22話:異世界研修一ヵ月 続・週末パンケーキ
「ん?」
飛竜に手を振っている途中で、例の窃盗犯、ゴブリンのベッジが振り返った気がした。
そっちに視線を向けたら、思いっ切り顔を逸らして首を振っているように見えたんだけど……。
もしかしなくとも、わたしに怯えているってことじゃないよね?
「こちらの世界の人からすれば、定規も立派な武器に見えたでしょうからね。見たことのない武器を操る小柄な人は、不気味に見えるはずです」
「不気味……」
妙な新人の次は、怪しい武器を操る不気味な人というわけか。
どんどん変な方向にいっているなあ、わたしの印象。
「いつまでも頼りがいのない冒険者たち、よりは良いんじゃないですか?」
「そうですね。最初から変わらない、しつこくて鬱陶しい人もいますしね」
それはわたしの横にいる人だけれど、当の本人は今日もきょとんとした顔で首を傾げているとはどういうことだ。
何度も言うけれど、一人しかいないでしょうが!
ちょっと慌ただしくお店を閉めたら、パンケーキを作る時間だ。
弟子の茶色の瞳が輝いて、口元も光っている姿は色々、準備万端って感じだね。
階段を上がったら、すっかりキレイになった二階に案内をされた。
「三階は個室しかないからな。ここなら問題ないだろう」
「わかりました」
種を炒めたりカレーを温めたりした時は、まだお店の中がごちゃごちゃだった、ってこともあるけれど。密室に男三人に女一人は、親方的にまずいものらしい。
それもそうか。向こうでも、まあまあ怪しい図だもんね。
二階はそれこそ、丸ごと作業部屋になっている。奥には鍵の掛かった部屋があるけれど、冷暗所だということは聞いている。
「……」
お店の棚に、鱗のついた生き物っぽいものが置いてあったけれど。その部屋の中にも、薬に使える生き物を飼っていたりしているんだろうか。
いや、生き物は飼えないか。じゃあホルマリン漬けなのかと思い浮かべて、それ以上は考えないことにした。
十年近くも前に卒業した学校の、理科室を思い出してしまったじゃないか。
結構、本格的なホルマリン漬けが何個も置いてある資料室は、臭いも独特で微妙な場所だ。
採用されたら、わたしはこの建物の三階で寝起きをすることになる。そんなものがある建物の中で暮らすなんて嫌だ。深く考えないことにしよう、うん。
首を振って妙な考えを追い払ったら、美味しいパンケーキに集中しようっと。
「では、デーイさんに用意してもらった材料で作りますね」
「よろしくっスー」
はい!っと元気よく手を挙げた弟子が、わたしの反対側で満面の笑みを浮かべている。
うむ、良い返事ですね。
材料は粉と牛乳と卵、それと生クリームにフルーツだ。
チーズクリームを混ぜた、しょっぱい味も楽しいけれど。今日は、基本のものを作ることになっている。
基本ができれば、後はアレンジ次第で何でも作れるもんね。
持ってきたエプロンを身に着けたら、一つ一つ、説明しながら進めていくことにする。
「まずは粉からですね。本当はこういう目の細かいザルで、ダマを取る作業が必要なんですが、この粉は砂みたいに細かいのでいりません」
お菓子がない世界では、当然ながら道具もない。粉を振るう器具を見せても意味がわからないだろうから、目が細かいザルという説明で誤魔化しておく。
少し平らな道具を見ながら、はいっと弟子が律儀に手を挙げていった。
「てことはコーラッサでクッキーを作る時は、しないといけないってことっスか?」
「そうですね。一回でいいので振るうと、口当たりが全然違います」
混ざりやすくなるし、サクッとすると追加したら、クッキーの触感を思い出したのか、弟子が何度も頷いていった。
混ぜすぎると固くなることは、後で教えておくことにしよう。
ボウルに粉を入れたら、今度は砂糖を入れていく。
個人的に、白砂糖に似ているアイラコも良かったけれど、用意してもらったのは蜂蜜っぽい濃厚な味のノダイだ。
「かなり味が濃いので、大さじ三杯で十分です。これをまず、一緒に混ぜますね」
