7話:再就職、一日目
ピピピッと、目覚ましの音が鳴り響く。
布団から手を伸ばして音を止めたら、月曜日という表示が浮かんでいた。
「ああ……、今日から向こうに行くんだった」
もそもそと起き上がりながら、身支度と掃除をこなしていく。
おはようございます、沢村あゆみです。
早いもので、クビになってから七か月も経ってしまいましたよ。
五月は職業訓練という名の研修期間で一ヵ月が終わり、六月は無事に採用されたことで、ようやくハローワークともおさらばができた。
なので正確に言えば、無職期間は六か月ということだね。
「半年も無職だったのか……。再就職が決まって、本当に良かった」
一応、前の会社の勤務年数が多かったことで、もうちょっとだけ失業保険は用意されていたけれども。
毎月減っていく『支給残日数』に、じわじわと追い詰められているような感覚になっていたもんね。
「んんー!っはあ……」
まだ初任給が出るまでは、微妙に安心感がないんだけれど。今日から働ける場所があって、仕事があるって素晴らしい。
「うーん?雨は降らない……かな?」
カーテンを開けたら、微妙に曇っている空を睨んで首を傾げる。それでも外には干せないから、やっぱりお風呂場に干すことにしようか。
週間天気予報をチェックしつつ、朝食の準備をしていこうっと。
昼食用のお弁当を詰めながら、残ったおかずを別なお皿に盛りつける。
少し大きめのお皿には、ウィンナーと卵焼き、キュウリの漬物が並んでいる。
「色どりは相変わらず地味だけど、まあいいや」
やっぱり、朝は和食に限る。
炊き立てのご飯にお味噌汁、おかずに漬物で完璧だ。
「あ、そうだった」
卵の殻や野菜くずを捨てようとして、ゴミは今日中に処理しないといけなかったことを思い出す。
「月曜日が燃えるゴミの日で、本当に良かった」
朝食で出た生ゴミやそれ以外のゴミも、まとめて出すことができるもんね。
今日から金曜の夜までは、この部屋に帰ってこられない。さらに、いまは六月。季節は夏に向かって暑くなっているところ。
そんな時期に、腐りそうなものを放置したらどうなるか……。
ブンブンと首を振って、恐ろしい考えは投げることにする。
帰ってきたら部屋中が虫だらけを少しでも回避できるように、キッチンの流しと風呂場の排水溝には、蓋をしっかり閉めておかないと。
「ゴミを出さないことが一番だけど、それは無理だもんね」
早朝から外食ができるような場所は近所にはない。
顔も洗わず着替えもせずに向こうへ行って、支度と朝食を済ませれば良いのかもしれないけど……。
「歯も磨かずに、部屋から出たくないよ」
そもそも来週からは、金曜の夜から月曜の朝までこの部屋で過ごすのだ。
お風呂も入らないといけないし、洗濯も済ませておきたい。
「うーん……。週末に帰ってきた時の状況を見て、また考えよう」
五日間も家を離れたことがないから、どうなっているのかわからないもんね。
朝食を済ませてブレーカーを落としたら、玄関の内側に掃除道具を置いていく。これで出発準備の完了だ。
「……それにしても」
玄関を開けたらブレーカーに上がるための脚立、掃除用のホウキとモップ、虫がいてもイチコロにするための殺虫剤が並んでいるってどうなの……。
空き巣が玄関から入ったら、ヤバイ部屋だと逃げそうだ。
「じゃあ、逆にいいか。立派な泥棒避けということにしておこう」
大家さんへ連絡は済ませてあるので、何かあったら会社に連絡をしてもらうことになっている。もちろん、こっちの会社だ。
スマホは持って出ても、通話ができない場所へ行くから意味がないのだ。
「ま、何もないでしょう」
それよりも、空き巣が入らない対策を中心に考えるべきだったかも。
ほとんどの荷物は向こうへ持って行ったことで、この部屋には通帳も判子も何もないといっても、ねえ……。
「自分以外の誰かが、部屋に無断で入るという状況が気持ち悪い」
何度か、「盗聴器を仕掛けるために部屋に入ったのでは?」と思ったことはあるけれど。
仕掛ける犯人には心当たりがありすぎるから、見ず知らずじゃない分、それほど気持ちは悪くない。
「本当に仕掛けられていたら、気分は悪いけどね」
引っ越しに当たって部屋の隅々まで掃除をしたところ、仕掛けられているようなブツは見つからなかった。
明らかに盗聴器を探すわたしに、安達さんは微妙な顔をしていたけれども。
前の会社の人と電話でしかしていない会話の内容とか、盗聴以外に監視カメラで行動を見ていたのではと、疑われる要素満点の怪しい安達さんが悪いんだよ。
一息吐いたら脇に置いて、鍵を掛けたら出発しよう。
……もう一度、虫の這い出る隙間はないかチェックして、と。
「ついでに人間の侵入者がないように、鍵をきちんと掛けておこう」
鍵を掛けても部屋に人がいても、入られる時もあるだろうけど。
少しでも心配する要素を排除したら、ようやく外鍵を掛けていく。
「まさかこの年で、合鍵を作ることになるとは……」
渡した人は安達さんでも、管理をしている場所は会社だ。
何かあった時に入れるように自分から提案したこととはいえ……かえって余計な仕事を増やしただけだったかな。
「まあ、いいか」
わざわざ鍵を渡しに戻ってくることも、取りに来てもらうことも面倒だもんね。
「よし。行ってきます!」
研修期間を得て、正社員となってからの初出勤日。
気合いを入れたら、駅に向かって歩いていくぞ!
