17話:異世界研修一ヵ月 週末パンケーキ
日曜日の十時ちょっと前、わたしはとあるお店の前で人を待っていた。
「この服で良かったかな」
前に出掛けた時は十代の時に買った服だったこともあって、『化石シャツ』だと言われてしまったんだけど。
最近買った服は仕事用の紺シャツだから、日曜日にまで着たくない。
「これは二十代の時に買ったものだから、少しはマシかな?」
それでも十年以上は着ているから、やっぱりこれも化石になるのかも。
……オシャレって難しくて、やっぱりとても面倒くさいな。
そんなわけで。
今日のわたしの服装は、胸元のポケットと襟と裾に、黒チェックが使われている白シャツと、何の変哲もない、いつものジーンズだ。
仕事中は、白と黒の面積が多い服は着れないことでの白です。
しかし休みでも仕事でも、いつでもパンツスタイルだね。
「こういうところが、アレなのかなあ……」
でもスカートって履き慣れていないから、ひらひらの裾もスース―する足元も、何だか心もとなくて神経を使うんだよね。
疲れる服にお金を使うくらいなら、ケーキを選ぶよ、わたしは。
そもそも階段を使う職場で、スカートは動きにくいってことも選ばない理由だ。気を遣わないと動けない服装は、ハッキリ言って仕事の邪魔でしかない。
「何を百面相しているんです、先輩?」
却下するわたしの目の前に、完璧カールのパッチリ睫毛が飛びこんできた。
「わっ!?……ビックリした」
「ちょっとぉ、先輩。こんな美人に『わっ!?』はないでしょ、『わっ!?』は」
「ごめん、ごめん」
最近は男の人しか近くにいなかったことで、花の香りがすることも、ふわふわの流れる髪も忘れていたんだよ。
わたしが謝ったら、後輩ちゃんが首を傾げていった。
「新しい職場って、男の人しかいないんですか?」
「うん。年上と年下の男の人が二人だけ」
ついでにもう一人、張り付いている人がいるけれど。こっちはややこしいから、言わないでおく。
だってハローワークへ臨時で来ている職員というところも、毎日、一緒に通っていることも。
仕事内容が『わたしの監視』ということだって、怪しさしかないもんね。
少しでも異世界のことは言わないように、職場の人についても簡単に話すだけにしておかなくちゃ。
「ふぅん……。空気が良い職場なら、助かりますね」
「うん」
弟子は相変わらず言動が軽いけれど、仕事に関しては熱心だ。一つ一つ、売れた薬についても教えてくれて、その教え方が意外と細かくて逆に驚いていたりする。
親方は、もっと丁寧だ。いまだにわたしに何の仕事を振り分ければいいか悩んでいるところは、申し訳なくなってくる。
毎日の売り上げを計算することがわたしの仕事になって、一番助かったのは親方だろうね。
こんなに細かく指導もしてくれて、微妙な量の調整も必要な、薬を作っている人なのに。日々の売り上げの計算を、月末に一度で済ませていたことは驚いた。
柔軟に対応してくれたどころか、わたしの仕事にしてくれてありがたい。
後はたくさんある薬や薬草を、覚えきれるかどうかが本採用に繋がるはずだ。
頑張れ、わたしの脳細胞!
「いらっしゃいませ」
「あ、オープンですね」
時間になったら目の前の扉が開いて、待ち合わせた後輩ちゃんと一緒に甘い香りのする店内に入って行った。
そう。今日も甘いものを食べる日なのだ。
……帰ったら念入りにヨガをして、脂肪にならないように気を付けよう。
「そういえば、先輩。その服を休みに着るってことは、今の職場は私服なんですか?」
「え?」
「前だったら、白いシャツは仕事の日にしか着なかったでしょ?」
後輩ちゃんに指摘されたことで、前の会社時代を思い出す。
そういえば毎日、白シャツだったから、休みの日は色付きの服を着ていたかも。
「よく見ているね」
「先輩がわかりやすいだけですよ」
その言葉は、安達さんにも言われたことだった。そんなにわかりやすいのかな、わたしって。
「まあわたしも休みの日まで、会社っぽい服は着たくありませんけどね」
「そう言って、いつもバッチリオシャレじゃん」
「それは当たり前です」
くるんと睫毛にふわふわカールの髪。透け感のある膝上スカートに艶のある……ええと、そうそう、カットソー。
全体的にパステルカラーだけど、ミントっぽい色が入っているところがちょっと夏っぽい。季節も流行も、先取りって感じだね。
これではわたしの地味さが際立って、まさに引き立て役だ。
「先輩は気にしなすぎですけどね。足元スニーカーだし、ヨレたジーンズだし」
「動きやすいから……」
さすがの後輩ちゃんは、足元まで完璧だ。
ヒールのあるサンダルに、爪まで綺麗に塗られている。バッグはカゴバッグで、まさに頭のてっぺんからつま先まで、完璧。完璧すぎる。
わたしがそんな恰好をする日は、絶対にこの先も来ないだろうなあ。
友人の結婚式が夏だったら……?いや、ないな。ないない。
「わたしの結婚式にモサッとスタイルをしたら、追い返しますからね」
「気を付けます」
いや、その時わたしは何歳なんだ。そしてサラッと言ったけれど、わたしも式に呼んでくれるんだ。
「当たり前じゃないですか。元上司として、ガッツリ包んでくださいね?」
「……」
親指と人差し指をくるんと丸めた下品なジェスチャーをしながら、小首を傾げてニコリと可愛らしく微笑むんじゃない。
可愛らしいネイルとも相まって、ギャップがひどい。
「暑すぎず、寒すぎない日でお願いします」
「ジューンブライドや記念日にこだわりはありませんから、来やすい日にしますよ」
相手をこれから探す後輩ちゃんだと、向こうの家の都合もありそうだけれども。今までも自分を曲げたことがない後輩ちゃんなら、きっと自分に都合のいいような式や日にちを設定するんだろう。
「人聞きが悪いですね。先輩ほどじゃありません」
「失敬な」
岸さんにも言われた言葉だけれど、わたしの都合のいいように周囲を振り回したことなんて、したことはありません!