粉と砂糖を泡だて器で混ぜたら、今度は卵を入れていく。
こっちの卵は黄身が固めで、しっかり混ぜないといけないのだ。
「卵をそのまま入れると、粉のふわふわ感がなくなります。よくかき混ぜたものを少しずつ入れてください」
「うぇ……細かいんスね」
混ぜて終わりかと思っていた弟子は、細かい手順にすでに飽きてきたらしい。
複雑な薬作りよりは簡単だと思うんだけど……。これもお金の計算が苦手なことと似ているのかも。
「牛乳の量も、ちょっとでいいです。優しく混ぜてくださいね」
「んー、こんなもんっスか?」
「そのくらいです。では、焼きましょうか」
温めたフライパンにバターを敷いて、ジュワッという音と香しい香りが広がっていく。あ、弟子の口元が光ってる。
「デーイさんはまず、口元を拭ってください。では、この大きいスプーン、お玉で真ん中に落としていきますよ」
たっぷりパンケーキの種をすくったら、高めの位置から真ん中に落としていく。それだけで丸く広がってくれるんだから、変な技術も腕もいらないパンケーキってすごいよね。
わたしが真ん中にだけ種を落としていく様子を見た弟子が、同じようにゆっくり恐々と落としていった。
「うぉっ、すげえ!オレでも丸くなってるっスよ!!」
「この後は触らないで、外側がぷつぷつしたらひっくり返します」
触ると、せっかくのふくらみが台無しになると念を押したら、伸ばしかけた指を引っ込めていった。セーフ。
親方も一歩後ろに下がったということは、触りたくなったのかもしれない。
出来上がったら思う存分、触れば良いと思うよ。
「焼き上がるまでは時間が掛かります。その間に、パンケーキに添えるホイップを作りましょう」
「わっかりましたっス!」
ふわふわにするには、弱火でじっくりなのだ。
蓋を閉めたら氷が入ったボウルの上で、今度はホイップを作っていこうっと。
わたしと弟子がパンケーキを作っている間の親方は、薬の調合をしながら覗きに来て、一番ソワソワウロウロしている。ちょっと面白い。
安達さんはフルーツを切る役で、どこで覚えてきたのか飾り切りまでしている。……小さいナイフまで持参するとは、意外と凝り性なのかもしれない。
「生クリームには、定番のアイラコという砂糖を混ぜますね」
「こっちはアイラコなんスね」
パンケーキの生地には蜂蜜っぽいノダイを入れたから、こっちは白砂糖だ。
パンケーキにアイラコを使ったのなら、メープルっぽい味のキヌイを溶かして、シロップとして上からかけることもオススメだ。
わたしが先日の実験結果を話したら、弟子が不思議な顔で首を傾げている。
「ふーん。キヌイには、そういう使い方もあるんスね」
「普段はどういう使い方なんですか?」
「キヌイはちょっと苦いっしょ?なんで、野菜と一緒に炒めるんスよ」
「へえー、なるほど」
わたしはメープルシロップになりそうだから、お菓子に使おうと思ったけれど。お菓子がないこの世界の人は、調味料として使っているらしい。それもそうか。
クッキーやパンケーキも偏見がなさそうだから、プリンやゼリーも教えたら色々アレンジしそうだね。
「ゼリーっつうと、スライムっスね。……あれは食えんのかな?」
「スライム?」
おお、それこそRPGの定番ではないか。そっか、スライムもいるんだ。
妙なところで感心しているわたしに、嫌そうに顔を歪めた親方が即座に否定していった。
「アレは長期保存に使うだけで、食べられたもんじゃねえだろうが」
「そっスね。サワッちの説明だと、スライムが近いかなって思ったんスよ」
触感と味によって色が違うと話したことが、スライムと似ていたらしい。
「色の違いは特徴の違いだって、前に教えただろうが」
絶対に食べようとするなと、弟子と一緒に厳命されてしまった。いや、わたしは食べようとは思っていませんよ、さすがに。
わたしの横の人はわかりませんけれどと見上げたら、ブンブンと手と首を振って断固拒否だ。
「スライムは食べ物じゃありませんよ」
「……」
全身で否定しているけれど、食べられるとわかったら食べるんでしょ?
