12話:異世界研修一ヵ月 週末
「……」
どこかで、何かが揺れている音が聴こえる。
「……ん」
目覚ましの時間には早い気がするなあと思いながらも、布団から腕を伸ばす。
「ん?」
スマホを引き寄せて見やったら、そこにはすでに懐かしい人の名前が表示されていた。
「ふぁ……。はい、沢村です」
『おーっす、サワ。何だ、まだ寝てたのか?』
「岸さん……。まだって、六時前じゃないですか」
いくら日の出が早くなったからと言ってもね、五時台は早朝と呼んでいい時間帯ではないか。
不貞腐れた口調で眠りの邪魔をした元同僚に文句を言ったら、「悪い悪い」と、全然悪びれない返事が返ってきただけだった。
『この時期からは、四時に動かねえと仕事になんねえんだよ』
「四時ですか!?」
『天気がいいと、ハウスの中がすぐに三十度超えるからな』
「うっわぁ……」
四時に起きる意味を教えられても、そんな生活は死んでしまうと言い返したい。
『その代わり、昼寝はしてるぞ?三時くらいまでは四十度を超える時もあって入れないからな』
「相変わらず、タフですねえ……」
そして全国の農家がこうだとは言えないだろうけど。お疲れさまです、本当に。
「あ、そうだ」
布団から起き上がって、誰も見ていないけれど正座をする。
「おはようございます、岸さん」
『おう、おはようさん。……変わってねえなあ』
スマホに向かって朝の挨拶をしたら、小さく微笑んだ声が耳に届いた。
岸さんだってそういうところ、全然変わっていませんよ。
岸さんからの急な電話で、目が完全に覚めてしまったよ。仕方がないので、起き上がることにするか。
世間ではゴールデンウィーク真っ最中でも、わたしは仕事をしてきたのだ。
ちょっとくらい遅起きをしても、誰も文句は言わないだろうけど。起きる時間を変えると体調が悪くなるから、ちょうど良かったということにしよう。
『オレも仕事だったぜ。まあ、農家に休みはねえけどな。今年の連休は最初から、気候が良かっただろ?おかげで、いつもより早く田植えが終わってくれた』
「それはお疲れさまでした」
彫像の掃除や薬草の手伝いと、わたしが異世界で研修をスタートさせていた頃に、岸さんは田植えを終わらせていたのか。
秋になったらお米ができるのも、この時期に植えるからなんだよね。
無事にお米が出来ますようにと、スマホに向かって拝んでおこう。
『これからが勝負だけどな。台風で倒れたり、猛暑で水不足とかあるからよ』
「そうでしたね」
植えたら終わりではないことが、農家の大変なところだ。
ここら辺、葉っぱを乾燥させたら終わりではなくて、他の薬草と混ぜて初めて薬として売るのだと話していた親方と、通じるものがあるね。
『そうだ、研修に行ったんだろ?どうだったんだ?』
「良さそうな雰囲気のおみ……、会社でしたよ」
就職先が異世界にあることは、絶対に言ってはいけない。
少しでも疑われないように、お店ではなくて会社と言い直してから、二人を思い浮かべていく。
親方は見た目の厳しい雰囲気とは逆に、心配性でとても手先が器用。色々な薬草を自分の手で作らないといけないことで、器用じゃないと難しい職だからかな。
弟子は見た目、本っ当にチャラいし口調も軽いけれど。親方のことをとても尊敬しているし、仕事は真面目に取り組んでる努力家だ。
食いしん坊っぽいところと、偏見がないところは、色々と助かっていることでもある。
真面目で慎重な親方と、異世界人のわたしの間に言動の軽い弟子が入ることで、会話とか仕事のやり取りが上手くいきそうな気がする。
まだ日にちが浅いから、最終的にはわたしも、親方に頭を抱えられることになる可能性もあるけれども。
「……」
そうならないように頑張ろう、うん。
「一番の問題は、わたしがどのくらい早く仕事を覚えられるかですね」
そんなに詳しくは話せないけれど、今のところは仕事の面でも人間関係でも問題はないと伝えていく。
……そう。一番の問題点は、三十六歳の頭で覚えられるのかということだ。
『ふーん、そうか。まあ、サワだからな。自分が過ごしやすくなるために、環境のほうを変えるのは得意だろ』
「どういう意味です?」
『そういう意味だ』
「??」
自分を変えるんじゃなくて、今までも周囲を変えてきたと言われると、とんでもない頑固者ってことにならない?