「おお……」
こっちから向こうへ行く日でも、九時十七時勤務なことは変わらない。
前よりも少し早めの電車に乗ったら、他の人も出勤時間だったらしい。
「……人がいっぱいいる」
いままで通勤時間とは違う時間帯だったからか、こうして会社へ向かう人たちの中に紛れる感覚が懐かしいな。あ、制服の子も何人かいるね。
スーツばかりの中に、制服の子がいると新鮮だなあ。
いや、紺シャツはある意味、制服みたいなものか。
白や黒シャツはダメな世界ということでの、紺選択だもんね。
スニーカーにリュック、お弁当の入ったポーチに紺シャツとジーンズのわたし。
どう見ても”出勤!”というスタイルではないな、うん。
誰が無職でも出勤でも通学でもいいやと開き直って、例のビルがある駅に降りることにしよう。
「あ」
先月までは九時過ぎに降りていたから、利用者を見たことがなかった駅。今日はまだ八時台だからか、何人かが一緒にホームへと降り立った。
ついでに、電車に乗り込む人もいたよ。
向こうへ行く扉があるビルは、相変わらず人気がないけれども。ぽつぽつ、家や他の建物があるんだから、生活している人も働いている人もいるんだよね。
「ふぅん……」
駅から出たら、すぐに散り散りになってしまった。
あのビルに向かう人はやっぱりいなくて、妙に納得するというか、微妙な気持ちだなあ。
近所で、変な噂は立っていないよね?
今までは人が少なかったことで気にしなかったことだけど、こうして少なくない人数を見掛けると不安になる。
これは、帰ってきた金曜にでも訊いてみようか。
「安達さんも社長さんも、変な噂があっても気にしなさそうな人っぽいなあ……」
そんな会社に表向きでも、正社員として雇われることになったわたしって、一体どういう人だと思われるんだろうか。
「まあ、いいか」
わざわざ「あなた、変ですね」なんて、言ってくる暇人はいないだろう。
『え?嬢ちゃんは自分が普通の人だと思っているのかい?』
「……」
今日は初日ということで、お店の扉から入ることになっている。
お店の中を通って奥に行こうとする寸前、しゅるんと棚の隙間から、当たり前のように普通に出てきたランプの精が突っ込んできた。
『おいおい、冗談はやめてくれよ。ワイバーンに懐かれてて、ガーゴイル相手でも変わらずに接する人なんて、普通じゃないに決まっているじゃないか』
「そうですね。こうして小さいオッサンが話し掛けてきますしね」
『ボクは精霊だ!』
大袈裟に両手と首を振りながら、『普通じゃない』とか、ちっとも普通じゃないランプの精が言うんじゃない。
「サワ。ソイツの相手はしなくていいぞ」
「はい、親方」
『こら、モラン!先代から引き継いだ、大事な精霊になんてことを言うんだっ』
売れ残りを押し付けられただけのはずなのに、言い方だなあ……。
「やかましい。大人しくしてないと、また二階に閉じ込めるぞ」
『……』
ジロッと親方が睨みを利かせたことで、キュッと口元を閉じた精霊は、そのまま大人しく棚の奥に引っ込んでくれた。
しかしこの精霊、前にもちょっかいを掛けてきていたよね?
毎日、このやり取りを繰り返さないといけないんだろうか。最悪なんですけど。
朝から疲れるなあとゲッソリするわたしに、そのまま親方が三階の部屋まで案内をしてくれた。
「アイツがうるさかったら放り投げていいからな」
「……わかりました」
売れ残りとはいえ、三つの願い事を叶えてくれるランプって貴重なんじゃないのかな?
この世界の魔法の扱いがイマイチわからないなあと思いつつ、雑な言い方の親方の言葉に、とりあえず頷いておく。
あの調子でもっと鬱陶しくなったら、容赦なく叩いてやろう。うん。
「サワッち、はよーっス!」
「おはようございます、デーイさん」
部屋に荷物を置いたら、どこかで作業をしていた弟子が顔を覗かせた。
これから平日の五日間は、一緒の場所で暮らすことになるんだよね。
……そういえば、夜は何時に寝て、朝は何時に起きているんだろうか。
遅くまでゴリゴリという作業音が響いたり、日が昇る前からバタバタと忙しない感じなんだろうか。
わたしの疑問には、弟子が少し考えてから応えてくれた。
「忙しい時期は、そうなることもあるっスかねえ」
あ、やっぱり。
それならわたしも足手まといにならないように、体力をつけておこうか。
うーんと今度はわたしが考え込んだら、弟子が笑いながら手を振っていく。
「この二週間で結構、ストックができたんスよ。なんで、そんなに深刻に考えなくても大丈夫っスよ」
「そうなんですか?お疲れさまです」
いつもまとめて、二年分の在庫を作っているのだと前に聞いたことがある。
二階や三階も溢れる箱を全部埋めるには、そのくらいの量になるんだろうけど。葉を乾燥させたり他の薬草と混ぜたりすることは、たったの二週間で終わる作業量なんだろうか。
「フッフーン。オレという弟子が加わったんスから、当然っスよ!」
「そうか、……そうでしたね」
ドンッと胸を叩きながら、弟子が得意げな顔をする。
ようやく弟子らしい仕事をこなせて、大満足だと教えてくれた。
そうだった。今までは親方一人だったけど、もう一人増えたんだもんね。
さすがに細かくて大量の薬草の処理の全部を、二週間では教え込めないだろう。それでも大方のところが片付いたとは、やっぱり優秀な腕を持っているんだなあ。
「んじゃ、サワッちは掃除をお願いするっス」
「わかりました」
ホウキと雑巾を持ったら、まずはお店を磨いていこうっと。