「いえ、嫌です。怪物は食べません」
「スライムって怪物なんですか?」
「他の世界は知りませんが、ここでは粘液状の怪物と呼ばれていますよ」
わたしの中のイメージは雑魚キャラだけど、こっちではその粘液を使って、長期保存をする時の素材として使われていると話してくれた。
戻ってきた親方が瓶を掲げて、貴重な薬草を守る役割なのだと言っていく。
「赤は炎に、青は水に強い。滅多に売れねえ、延命薬なんかを保管しとく時に使うものだ」
「わぁ……本当にゼリーみたい」
瓶の外からもわかる、トロンとした艶のある液体だ。
でも例のスライムを思い浮かべていたわたしとしては、目や口がないことが気になる。
どこらへんが顔なのかと尋ねたら、片眉を上げて怪訝な顔をされてしまった。
「そんなもんはねえよ。だから類似品も多く出回っていて、粗悪品もザラにある」
「見分け方はありますか?」
「信用できる業者から買い取ることが一番だが……そうだな。怪物と呼ばれているからな、コイツは動く」
「わっ!?」
薬草が入っていない瓶からスライムを取り出したら、親方の手のひらの上でウゴウゴ動き出した。
どこが顔かは、相変わらずわからないけれど。
こうやって自分で動くものを、確かに食べたいとは思わないね。
「触れば動く。瓶の中では大人しい。それと、他のモンにはくっつかない」
「くっつかない?」
「大事な薬草についたら、保管の意味がねえだろうが」
「……そうでした」
何だか話を聞いていると、盾というか騎士みたいだね。スライムなのに。
話の間も生クリームを混ぜていたら、ようやく手頃な固さに変わっていった。
泡だて器を上げて、ホイップの固さを確かめる。うん、良さそう。
「固めがお好きならもう少し混ぜて、こうやって持ち上げた時に落ちないくらいにすると良いですよ。固すぎると感じたら、牛乳を少し足して伸ばしてください」
「んーじゃあ、オレはこんなもんかな?」
弟子は固めが好きらしく、ぼたっと落ちるくらいのわたしよりも混ぜていった。
「これは、出来上がったパンケーキの横に添えるものです。この絞り器と呼ばれている中に入れて絞ると、面白い形になりますよ」
「うぉっ!?なんスか、それ」
「何だ、それは?」
絞り器の中にホイップを入れるわたしに、親方までも喰いついてきた。……ものすっごく瞳が輝いている。まぶしい。
「サワ、それは何だ?」
「あ、はい。ホイップを中に入れたら、上からクリームが出ないように持ちます。こういう風に構えたら、下の絞り口からクリームを出す物です」
これもシンプルな絞り口を持ってきたけれど、平らなものやもっと飾りが細かくなるもの、細いものもあると言いながら、お皿の上を飾り立てていく。
「今日は持ってきませんでしたが、クッキングシートだともっと簡単です。三角形に丸めるだけで、簡単に絞り器になりますから」
絞り口の種類も多彩だけれど、細く出したいならクッキングシートを使ったほうが手っ取り早い。
メモ帳の紙を使いながら説明したら、弟子よりも親方が喰いついてきた。わたしの手元を熱心に見つめている。近い。
「アレに使えるか?いや、アレにするか」と考え込みながらブツブツ呟いているってことは、これも薬に使う気なのかもしれない。
仕事熱心というか、ワーカホリックというか……。
役に立ったならいいけれど、そろそろひっくり返さないと焦げてしまうよ。
まだ見たいならどうぞとホイップ入りのままで絞り器を親方に渡したら、弟子と一緒に蓋を開けていく。
「あー……、めっちゃイイ匂いがする……」
「周りが硬くなってきたのでひっくり返しましょう。いいですか、こうやらないと崩れますからね」
「はいっス!」
せっかくの丸いパンケーキが崩れると聞いて、すぐさま姿勢を正す弟子。
やっぱり、真面目なんだか不真面目なんだかわからないね。
こうして完成したパンケーキは、とってもふわふわで甘い香りが美味しそうだ。つまり、完璧。最高。
「今日はパンケーキだったので、厚く焼きましたけど。薄く焼くとクレープというものになって、こっちはおかずを挟んだりしても美味しいんですよ」
これも先日、たっぷり実験済みだ。
