16話:異世界研修一ヵ月 勉強をさせる薬
木曜日に売上について話し合った次の日。
わたしにとっては、初めてお店に立つ金曜日だ。
「表を掃き終わったので、計算をしますね」
「よろしくっスー」
わたしだけが土日休みなのではなく、どのお店も定休日になるこの世界。
食材の買い出しはもちろんのこと、薬を買い込む人だっているかもしれない。
丁寧に、けれどなるべく早く昨日の午後の売り上げの計算を終えたら、迫りくるお客さんをさばくために気合いを入れるぞ!
「……」
……あれ?
扉は開いている。時間は十時を過ぎている。
しかし誰も来ないとは、どういうことだ?
表を見やったまま首を傾げるわたしに、申し訳なさそうな顔の弟子が呟いた。
「気合いを入れてるとこ悪いっスけど、朝はあんま来ないんスよ」
「え?」
「仕事してる人は仕事中ですし、仕事してない人は別な日に用を済ませるんっス」
「なんと!?」
そして仕事をしている人はいつ来るのかというと、大体が閉店間際の十六時から十七時の間にまとめて来るのだと話していった。
そ、そうなのか……。
いやでも今日までは、普通にお仕事の日だもんね。
そりゃあ朝は来れないかと納得したわたしの横で、昨日売れた薬をメモっていく弟子。
販売した薬のグラムの計算と、薬の値段の計算は同じだと思うんだけど。数字が苦手なわけではなさそうだから、お金が苦手なだけなのかな?
「えーと、これは頼んで、これは裏で採ってくりゃいいか」
ブツブツと呟きながら、減った薬草の確認もしている。薬草の名前と必要な量をサラサラ書いていることで、やっぱりお金が苦手なだけかも。
そういえば、異世界の言葉はどうなるんだろうと不安だったけれど。
耳で聞く言葉は大丈夫だったし、目で見る単語も問題なくて拍子抜けしたなあ。
数字はそのままで、文字はちょっと崩した感じの英語とか。言語に関しても問題ない異世界を選んでくれて、助かったよ。
「普通に仕事をして、さらに住むことになりますからね。何となくでも知っている言語の場所に送ることは、当たり前でしょう?」
今日も普通に、カウンターの端っこに座っているだけの安達さんが、希望がない限りは近い言語の世界を紹介することを教えてくれた。
ハローワーク経由で紹介されて、仕事をするんだもんね。考えてみれば、これも当たり前のことだった。
比較的のんびり午前が終わる頃、そろそろお昼かなあと時計を見ようとしたら。勢いよく入ってきたお客さんが、そのままカウンターまで一直線にやってきた。
あ、安達さんがカウンターの下に即座に隠れた。素早い。
「いらっしゃ」
「いつもの薬をちょうだい」
「……いませ。……はい、いつものお薬ですね」
最後まで言い終わる前に、バアンッとカウンターを叩いて凄む女の人。……目というか、全身が殺気立ってない?
いつもの薬ということは、荒ぶる気持ちを抑える薬だろうか。
それともどこか痛んで我慢していることでの、この顔で。つまり鎮痛剤のようなものをご所望なんだろうか。
ニコリと微笑んで、お客さんの言葉を繰り返したら。一歩下がって、まずは弟子に任せよう。
視線を逸らさないように、気を荒立たせないように。そして距離は、ほどほどに置いて、と。
「デーイさん、お薬は用意できているのでしょうか?」
ニコニコと表情を固定しながらこっそり尋ねるわたしに、弟子は顔を引きつらせながら小さく頷いた。
「サワッち、お茶出して待ってて」
「わかりました」
カウンターの端っこには、来客用のお茶セットが置いてある。今までもあんまりお茶を出したことはないのだけれど、この人は別らしい。
もしや高額商品を買う、お得意様なんだろうか。
わたしがお茶の用意をしている間に、弟子が中央の椅子を勧めていく。
ああ、弟子の顔色が悪い。こういうお客さんの相手も、早く慣れないとだね。
ものすごい形相で入ってきたお客さんの髪は赤毛のストレート。ツリ目なのは、怒っているからか元からなのかがわからない。けれど、かなりの美人さん。
美人が怒ると迫力が違うよね、うん。
トントンとイラつきながらテーブルを叩いている女の人に、お茶を持って行く役は困るなあ。