「お待たせいたしました」
「わっ、来た来た」
いつのなるのかわからない結婚式の話をしたり、服を突っ込まれているうちに、ふっくら厚さのあるパンケーキが目の前に並べられていった。
……そう。昨日も昨日で、異世界の粉を使ったパンケーキ祭りだったけれども。今日も今日で、外に出てまでパンケーキを食べることになったのだ。
まあこれは、金曜に連絡が来たことで決まったものなんだけど。
そもそも土曜日のパンケーキ祭りと、お店で食べることは全然違う。
「いい香りだね」
うーん……やっぱり絞り口を変えると、豪華なクリームになるなあ。ここら辺は、お店と家の違いだね。
早速カトラリーをつかもうとして、目の前の後輩ちゃんに顔を向けた。
「写真、わたしのほうと一緒に撮る?」
「いえ、いいです」
「そうなの?」
わたしが作ったパンケーキはバシバシ撮っていたのに、飾り切りの果物も乗っている豪華なパンケーキを撮らないなんて。
インスタをやめたのかと思ったら、意外な言葉を口にした。
「先輩の作ったものは、手作り感満載でしょ?でも、これはお店のだって丸わかりじゃないですか。ビジュアルで身バレしそうな写真は、絶対に載せませんよ」
「ああ、個人情報」
見た目はギャルっぽい後輩ちゃんだけれど、こういうところはしっかりしているんだよね。
それならと再びカトラリーに手を伸ばしたら、ジトッと睨む視線を感じる。
「個人情報が一度でもネットに流出すると周囲も困るんです。常識ですよ」
「はい、すみません」
わたしだって、散々言われていたことだった。
こっちは好奇の視線にさらされる確率が高い異世界についてだから、より一層、気を付けないといけないんだけれども。
うんうんと頷くわたしに、今度は手のひらを向けてきた。
「こうして手のひらを載せたことで、指紋を使われることもあるんですよ」
「何それ怖い!」
指紋がバレたら、色々な悪いことにも使い放題じゃないか。
何て怖い世の中になったんだと固まるわたしに、「それくらい、考えないといけないんです」と教えてくれた。
あ、まだそんな事例はないのか。でもスマホも高画質で撮れるもんね。
……色々とわたしも気を付けよう、うん。
後輩ちゃんから連絡が来て、パンケーキを食べることになった今日。
そういえば、何か用じゃなかったのかな?
後輩ちゃんはホイップにソースをたっぷりつけて、口いっぱいに詰め込んで嬉しそうだ。
「美味しいぃ……」
「美味しいね」
本当に、このシロップ美味しい。ちょっと酸っぱいからベリー系かな?
