って、二人分の用意をしておいたのだ。
サッサと靴を履く安達さんの鞄をつかんで引き止めても、さすがに時間が遅いと断られてしまった。
「ええと、じゃあ、明日のお昼でも」
「休みは休むように、親方に言われたんでしょう?」
「ええと、ええと……」
業務時間外に仕事をさせてしまったのに、何かお礼をしなくては困るではないか。
「これも仕事ですから、気にしないでください」
「でも、残業代は出ないですよね?」
「それは、まあ……」
タイムカードを押してきたなら、完全にサービス残業だ。
作ったばかりのおかずでも詰めて渡そうか。しかし外食中心の人の家に、食器を洗う洗剤やスポンジはない気がする。そもそも、皿や箸があるのかも不明だ。
鞄をつかみながら悩むわたしに、それならと安達さんが手を叩く。
「では、回らない寿司屋に連れて行ってください」
「え?」
「初任給が入ったら行くと言っていましたよね?私も前から気になっていたんですが、さすがに一人では入りにくいので」
クビになるまでは毎月、給料日に行っていたお寿司屋さん。
カウンターとテーブルがあって、時価のネタばかりの中で唯一、金額が決まっているお任せセットを頼むことが定番だった。
「その、お店ですか?」
「そうです。一度、回らない寿司屋という場所に行ってみたかったんです」
お任せセットはわたしが毎月、頼めるくらいのお手軽価格だ。
今日やもしかしたらこれから毎週末、お世話になるお礼と考えればひどく安い。
「いえ、会計は別でお願いします」
「……まさか、経費で落とすわけではありませんよね?」
「その時は上司の財布をいただいて向かいますよ」
「……」
それなら結局、残業代代わりに社長さんが出すことになるじゃないか。
「わたしがお世話になったんですから、わたしが払いますよ」
「いえ、それはいけません」
「なら、連れて行きません」
いますぐ引き返して夕食を食べるか、大人しくおごられるか選べと脅してやる。
クイッと部屋を指差したわたしと部屋の奥を見比べて、ちょっと微妙な顔になりながらも小さく溜息を吐いて観念したらしい。
「……では、給料日にご馳走になります」
「わかりました」
ではまた来週と見送ったら、お風呂に入って夕食をいただくことにしようっと。
「ふう……」
今夜は畳マットじゃなくて畳の上で、ベッドじゃなくて、布団の上で眠ることになるんだなあ。
たった五日間、向こうにいただけなのに、とっても懐かしい気がするね。
「とりあえず、畳に転がろう」
大の字になって、思いっ切り伸びをする。
「はー……、ただいま」
明日はホームセンターに行って、おつかいの品物と新しい鍵を買って来よう。




