15話:怒られ週末
「んー?」
ピピピッといつもの目覚まし音が響いて、ちょっとだけ懐かしいと思える天井が目に飛び込んできた。
「……あ。そうだった、帰ってきたんだった」
高すぎるベッドから落ちることもなく、手を伸ばしたら畳が指に触れた。
ただそれだけなんだけど、妙にホッとするなあ。
やっぱり、ここがわたしの帰る家なんだなと実感したことで、支度をして掃除をしてと、いつもの動きをしていった。
掃除は昨夜、徹底的にしたからか、気になるような汚れはなさそうだ。
「んー……でも、日曜の夜と月曜の朝もきちんと掃除をしてからじゃないと、仕事に出掛けらんないんだよね」
日曜の夜はお風呂掃除をして、ある程度の場所の掃除を済ませておかないといけない。月曜は水回りの掃除をしたら蓋を閉めて、週末に出たごみを捨てに行かないと虫が湧く。
「結局、掃除をしに帰ってきた感じだなあ」
自分で決めたこととはいえ、こうも掃除で休日が埋まると疲れるなあ。
「はー……。もっと疲れそうなことが、これからあるんだった」
肩溜息を吐いて、十時集合という約束を思い出しながら食器を洗う。
「ん?」
報告をしなかったわたしが悪いかと諦めたら、珍しい人から電話が来ていた。
「はい、沢村です」
『おーっす。どうだ、就職は決まったか?』
「岸さん……」
全然変わっていない岸さんの声で、こっちにも報告をしていなかったことを思い出したよ。
「あいにくですが、無事に決まりました」
アッサリ報告をしたわたしに、岸さんがあからさまにガッカリした溜息を吐く。……のかと思ったら、カラッと明るい声が返ってきた。
『なんだよ、めでたいな!』
早く言えよと笑いながら、わたしの再就職を喜んでくれる。
岸さんには散々、心配を掛けていたもんなあと思いつつ、電話をしてきた用事を尋ねる。
『急に暑くなったせいで、トマトの収穫が追い付かねえんだ。サワがまだ決まってないなら、こっちに手伝いに来いって誘おうと思ったんだよ』
「……トマトって、ハウスの中じゃないですか?」
五月の時点でも、昼間は人が入れる温度じゃないって言っていたはずだ。
そんな中に素人を放り込もうとしているなんて、恐ろしい元同僚過ぎる。
でも、こういう時の岸さんは、ちっとも悪びれない。
だって岸さんにとっては当たり前のことだもんね。
『朝の五時に入れば問題ないって』
「いくら日が昇る時間でも、五時は寝ている時間です!」
『阿呆。農家が九時十七時で動くほうが死ぬわ』
その理屈を理解はしても、絶対に自分には無理だとスマホ越しに首を振って断固拒否をする。
五時に起きて日中に四十度にもなるハウスに入れなんて、死ぬ。確実に。
勘弁してくれと言うわたしに、今度こそ呆れた声が聴こえてきた。
『サワ……この程度で死ぬとか、休み過ぎて軟弱になったんじゃないか?』
「九時十七時勤務しかしたことがない一般人に、農家の常識を言わないでくださいよ!」
岸さんにとっては当たり前で慣れていることでも、五時に起きて八時までハウスを回り、朝食を済ませたら畑や田んぼを回ったり、収穫した野菜を箱詰めしたり、なんて。
明確な勤務時間が決まっていないところも、空腹のままハウスに行くことも無茶すぎる。
……いやこれ、誰でも無理じゃない?早死にしない?