どれも美味しくて食べ過ぎて、昼過ぎまで動けなくなったのは内緒だ。
もぎゅもぎゅと口いっぱいに食べている弟子が、何度も深く頷いていった。
「はーはー、はふほほ。……そうやって厚さと、一緒に食べるモンを変えればいいんスね」
「キヌイやノダイをシロップにするだけでも、味の変化が楽しめますよ」
「やってみるっス」
ちなみに、きび砂糖や黒砂糖のような味の種類もあったけれど、なかなかクセが強かった。これは量を調整したり食べ慣れないと、普段使いはできないものかも。
美味しかったから、わたしは積極的に使う所存ですけれども。
「そーだ、サワッち。トコロが食べたいって言ってたっスよね?取っといたんで、持って帰るといいっスよ」
「ありがとうございます」
覚えていてくれたようで、一息ついた頃に弟子がアスパラのような薬草を持って来てくれた。
こんなにたくさんあったら、肉巻きにしようか、野菜炒めにしようか……。
帰りにベーコンと豚バラ肉を買い足そうとウキウキするわたしの目の前に、今度は親方がザルを置いていく。
「これはカミラフっつーもんの実だ。普段はツタを使っているが、この時期は実もなる」
「カミラフの、実、なんですね?」
メモ帳を取り出して、慌てて名前と青い実を描いていく。
小さい粒がまとまって一つの実らしく、ラズベリーっぽい見た目だ。
これをどうする気なんだろうと顔を上げたら、「何かできるか」と逆に訊かれてしまった。
「ツタは乾燥させて粉末にしたら、二日酔いの薬になる。実は今まで使ったことがない」
「この時期の、ほんの数日しか実はならないんスよ。いつもはそのまま放っておくんスけど、フスベの実を干すって言ってたサワッちっスからね」
「はあ……」
これはもしや、何かを期待されているんだろうか。
真剣な表情の親方と弟子に見つめられて、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
フスベはたまたま梅に似ていたことで、梅干しや梅酒にしたいと言っただけなんだけれど。干すことで効能が出て、他にも使えるものが増えたら、わたしに対するこの店の重要度が上がるだろう。
しかし、わたしは普通の、ごくごく普通の日本人だ。
三十六歳だから若さもないし、知識といえば家庭の知恵っぽいものと、食い意地からくる偏ったものばかりしかない。困った。
「……」
ラズベリーみたいな見た目だから、ジャムにできそうな気がするけれど。
親方が求めていることとは違うから、話していいものかわからない。
「え……と、とりあえず、味見をしてみても良いですか?」
知っている味だったら、何か浮かぶかもしれないもんね。
小さく頷いた親方が差し出した実を、一口、口に入れてみた。
「……っ!?」
「大丈夫ですか、沢村さん!?」
「吐くっスか!?」
「解毒か!?」
口に入れた瞬間、思わず手で覆ってしまった。
まずかったか痺れが出たのか、それとも毒性があったのかと騒然とする周囲に、ゆっくりと手を振って口を開く。
「うぇぇ……酸っぱいぃ」
「え?」
「なんて?」
「む?」
ふわふわの甘いパンケーキの後だからか、余計に酸っぱさがキツイ。
残っていたホイップで口の中を中和させたら、毒性はなさそうだと伝えておく。いや、まだわからないけれど。
「とりあえず、即効性の毒はありません。舌が痺れるとか、お腹が痛いとかもないです」
「そうですか……」
ホッとしてくれたけれど、わたしの口の中はまだ酸っぱい。
ごくごくと水で流し込んだら、ようやくわたしも一息吐いた。
「二日酔いには、この酸っぱさが効きそうな気はします。ただものすごく酸っぱいので、加工が必要でしょう」
「そうか」
少し残念そうな顔で、他の効能を期待していたと話していった。
でも今日はお酒を飲んでいないし、わたしは今まで二日酔いをしたことがない。実験体としても不十分だと伝えたら、もう一つの効能を弟子が話していった。
「二日酔いもあるっスけど、利尿作用もあるんで解毒としても使えるんスよ。もちろん、ツタのほうっスけどね」
「利尿作用……」
……ええと、それは、つまり?