でもふわふわ感は、昨日のわたしの手作りのほうが勝っている。さすが、お店で一番の売れ筋商品だ。
パンケーキをエローラさんは知らなかったから、教えてあげたら喜ぶんじゃないかな?子供がいるなら、こういうお菓子を作れたら嬉しいよね。
月曜からの予定を考えつつ口に運んでいたら、思い出したかのように後輩ちゃんが顔を上げる。
「そうだった。佐藤さんに張り付いていたクレームの人、無事に片付きました」
「え、本当?」
時間が掛かると思っていたのに、意外とすぐに落ち着いたんだ。けれどアッサリすぎて、どんな意味での”片付いた”なのかが気になるな。
わたしの視線の意味に気が付いた後輩ちゃんが、軽く手を振りながら続きを話してくれた。
「そういう意味での、”片付いた”じゃ、ありませんよ。佐藤さんの対応が変わったことで、向こうが態度を軟化したんです。今ではすっかり、熱心なお客さんです」
「それはすごいね」
やっぱり佐藤さんって、仕事ができる人だね。
佐藤さんも落ち着いてくれたなら、わたしもホッとできるよ。
そんなわたしに向かって、今度は呆れたような溜息を吐いていく後輩ちゃん。
「何を言っているんですか。先輩が、佐藤さんを変えてくれたんでしょ?」
「え?」
「野良猫にするような気持ちで接してみろって、先輩のアドバイスじゃないですか」
「でも実行したのは佐藤さんなんだから、すごいのは佐藤さんでしょ?」
あの、睨みつけるような、一般的には可愛くないと言われる猫の絵が書いてあるメモ帳でも、「可愛い!」と言い切る佐藤さんだから通用した作戦だ。
いや、作戦って言うほどのことでもないね。
「そのお客さんを常連さんにしたことで自信になったのか、業績も伸ばしているんですよ」
「さすが、佐藤さん」
真面目な性格に自信が加わったら、何でも出来るだろう。
佐藤さんには来客のお茶についてと、営業さんたちのコピーについてしか教えていないけれど。後輩が巣立ったようで、感慨深い気持ちが湧いてくるなあ。
しみじみと頷いているわたしに、やっぱり溜息を吐かれてしまった。
「まったく……。先輩って、変わらなさすぎです」
「そんなに簡単に変わる年齢じゃないよ」
あれ、じゃあやっぱりわたしは頑固になるのか。……気を付けよう。
「それで。佐藤さんからお礼に渡して欲しいって、預かってきたんです」
「え、何で?」
後輩ちゃんが最後まで半信半疑だった、アドバイスと言っていいのかもまったくわからない、ぼんやりな指示をしただけなのに。
大きめの紙袋をテーブルの上に出したら、ずいっと問答無用で押し付けてきた。
「そんな大層なことはしていないでしょ」
「メモ帳のお礼として、受け取れば良いんじゃないですか?」
あのメモ帳は、三百円もしなかったよ。
それなのに袋に入っているものは、キチンとラッピングまでされている。
ええぇ……わざわざ買ってきてくれたの?
「佐藤さんに渡した報告と、どんな様子だったか伝えたいので開けてください」
「……わかった」
これが今日の用事なんだと話しながら、グイグイといつもの安達さんのように、しつこく袋を押し付けてくる後輩ちゃん。
わたしの周りって、強引な人しかいないんだろうか。
それも困ったなあと思いつつ、せっかく買ってまでくれたものを突き返すことは失礼だもんね。
何だろうと少しワクワクしつつ開けたら、入浴剤のセットだった。
「先輩に何かお礼をするなら、バスグッズが良いって言っておいたんです」
「……どうもありがとう」
ふふんと得意そうな顔で、自分のアドバイスのおかげだと話す後輩ちゃんの顔は、いつかの飛竜みたいなドヤ顔だ。
紙袋の文字でもしやとは思ったけれど、中身はバスグッズを扱っている専門店の詰め合わせセットだった。
……三百円弱のメモ帳には釣り合わない、ゼロが足りないお返しが来てしまったよ。
「精神的にもまいっていましたからね。そのお礼でもあるんですから、正当な対価でしょ?」
「慰謝料はもう、いらないよ」
「え?」
「何でもない」
安達さんがよく言う言葉が後輩ちゃんの口から出て、思わず断ってしまいそうになったけれど。
これは佐藤さんの気持ちなんだから、早速、使わせてもらうことにしよう。
「ありがとうと嬉しいって、伝えておいてくれる?」
「わかりました」
自分では選ばない種類の入浴剤は、プレゼントならではだね。
その後は会社もようやく落ち着いたことを聞いたり、他の人の仕事には変わりがないことを話してくれた。
「変化があるとしたら、夏のボーナスの金額でしょうか」
「そっか、七月だったね」
下がることは仕方なくても、冬より影響が少ないと助かるという愚痴を聞いたら別れることになった。
ボーナスかあ……。
わたしは研修期間から本採用になっても、七月まで二か月しかないもんね。
最初から対象外だろうと諦める前に、そもそも異世界にボーナスはあるのかと、別な疑問が浮かんできた。
「……なさそう」
だってわたし以外の人は、異世界に永住することが普通だ。つまりこっちの世界の常識が通用しないところへ自ら行くんだから、ボーナス自体もないだろう。
「まあ、いいけど」
毎月、お給料は出るもんね。
とりあえず今月頑張って、さらに本採用が決まったら、回らないお寿司屋さんに行くことを楽しみにしよう。
前とは違う気持ちで、家までの帰り道に足を向けていった。




