8話:変わらない朝
「っはあー!疲れた……」
やっぱり丸一日のお店番は、色々と神経使うわ。
畳マットの上に寝転がりながら、手足を思いっ切り伸ばして一息吐く。
「はあ……。立ちっぱなしじゃなくても、あちこち動くから足がパンパンだ」
お風呂でよく揉んだら、寝る前に壁に向かって足を上げたほうが良さそうだ。
むくみには水がいいって言われても、店番中にがぶ飲みはできないし、お客さんがいる間にトイレは行けない。そういうわけで、むくむことは仕方がない。
せめてこうやって、明日のためにも少しは足を休ませることにしよう。
「よしっ。次は美味しい夕食を作ろうっと」
少し暑くなってきたし、ひき肉を使うことにしようかな。
野菜たっぷりに辛味もいれて、簡単マーボーの出来上がりだ。
「うん?……あれ?ええと、中火が難しいな」
今日はガシガシ炒めても大丈夫なおかずだから、ちょっとくらい強火でも問題はない。そういう時に使い方を慣れておきたいのに、ちょうど良い加減が難しい。
微調整ができないと、天ぷらとかの揚げものを焦がしそうで怖いよ。
こっちのコンロもボタンを押すだけで火が点く。そのボタンを回すことで、火の大きさを調整するのだ。
「その、火加減が難しいな。……よっと」
宿屋で使ったコンロと、微妙に何かが違うみたい。困った。
しかし火にばかり気を取られていると焦げる。炒めることに集中すると熱い。
こういうところでも、日本の家電ってすごいんだなあということがわかるね。
「んー……まあ、こんなものかな?」
ちょっと焦げたところもあるけれど、味に問題がないなら次にいこう。
もう一つあるコンロのお味噌汁を見ながら、空いたコンロでご飯を炊いていく。
「ご飯は弱火でじっくり炊くか」
これこそ、真っ黒焦げになったら余計に疲れる。っていうか、精神的にもかなり落ち込む。
味噌を溶いたら少し沸かして、もう一品は何を作ろうかな。
「よし、完成。お風呂に入ろうっと」
ズッキーニにナス、ニンジンを入れた色々野菜のマーボーは、肉ダネを向こうで作って冷凍してきたものに、野菜と味を足しただけ。
キノコの味噌汁に真っ白いご飯、レモンバター醤油のタレをかけた魚に漬物で、今日の夕食は完成だ。
「さて、お風呂お風呂」
熱いうちに食べたいところだが、今日の疲れ具合ではすぐに眠くなりそうだな。業務日誌をまとめたら、いつでも寝られるように先に入っておくとしよう。
……というかね。これも歳のせいなのか、食事後すぐはお風呂に入れないのよ。
消化に悪いの。お腹が痛くなるの。最悪、翌日にまで響くのが地味にキツイの。胃腸が弱いわけではないから、これは歳のせいだな。うん。
「歳のせい……」
自分で言っておいて、自分でダメージを受ける。なんだこれ。
そういうことも脇に置いたら、お風呂の準備をしよう。そうしよう。
「美味しいご飯なのに、お腹が痛くなったら意味ないもんね」
そういうわけで、夕食を作ったらお風呂で、その後に食べて休んで寝る、という流れです。はい。
お風呂は夕食を作っている最中に沸かしておいたので、すぐに入れます。完璧。
「なんだっけ。循環型なんとか……だっけ?」
トイレの底が、どこに繋がっているのか不明なことと一緒で、お風呂もなかなか意味不明だ。
栓がないのに風呂桶内のお湯はどこに行くというのか。そして、どこから新鮮なお湯が届くというのか。
一応、詳しく話してもらったけれど、『不思議風呂』ということでまとめておくことにしたのだ。
シャワーの使い方みたいに、ボタンを一度だけ押せば流れっぱなしなことと同じ仕組みで、風呂桶についているバーのようなものを捻るとお湯が出て、好きな量で止めればいいだけ。
反対側に捻ると今度はお湯が何処へ流れていき、風呂桶の中が空っぽになる……らしい。
このお湯は何かに使われるために、まとめてどこかへ集められる。洗濯や何かに使いたいなら、流す前にバケツに汲んでおけばいいだけだ。
何かに使うためにどこかへ流れて、どこからか新鮮なお湯が届く。
この仕組みが”循環なんちゃら”なのだと言われたけれど、新しくて綺麗なお湯が出てくるなら問題はないよ。
あっちでいう循環型風呂は、同じお湯をグルグル使っているだけだもんね。
それとは全然違うと説明されたんだから、信用しておこう。
「入浴剤も洗剤も、使っていいことは助かるな」
それだけわかれば、後は深く考えなくていいってことにしないと。
そもそも、ここをどこだと思っているんだって話だよ。
謎過ぎる異世界ですよ?