入れ替わるように奥に向かった弟子に、時間を稼げと言われてしまった。た……大役だ。
絶対に巻き込まれたくないという意思を感じる、カウンターの下にいる人は無視をして。
ラベンダーっぽい香りのお茶と、二つのカップを持ってテーブルに近付いた。
あれだ。わたしが佐藤さんあてに教えた、あの方法の出番だ。
絶対に目を逸らさず表情も変えず、ひたすら相槌を打って、まずは落ち着かせることに専念しよう。
「いらっしゃいませ。ただいまお持ちいたしますので、少々お待ちください」
ことさらゆっくり、丁寧に伝えながらお茶を出す。
そうしてやや斜めに座って、これまたゆっくりとお茶を飲むわたしに、ようやく気が付いたとでも言うような顔で、女の人がこっちを向いた。
「あら貴女、見ない顔ね?」
「はい。先週から入りました、さ……サワと申します」
親方と弟子にはフルネームで挨拶をしたけれど、親方は『サワ』だし、弟子には『サワッち』と呼ばれているわたしだ。
紛らわしいから、お客さんには『サワ』と紹介することにした。
ふぅんとジロジロ見やりながら、ようやくカップに手を伸ばしてくれた。
お昼が近いからか、外もあんまり人が通っていない。それなら弟子が戻ってくるまで、ゆっくり話を聞こうじゃないか。
「入ったばかりなので、薬についても不勉強なんです。いつもの、とおっしゃった薬は、どのようなものなのですか?」
お茶を飲んだことで、お客さんも少しだけホッとしたみたいだ。カップを置いたタイミングで、教えて欲しいと言葉を掛けることにした。
ジロッと睨まれるかと思ったけれど、意外と素直に話してくれるらしい。
「わたしが使うものではないわよ。子供たちに必要なの」
「子供たち、ですか」
かなり若そうに見えるのに、お母さんだったのか。
夫や子供のことで相談されたら答えられないなあと思いつつ、ふんふんと頷いておこう。
「先週はお休みだったでしょう?モランさんの薬じゃないと勉強しないから、まとめて買っておいたんだけどね。休みなのに勉強したくないとか言うことで、いつもよりも減りが早くなったの」
「それは大変でしたね」
「本当よ。まったく……」
何だか色々と、よくわからないことを言ったね。
ええと、親方は子供に勉強をさせる薬というものも作れるの?でも、視力が回復する薬もあったもんね。
そんな薬を作れて鱗が細かい像も彫るとか、どこまで万能なんだ、親方は……。
呆然としているわたしに、お客さんがふうっと一息吐いていく。
「だから、モランさんの薬が切れると困るのよ」
「とても困りますね」
もらった湿布だって、跡も後遺症もなく治ったもんね。
そんな素晴らしい腕を持つ親方の薬を飲むだけで子供が勉強をしてくれるなら、絶対に欠かせない薬ということだね。
弟子は作れるのかなあと考えながら、そのまま世間話をしていくことにする。
異種族のお客さんはまだ来ないけれど、女の人も初めてだ。おススメの料理とか訊いてみようかな。
「サワッち、お待たせっス」
二杯目のお茶を飲み干したタイミングで、ようやく弟子が戻ってきた。遅かったけど、新しく作ってもらったのかな。
用意されていると言っていたはずなのに、何か手間取ったんだろうか。
すっかり気持ちが落ち着いたお客さんは、さっきの荒ぶる勢いはまったくない。優雅とも言える動作で立ち上がったら、カウンターに近付いていった。
「おえっ!?」
「デーイさん」
「……デーイ。何よ、その声は」
「いやあ、何でもないっス」
最初の剣幕と違うからって、妙な声を出すんじゃない。
せっかく落ち着かせることができたのに、また目元が吊り上がるじゃないか。
わたしもカウンターに戻って、薬の名前と量、それと金額を票に書いていく弟子の手元を覗き込む。初めての薬は金額がわからないから、よく確かめないと。
「うえっ!?」
「……サワッちだって変な声、出てんじゃないっスか」
「大変失礼しました」
すぐさま目の前のお客さんに謝って、書かれている金額をそのまま伝えていく。
お客さん的にはいつもの金額だからか、何も言わずに支払っていった。そうして晴れやかな微笑みを浮かべながら、にこやかに手を振る。