「岸さんこそ、無理をして倒れないでくださいよ」
『わかってるって。つーかたぶん、オレの代で農家も廃業だろうからなあ。できる歳まで頑張るつもりだけど、まあ、無理はしねえよ』
「え?」
畑を趣味の家庭菜園として、もう少し歳をとってもできそうだけれど。さすがに田んぼは考えないといけないと、会社にいた時のように将来設計を話していく。
こういうところも、全然変わってないなあ。
子供がいても、継いでくれるとは限らないもんね。
わたしの実家だって、わたしが帰るということを想定していない家に建て替えてしまっている。
あれもどうなんだと呆れていたら、時間を知らせるバイブが鳴った。
「すみません、これから出掛けるんです」
『ああ、悪い。そうだ、住所は変わってなかったよな?』
「へ?……はい。前の会社にいた頃と同じアパートですけど?」
それがどうしたのかと尋ね返したら、『再就職祝いを送ってやる』という返事が返ってきた。
「え!?いやいや、良いですよ」
『遠慮すんなっつーか、逆にもらって欲しいくらいなんだよ』
「へ?」
『トマトやキュウリっつーもんは、一気にできる野菜だからな』
ちょっとげっそりした声で、売るにしても食べるにしてもちっとも追い付かないくらいに毎日、収穫に追われているらしい。
……岸さんちのハウスって、どのくらい大きいんだろう。
確かご両親は健在だったはず。そしてさらに、父親の母まで同居している大家族のはずだ。……奥さん大変だろうなあとかはひとまず置いておいて。
そんな大家族でも消費が追い付かないって、相当な量じゃない?
『近所でも野菜は作ってるから、お互いに作ってない野菜と交換するっつー手も、さすがに限界でな。困ってんだよ』
「ええ、もったいない!」
熟れすぎたトマトはジャムやソースにして、キュウリやナス類は漬物でなんとか消費しているが限界だと話していく言葉に、わたしはものすごく喰いついてしまうけどね。
うらやましいと言っても、冷凍も限界って相当だなあ……。それに毎日がミートソースパスタでは、さすがに飽きるよね。
グラタンは時期的に向かないし、ラザニアも微妙だろう。美味しいけど。あとはカレーくらいしか消費できるメニューが浮かばないや。
……じゃなくて。
消費できない分は捨てるって、もったいなさすぎる。断固反対!
「自家製ソースなんて、絶対に美味しいじゃないですか!」
『おお、美味いぜ。ウチのトマトは酸味よりも甘みが強いからな』
新しい職場に好きそうな人がいれば、一緒に送るというので頼んでおく。
絶対に、親方も弟子も好きな味のはずだ。
「ありがとうございます、いただきます」
『じゃあ、送っとくぞ』
実家から送られてくるものは、お酢とか乾物とかが中心だ。
こういう新鮮野菜は一人暮らしでも非常に助かる。そして岸さん家の野菜なら、絶対に美味しい。いや、食べたことはないけれど。
「あ、そうだった。すみません。いま、平日はあまり家にいないんです」
『あ?出張が多いのか?』
「……そのようなものです」
異世界に住み込みで働いていることは言わずに、出張だと言っておく。安達さんも出張扱いで異世界に行っていたから、完全に間違いではないもんね。
就職先の会社名を伝えたら、すぐに納得した声が返ってきた。
『ああ、そこなら知ってるぞ。従業員は少ないみたいだが、業績を伸ばし続けてるトコだったな』
「へえー」
他業種の会社を知っているとは、さすが、営業成績トップの岸さんだ。
仕事内容も知っているらしく、出張が多いと言うわたしの言葉を疑っていない。
……わたしは他の人の仕事内容、まったく知らないんだけどさ。
『じゃあ、週末指定にすれば良いな』
「はい、お願いします」
次の週末も帰る予定だから、金曜の夜から日曜の午前中なら問題ないことを伝えておく。
って、買い物にも行かないといけないし、またおつかいを頼まれるかもしれないんだった。
『忙しいな。それなら、土曜の午前中なら良いか?』
「そうですね、土曜なら……。お手数をお掛けします」
加工されたソースも自家用だから、野菜と一緒に新鮮なうちに届かないと厳しいよね、お互いに。配達の人だって何度も不在では困るだろう。
来週の土曜の午前中にしてもらったことで、ようやく通話をオフにした。
「ええー、岸さんの家の野菜ですか?絶対に美味しいじゃないですか!」
「だよねえ」
ジタバタと後輩ちゃんが両手をばたつかせて、パスタが食べたいと暴れ出す。
「他にも色々詰めるって言っていたから、お裾分けができると思うよ」
「お裾分けより、岸さんの家の自家製ソースで先輩がパスタを作ってくださいよ。わたし、麺を持って行くんで」
「……そうくるか」
にこりと小首を傾げながら、上目遣いで無茶を言う。
後輩ちゃんは、相変わらずだなあ……。
首を傾げた瞬間に、ふわふわの髪が流れてふんわりいい香りが漂っても、要求が無茶振りすぎてちっとも和まない。
「要求っていうよりも、お詫びですよ、お・詫・び!」
案内をされた椅子に座って、メニューを見ながら詫びを入れろと言ってくる。……ヤクザかな?