え、わたしって頑固だったの?
『当たり前だろーが。会社時代を思い出せ』
「そう言われても……」
無理矢理に会社の方針を変えたりとか、周りの人を劇的に変化させたことはないはずだ。っていうかそんな影響力があったら、クビにならなくない?
『ま、いいや。続かなさそうなら、いつでもウチに来いよ。野菜は年中、扱ってるからな。人手不足も年中だ』
「もうクビにはなりませんよ!」
本採用になってやると言って、朝からの迷惑電話をようやく切った。
「……って、何の用で掛けてきたんだろう?」
わたしがへこたれていたら、農作業を手伝えって言うつもりだったのかな。
いやいやいや。朝の十時で三十度を軽く超えるビニールハウスの中になど、好き好んでは入りませんよ。
「来月はわたしから電話して、採用になったって言ってやる!」
そのためにも、今日は復習を頑張るぞ。
いつもの朝とは違ってしまったけれど、起きた時間に変わりはない。
部屋を掃除したら顔を洗って支度をして、買い足すものはないか冷蔵庫の残りをチェックしつつ、朝食を作っていこうっと。
「あ、そうだ。今のうちに充電しておかないと」
タイマーくらいしか向こうでは使えないスマホでも、こうして不意の連絡があるかもしれないもんね。
「ってことは、解約はしないほうが良いのか」
そういえば電話番号を新しく知っている人が最近、増えたんだった。
結局わたしの容体が悪化しなかったことで、連絡はお互いにしなかったけれど。
「一応、何か連絡があるかもと思ったけど、昨日も何もなかったね」
最初の業務日誌を会社に届けてもらったのは、昨日の金曜日だ。
もしや置くだけ置いてサッサと帰った安達さんに、上司が何も言えなかっただけだろうか。
「そうすると、月曜日の出勤前に顔を出すのかな?」
来週からは、予定通りお店に立つことになっている。
お客さんについて細かく日誌に記せなくても、毎日書くように言われて渡されたものだ。
月曜日にはわたしに戻してもらわないと、メモ帳から書き写さないといけなくて二度手間になる。それでなくとも金曜日に会社に置きっぱなしだったら、安達さんが業務日誌を取りに会社に行かないといけないよね?
それとも報告をしつつ、十七時までの就業時間内に上司に評価をしてもらって、すでに受け取っているか……。
「安達さんなら、こっちかな。だって何度も会社に行くのは、面倒くさいもんね」
早く帰りたいと言っていたあの人が、残業なんて絶対にすることはないだろう。決められた十七時までに上司が返事をしなかったら、郵送してくれとか言いそう。……安達さんなら、あり得る。
「あれ?採用されたら、わたしが会社に持って行くかもって言っていなかった?」
本採用ということは、つまり九時十七時出勤となるわけで。
しかし月の大半は向こうでほとんど過ごすことになるから、金曜の夜にこっちに帰れたとしても、当然、十七時は過ぎているわけで。
それって残業扱いにしてくれるのかな?……ならなさそう。うぅーん。
さすがにここら辺はサービス残業だよね、きっと。
一応、手帳にメモをしておいて、採用が決まったら安達さんに訊いてみよう。
「さて……」
たった五日、働いただけだけれども。
久しぶりの休日に、何をすればいいかすでに迷ってきた。
「うーん……。あ、そうだ」
採用されることを前提に、今のうちに色々と買っておいたほうがいいかな?