「また来るわ」
「はい。ありがとうございました」
「また、よろしくっスー」
手を振るところは、『お嬢ちゃん』に対してなのか、ただの挨拶なのかが微妙なところだけれども。
美人の笑顔は綺麗だなあと思いながら、最初とは違う、作り笑いじゃない笑顔で見送ることにしよう。
「いっやぁサワッち、何したんスか?あんな機嫌良いエローラさん、初めてなんスけど」
「ただ、話を聞いただけですよ」
実家の家業を継いだエローラさんは、双子のお子さんのお母さんでもある。
子供は一人でも大変と聞くのに、二人なんて倍以上に大変だろう。
「わたしが買い物をした、粉もの屋さんの奥さまだったんです。それでおススメの料理を訊いたり、粉の最適な組み合わせを教えてもらっていました」
子育てで忙しいエローラさんの代わりに、婿養子の夫がお店に立っている。
最初から自分の名前を看板にするつもりはなく、お父さんの次は夫のクリーさんの名前を使うことにしたそうだ。
そういう話をして、ゆっくりお茶を飲んだだけだと言うわたしに、カウンターの下で聞いていた安達さんも頷いた。
「話なんて聞いたこと、なかったっスわ」
それだけであんなに大人しくなるものなのかと、弟子が首を傾げている。
捕まらないように奥の部屋に逃げるか用意された薬を渡して、追い返していたのかもしれない。
「お茶を飲む時間も取れていないことで、ストレスが溜まっていたみたいですね。でもこのお茶を飲んだら、すぐに落ち着いてくれました」
夫はニコニコのんびりな性格で、そこが良いところらしいけれど。
双子の子供たちが何をしても叱らず、夕食後のお茶の時に一日の話をするのに、うんうんと頷くだけで何も言わないのだ。
それではきちんと話を聞いているのか、まったくわからなくて不満だよね。
うんうんと共感するわたしに、そういうものかと男性二人は首を傾げている。
話を黙って聞いてくれることは助かるけれど、「そうだね」の一言がないと、「本当に聞いてくれているの!?」ってなるものなんだよ。
「……面倒くせぇっスね」
「ですね」
今度は男性二人がお互いに共感をして、うんうんと深く頷いていた。これじゃあエローラさんじゃなくてもイライラするね、うん。
今度こそお昼の時間ということで、サッサとお店を閉めて三階に上がる。
「そういえば、用意していると言ったのに遅かったですね。新しく作り直していたんですか?」
お昼ギリギリのお客さんだったことで、お店を閉めてから昼食を作ることになるのだと思ったら。すぐにいつものテーブルに並べた弟子に訊いてみた。
「エローラさんは毎回、同じ薬を買ってくお客さんっスからね、もう作ってあったスよ」
「え、じゃあ」
何であんなに時間が掛かるのかと首を傾げたら、手を振りながら教えてくれた。
「『今日も奥さん怒ってんなー面倒くせぇなあー。よし、落ち着くまでサワッちに任せよう』っつーことで、昼メシ作ってたっス」
「はい?」
カラッと笑いながら、職務放棄を堂々と言うとはどういうことだ。
親方も微妙な顔で弟子を見やりつつ、こじらせると厄介な人だと話していった。
「思い込みが激しい人なんスよ。だからただの飴を、勉強ができる薬だって買ってくんスけどね」
「えっ!?」
飴を薬だと言い張って、売っているってこと?
だってたったの五十グラムで、腰痛の薬の倍はしたよ!?
箸を持ったまま固まるわたしに、材料と手間が掛かっていることでの金額だと、慌てて弟子が言っていく。
いやでも、飴でしょ?
「ちゃんと親方が作ってんス。それだけでもただの飴じゃないっスよ」
「はあ……」
何て金額をつけているんだと言うわたしに、弟子が拗ねたような顔で言い直していく。
いや、”ただの飴”呼ばわりしたのは弟子だからね。
それでも怪訝な顔をするわたしに、今度は親方が説明してくれた。
「フスベとカズラ、それとトウキの葉を混ぜている」
「効能はないんですか?」
初めて聞く薬草の名前が親方の口から出て、慌ててメモ帳を取り出していく。
けれどわざわざ効能がないものを使って飴を作るとか、とんだ手間だし、場所も取らない?