ニコニコしながら、弟子がいつもの言葉を言っていった。
「サワッち、トイレは行きたくないんスか?」
「行きません!!」
薬屋では恥ずかしい話じゃなくても、それは訊かなくてよろしい!
「まったく……」
別に恥ずかしいことじゃないのにと、親方も弟子も首を傾げていたけれど。確かに何度も行っている場所だし、誰もが行かないと困る場所でもあるけれど。
そういう効能がある薬草の実だからって、みんなの前で「トイレに行きたくならないか」なんて、言わなくても良いでしょう!?
「こういうところは男所帯と、店の特色による問題ですね」
ちょっと困った顔の安達さんが、そっちについてもガンガン突っ込めばいいと、控えめなアドバイスをしていった。
毎回「トイレは行ったのか」と確認されることはなくなっても、わたしをいくつだと思っているというのか。
……いや、これは「お嬢ちゃん」扱いじゃなくて、年寄扱いになる?
更年期のこともそろそろ考えないといけないアラフォー世代は、そっちのことも考えないといけないと思ってのトイレ問題なんだろうか。
じゃあわたしって、弟子の中では店に来る年配の人たちと同じ扱いってこと?
「……」
「どうかしましたか、沢村さん?」
「いえ、なんでもありません……」
軽くショックなんだけど、三十六歳ってそういう年齢になるのか。……そうか。
それはそれとして、さっきの実について親方に提案してみよう。
「あの実は、どのくらいの量がありますか?」
「袋一つ分ってとこだな」
ちょっと待てと奥に引っ込んだら、すぐに大袋を持ってテーブルに置いていく。おお、意外と大量だ。
こんなに採れるなら、そりゃあ何かに使いたいよね。
「今朝採ったばかりだ。せいぜい、明日までしかもたねえ」
「あしが早いんですね」
それならこの方法だと長持ちもするし、他の使い道があるかもしれない。
「大量の砂糖と一緒に煮詰める、ジャムという食べものがあります。作ったら瓶に保存をするんですが、一ヵ月以上もちますよ」
「一ヵ月!?」
今朝採ったばかりなのに明日にはダメになるということは、すでに熟されているってことだよね、たぶん。それなら今日のうちにジャムにすれば、約一ヵ月の間、色んな実験にも使えることだろう。
「生を使いたいのなら、この方法はおススメできません。乾燥をさせることは無理なんですよね?」
「ああ、そうだ。ツタは良いんだが、実はどうしても腐っちまう」
ツタと一緒に採った実を干したら、カラカラに乾燥するのではなく、そのままで腐っていったと話してくれた。
うぅ……その光景はなかなかキツイな。
「ようは、砂糖漬けってことっしょ?それならザネズラの実でもやってるっスね」
また別な名前が出てきてしまったけれど、これはのどの痛みに効く薬草らしい。
弟子の言葉に少し考え込んだ親方が、ようやく小さく頷いていった。
「どうせ元々、使ってなかったモンだしな。しかし今日はもう時間がねえだろう?どうすんだ?」
わたしと安達さんを見比べながら、ジャムは作ったことがないからわからないと言っていく。
今日の延長時間は十七時まで。そして明日からは休みだから、月曜日まで待つと実が腐ってしまう。
「持ち帰ってもいいなら、家で作ってきますよ。そろそろ別な果物でジャムを作る予定でしたから」