「何に対してのお詫びなの」
そして、どうしてわたしがパスタを作ることが後輩ちゃんへの詫びになるのだ。
今日もわけのわからないことが多いなあと呆れたら、くるんと可愛らしい睫毛に似合わない、鋭く細められた瞳で睨んできた。
「そーんなの、いっぱいあるじゃないですか。まずは、この平日、ちっとも連絡が取れなかったこととかー」
「ああ……」
「それに、再就職したのに知らせてくれなかったこととかあー」
「……はい」
指を折りながら、まだまだ文句は尽きないのだとふくれっ面で告げてくる。
引っ越しのドタバタもあって結局、実家にも再就職をしたことはまだ言ってないんだよね。
ムスーッとしながら水を飲み干した後輩ちゃんが、「半年もプーだったから心配してたのにぃ」と、グチグチ唇を尖らせながら文句を言い続ける。
「それはごめん、ありがとう」
定期的に連絡をしていた数少ない人を、蔑ろにしてしまったね。
ごめんと謝るわたしに、ジロッと下から睨みつける後輩ちゃんはまだまだ怒りが収まらないらしい。
「パスタ」
「え?」
「岸さんちの自家製ソースで作ったパスタを作ってくれなきゃ許さない」
「……はい」
そういうわけで、来週末の予定も決まってしまった。
「あー、美味しかった」
「うん。美味しかったね」
アイスティーを飲みながら、久しぶりの外食に満足する。
向こうではレストランが見当たらなかったから、弟子と交代で昼食を作ることも良いかもしれない。
「……」
ふわふわの、毛先まで完璧な後輩ちゃんの髪を見て、自分の髪をつまんでみる。
まだ髪の色は変わってないから、七月の二週目でも大丈夫かな?引っ越しの頃に染めたから、そろそろ一か月は経つんだよね。
髪をつまみながら見上げるわたしに、後輩ちゃんが首を傾げた。
「そういえば、その色が定番になりましたよね。ずっとそれなんですか?」
「んー……、そうだね。あんまりコロコロ変えたくないから」
最初は「なんで赤?っていうかピンク!?」と驚いたものだったけれども。
暗めの色にしてもらったからか、真っ黒の頃よりも落ち着いて見えて、いまでは結構気に入っている。
これを言ったら安達さんが「ほらね!」とドヤ顔しそうなので、言わないでいるけれど。
後輩ちゃんだからそのままを伝えたら、「ふぅん」と反対側に首を傾げた。
「でも、白髪が増えたらもっと明るくなりません?」
「ん?」
「いまはまだ、目立たないのかもしれませんけど。時間が経つと色が落ちて明るくなるのに、白髪増えたら最初から明るくなりますよね。大丈夫ですか?」
「……う、うん。どうだろうね」
真昼間のこじゃれたカフェで、白髪が増えたのではとか言わないでくれ。
目立つくらいの白髪なんてないじゃんね?……え、ある?
美容室の人には内側に少しある程度かな?としか言われなかったけれど、目立つくらいに増えたんだろうか……。
ちょっと急だけど、やっぱり明日のうちに染め直してもらおうかなあ。
「でも先輩って、髪の量は全然変わりませんよねー。わたしは昔から薄いんで気を付けているんですけど、そっちが心配なんですよね」
「そ、そっか……」
女性でも脱毛症になる人はいるらしい。けれど見た限りでは、後輩ちゃんに隙はない。今日も全身、服装に爪先まで完璧だ。
後輩ちゃんなりの慰めというか、気を遣ってくれた言葉なのかもしれないな。
だって、まだそんなに白髪は増えてないよね?……だよね?