わたしの疑問は、食べ終わった弟子が話してくれるみたいだ。二階に降りたら、瓶と箱を抱えて戻ってきた。
瓶の一つはわさっとした葉っぱが生のまま入っていて、もう一つはトロッとした液体だ。
「これがトウキの葉。お客さんに出すお茶にも入ってて、ちょっと甘いんス」
花の香りがするという言葉で、ラベンダーっぽい香りがしたことを思い出した。
「お茶は乾燥させたものを混ぜてるっスけど、飴には生の葉を使うんっスよ」
「生では効能が現れないからな」
「なるほど」
効能が現れないということは、副作用も出ないってことで。香りと甘さをつけるだけなら、子供でも口にしていいものになるのか。
ちなみに乾燥させた茎と葉は、婦人病全般に効くと話してくれた。
全般ということで、ヒステリーやストレス、月経不順に不妊症と幅広い薬になるとは……。それで口にした途端、落ち着いてくれたのか。
「更年期にも良いんスよ」
「更年期……」
わたしもそろそろ、考えないといけないのかな。
ほんのり甘くて香りも良かったことで、かなり飲みやすいお茶だったもんね。
目薬にこのお茶と、欲しいものが増えてきたな。
お茶の値段と飲む頻度を訊いてから、購入を検討しよう。
トウキの葉を片付けたら、トロッとした液体の入った瓶の説明をしていった。
「これはフスベの実と、カズラの果汁を煮詰めたものっス」
「結構、甘い香りですね」
蓋を開けたらちょっと酸味を感じる、けれど確実に甘いとわかる、濃厚な香りが漂ってきた。
実か果汁が赤いのかな。瓶の中の濃い赤い液体は、少しジャムっぽい。
パンに塗ったら美味しそうだと思いながら瓶を覗き込むわたしの前に、弟子が箱を開けていった。
「これが、フスベの実っスよ。青い実を燻して粉にしたものを使ってるんスけど、赤く熟すと効能が無くなるんス。その代わり、甘くなるんスけどね」
普段は捨てている実だと教えてくれた、それは……
「梅の実!」
「へ?」
コロンとした丸いフォルムに酸っぱい香りは、まさにこの時期が旬の梅の実ではないか!
「捨てるなら欲しいです!」
「……何に使うんスか?」
「梅干しですよ!」
弟子の腕をつかんで前のめりなわたしに、もれなく弟子も親方も引いている。
こんなところに艶々の状態が良さそうな梅の実があるのなら、それが捨てるものなら引き取りたい。
小さすぎる青い実も捨てるらしく、そっちは梅酒にさせていただこう。
しかし普段は捨てるものを食べると言い張るわたしに、二人は疑いの目を向けている。
実物を口にしたら、絶対に美味しいものだとわかってもらう自信はある!
「来週、梅干しと梅酒を持ってきます。試食してみてください」
梅酒は買ってくることにして、梅干しは家にあるものを持って来よう。
薬の作り方と似ていることに気付けば、許可も出しやすいだろう。ついでにシソに似たものもあったら、ぜひとも買い取りたい。
写真が載っている、本を持ってくればわかりやすいかな?
食い気味のわたしに引きつつ、親方に助けを求める弟子。しかし隣りの親方は、さっきと違う顔をしていた。
「そのウメボシとウメシュは、食えるものなんだな?」
「そうです。梅干しは抗菌作用があって、保存食にもなるんです。梅酒は少し甘いお酒です」
「よし、買ってこい」
いつも食べているものでも、こんな味ということを説明するのは難しいな。
何とか説明をしたら、親方も前のめりで賛成してくれた。
今まで捨てていた素材が使えるとわかって、それが美味しそうだと知ったことで、何かに火が点いたのかもしれない。
「うぇぇ……マジっスか、親方?」
おにぎりは持ってきたけれど、中身の具までは見せなかったもんね。食べられるものだと話しても、弟子は半信半疑らしい。
美味しそうなものなら何でも食いつくのかと思ったら、妙なところで慎重な弟子だ。そして親方、好奇心旺盛だなあ。
「フスベは赤く熟すと効能が消えるはずだが、干せば使えるかもしれん」
少し考え込んでいた親方が、今まで捨てていたものが薬に使えるなら使いたいと喜んでいる。
ニヤリと口元を歪める表情は、悪巧みをしている山賊みたいに凶悪な顔だなあ。
「あー、そういうことっスか。それなら試したいっスね」
ようやく納得した弟子が、エローラさんの飴に使う分以外の、捨てる予定だった実を取っておくことを約束してくれた。
これで同じような梅干しができたら、わたしも安達さんに借りを作らなくなって非常に助かる。
わぁいと喜ぶわたしに、とっても微妙な視線を向けてくる横の人。
「そう上手くいくかは、わからないじゃないですか」
「焼酎も味見してもらいます。似たようなお酒で作れば、近いものができる確率が上がるでしょ?」
わたしにお酒は売ってくれなさそうだから、親方に頼もう。
干すためのザルを持って見本を見せることを話したら、午後からの仕事も頑張ろうっと。
「あ」
カズラについて聞きそびれたな。後で訊くことにしてお弁当を片付けるわたしの前で、親方と弟子が午前中に売れた薬について話している。
そういえば親方の左手の親指には、指輪がはまっているんだよね。
看板の彫像みたいに細かい装飾がされているから、親方が彫ったものなのかな?
弟子が身に着けていないということは、店主の証とかなんだろうか。
これも後で、訊いてみようかな。