「それなら実の半分と砂糖代が手間賃変わりだ。帰りに買うといい」
「わかりました。ありがとうございます」
思いがけないところで、異世界のジャムが手に入ったぞ。
パン屋で食パンを買って、たっぷりつけて堪能してみよう。
「……」
横から、いつもの絡みつくような視線を感じるけど無視で。
「では、月曜日に持ってきますね」
「瓶はこれを使えばいいんじゃないっスか?」
「助かります」
わたし用とお店に持ってくる分の、ジャムを入れる瓶を、弟子が渡してくれた。実と砂糖を煮詰めるから、結構大きな瓶じゃないと入り切らないだろう。
そうそう、我が家にこんな大きな瓶はないもんね。
アスパラに似ているトコロの茎と、ラズベリーみたいな見た目のカミラフの実。それと砂糖はクリーさんのお店で買い足して、ようやく帰ることになった。
「んじゃ、またっスね」
「はい、お疲れさまでした」
今日は金曜日だから、次に会うのは最終週の月曜日だ。
帰ったらカミラフの実を煮詰めて土曜日に食べてみて、月曜日に持って行くことを話したら、思い出したかのように親方から声が掛った。
「その、腰に着けてるモンだが……」
「え?あ、ウェストポーチのことですか?」
「そうだ。休みに使わないなら見せてもらえないか」
「え?」
ちょっと遠慮がちに、けれど有無を言わせないような意志を感じる言い方が気になる。
中身の文具は説明したけれど、外側のポーチについては話したことも見せたこともない。
勉強熱心な親方は、ずっと気になっていたのかもしれない。
「わかりました、良いですよ。ただ、メモ帳と業務日誌は持ち帰りたいです」
「ああ、構わない」
メモ帳は週末の復習に使うから、持って帰れないと困る。業務日誌は安達さんの会社に持っていってもらうものだから、こっちもないと困るのだ。
ペンのインクやシャーペンの芯、他に補充する物はないか確認をしたら、丸ごと親方に渡していく。
あ、穴発見。ちょっとボロボロのまま、親方に渡すことは恥ずかしいな。
月曜には裁縫セットも持ってきて、繕うことにしよう。
「休み明けに返す」
「わかりました。では、お先に失礼します」
ポケットの開け方も説明をしたら、中の文具は使っていいことも伝えておく。
窃盗犯を叩いた三十センチ定規が気になっているみたいなんだもん。先に伝えたほうが安心して触れるだろう。
軽く手を振ったら、まずはクリーさんのお店に行こうっと。
「今日は何をお求めですか?」
「そうですねー……」
「……」
「……」
やり取りをしている間も、じいっとしつこい視線を横から感じる。無視。
「ここはアイラコがいいか」
すでに顔なじみのクリーさんにグラムを伝えたらお金を渡して、と。
「ありがとうございました」
ジャムにする実の三割分の砂糖を買ったら、実と一緒に担いで歩いていく。
「……」
「はあ……」
台車の上に載っている、ボウルや泡だて器が入った箱の上に、荷物と砂糖の袋を追加してやる。
「重いっ!?」
「家まで運んでくれたら、明日の朝食に来ても良いですよ」
「それならパン屋の焼き立てを持って行きましょう」
「お願いします」
慣れた会話をしながら、今日も台車と一緒に帰宅をする。
……これにも慣れてきたことは、ちょっと微妙だなあ。