風呂桶があって、新鮮なお湯が届くというだけで十分じゃないか。もちろん飲み水も安全だ。とても助かる。
風呂桶にたっぷりと入っているちょうどいいお湯を一杯、身体にかけていく。
「うわぁぁぁ、染みる……」
あったかい。変な臭いはしない。ピリピリと嫌な感じもない。
そんなお湯に文句など出るわけがない。
惜しむらくは、温泉のようなお湯だと良かったなあということくらいだ。
「これは色んな入浴剤が使えるってことで良しとしよう」
髪に身体に全身を洗ったら、ゆったりと湯船に浸かっていく。
「ふあぁぁぁぁ……。お風呂、サイコー」
湯船がある住み込み先で良かった。
これで明日からも頑張れるね。
ピピピっと目覚ましの音が鳴って、いつもよりも高い天井にぎょっとする。
「あれ?……うわっ!?」
二段ベッド並みに高い位置にいるはずなのに、元々の天井が高すぎたことで床で眠っているのかと錯覚してしまった。
「危なかった……。二日目でベッドから落ちて怪我なんて、シャレにならないよ」
天井までの高さといつもの目覚ましの音で、向こうの和式布団と勘違いしていたよ。寝ぼけたまま横にゴロンと寝転んだら、床まで真っ逆さまだね。
普通に布団から出ようとして、腕を空振りしたことでようやく思い出した。
そうそう。ここは異世界で親方のお店兼自宅で、わたしはその一室を借りて住み込みの仕事に就いたんだった。
ベッドの上で伸びをして、ストレッチをしてから階段を下りることにしよう。
え、そうまでしないと降りれないのかって?
三十代の、寝起きの身体の動かなさを舐めてはいかん。ラジオ体操をしてもヨガをしても、起きてすぐになんて動かないんだよ。
「もうちょっと、身体が柔らかかったら別だろうけど」
ようやく、床に指先がつくくらいの身体の硬さを持つわたしですよ。
念入りにストレッチをしてからじゃないと、自分の身長以上の高さにあるベッドからなんて降りれませんって。
「ふう……。無事に降りれたぞ」
では、もっとほぐしてから掃除と朝食作りを開始しますか。
住み込みといっても、勤務時間以外は完全にノータッチ。
食事に関しても、各自お好きにどうぞという放置っぷりだ。
各部屋にキッチンがついているからもあるだろうけど、わたしが料理できることで放置されているのかな。
「でも、デーイさんは親方の分まで作っているんですよね?」
店の掃除中に今朝は何食べたという話になって、親方の好みの話題になったので尋ねてみる。
「オレはサワッちと違って、弟子っスからね。弟子は公私関係なく、親方の世話をするもんっス」
「あ、そっか。そうでしたね」
わたしは店番。弟子は親方から技術を学んで薬を作りつつ、生活面でもサポートをすることが仕事だった。
それなら食事も仕事のうちかと納得したわたしに、カウンターの右側の棚の在庫を見ていた弟子が、微妙な顔をしながら頭を掻いた。
「サワッちから教えてもらったお菓子、親方も気に入ってんでちょくちょく作ってんスよ。おかげでエローラさんに恋人ができたのかって、揶揄われて困ってんっスよねー」
「お菓子を作ると、恋人がいることになるんですか?」
それは初耳だ。あんまり甘いものが普及していない、この世界独自の考え方なんだろうか。
わたしも粉もの屋さんにはよく行くし、奥さんのエローラさんには何度も会っている。しかしそんなことは一度も言われたことがないぞと首を傾げたら、そうじゃないと手を振っていった。
「親方が甘い物好きって、あんまり知られていないんスよ。なんでオレが甘い香りを漂わせていて、薬作りじゃないって言ったら、恋人に作っているのかって訊かれたんっス」
「ふぅん?」
「甘いもんがあんまりないって前に言ったっしょ?つーか、甘い香りって女の匂いって認識しかないんスよ」
「ふむふむ」
わたしも何度か甘い香りを漂わせたことが、あった気がするんだけど……。
何も言われないということは、わたしが女だから不思議じゃないってことか。
それともあれか。コイツには恋人いなさそうっていうことが、醸し出す雰囲気でバレたのか?それなら誰も突っ込まないわと手を振って、またしても沈んだ気持ちになってしまった。
「……」
まあ、いいや。いないことは事実だもんね。
この先もなんもないだろう、うん。
「じゃあ、オレはまた裏で親方の手伝いしてるんで、何かあったら呼んでくださいっス」
「わかりました」
朝の掃除が終わったら、お釣りと売り上げを書く票の確認をして、と。
あ、伝票の残りが少なくなっているね。昨日は二週間ぶりに店が開いたってことで、朝から大盛況だったもんなあ……。
それくらい、街の人に頼りにされているお店なんだね。
わたしが入ったことで、悪い噂が立ったりお客さんが不快な気持ちになったり、足が遠のかないように気を付けないと。
髪、はねてない。眼鏡、曇ってない。襟、よれてない。よしっ。
服装や髪型を確認したら、扉を開けて、今日も一日、頑張ろうっと。
「あ、そうだった。おはようございます」
前までは、お店の扉から出入りしていたことで挨拶を欠かさなかったのに。今日は店の中から出たことで、いつもの彫像への挨拶を忘れていたよ。
わたしよりも前から立派にお店を守っている方なんだから、挨拶をしっかりしてから開店しないとね。よし。
これでいいなとお店に入ったら、ふわふわと浮いている小さいオッサンが呆れた視線を向けてきた。
『やっぱり嬢ちゃんは、普通じゃないと思うよ?』
「やかましい」
わたしのどこが普通じゃないというんだ。こんなに普通だらけだというのに。
まったく……と、わたしからも呆れた視線をランプの精に向けたら、『そういうところだ』と手を振られてしまった。
そういうところって……
「どこ?」
『そこだよ、そこ』
「……」
異世界で長年、売れ残っているランプの精に言われたくないわ!