「引っ越しの時間はあるだろうけど、岸さんのところみたいに年中人手不足のお店だもんね。移動は半日で済ませて片付けは追々……とかになるかな」
それとも休みの土日を使って、全部まとめろとか言われるんだろうか。
どっちみち、短期集中で動けないとお互いに困りそうだよね。異世界に引っ越しなら、当たり前だけどこっちの専門業者も雇えないはずだし。
メモ帳の整理が終わったら、その辺りの買い物をしに行くとしようか。
「……って、月曜日まで大型連休なんだった」
今日と明日なんて、まだ街中は出掛けている人たちで賑わっているだろう。気温が微妙に高いのに、そんな人混みに出掛けたくなんてない。
「買い物リストのチェックだけにして、買うのは来週以降にしよう」
向こうに持っていく物も、まだよく決まっていないというのに。適当に出掛けて買い過ぎたら、結局、引っ越し作業に支障が出てしまう。とても困る。
「部屋を綺麗に、身軽に保つための鉄則と一緒。持ち物は必要最低限だけ。自分で把握できる量で、持てる量だけ!」
理想は段ボール二箱だ。
なるべく往復はしたくないから、カレーを運んだ台車に乗せられるくらいが一番いい。
「でも布団がなあ……。トイレとか職場の様子から、他のところも綺麗にしているみたいだけど。ベッドの枠はあっても、シーツとかはないよね?」
今度は宿じゃないんだから、鍋や調味料と一緒で布団も一式、担いでいかないといけない気がする。
「やっぱり説明不足すぎない?安達さんの会社って」
これでよく、今までクレームが来なかったな。
それとも異世界に行きたい人は、そんなことをいちいち考えたりしない人ばかりなんだろうか。
「気が早いって言われるかもしれないけれど、これは月曜日に訊いてみよう」
畳マットを買うことは決定なんだから、布団一式も担いで運ぶよ。
ベッドが用意されていたら、布団クリーナーの購入も検討しないといけないな。
「できれば外せるマットだとありがたいな。シーツ以外に、マットも定期的に干したいもんね」
丸洗いしたい、が、本音だけれども。
「うーんでも、布団乾燥機のほうがいいのかな?いや、どっちにしろコンセントがないんだった」
追加の電化製品に関しては、後から考えることにしよう。よしっ。
お昼を食べて、買い物リストも考えて。
ちょっとゴロゴロしつつ、のんびり久しぶりの休日を堪能する。
つい先週までは、毎日がこんな感じだったのに。動き始めたら無職の時の無期限の長期休暇とは、違うものだと実感してくる。
平日に働いて、週末に休む。
たったそれだけの普通のことなのに、勤務時間もかなり短いのに。
「働くって、いいものだなあ……」
できれば月に二回の求職活動だけで、お金が振り込まれる生活だったら楽なのになあって思っていたけれど。
定時に家を出て仕事をして帰ることが、何だかとっても得難いことなんだと気が付いた。
「いやまあ、できれば一生、働きたくはないけどさ」
お金の心配がないのなら、この先も働きたくないよ、うん。
でもせっかくいい職場に巡り合えたんだから、月曜日からのお店番も頑張ろうという気になってくる。
根っこの基本は面倒くさがりなのに、不思議だな。
「あ、そうだ。月曜日からは掃除道具じゃなくて、文具を持って行かないと」
親方と弟子に頼まれた文具は渡してあって、早速二人とも使っている。
来れるものならこっちに来て、文具店を案内したら喜ばれそうだ。さすがに無理だろうけど。
弟子は良くても、親方は大柄だから目立つもんね。
「ん?」
親方は、わたしの倍はありそうな大きい身体だ。髪は白髪交じりのこげ茶色で、瞳の色は薄い茶色。
弟子は明るい茶色の髪が、言動の軽さを引き立たせている気がする。けれど瞳の色も薄い茶色だから、”ザ・異世界”という見た目ではない。
「んん?」
服装は、襟なしの作業着だ。
わたしのウェストポーチみたいに、あちこちにたくさんのポケットがついている服を着ている。
色は紺色で、わたしが買ったシャツよりも明るめの色合い。
仕事中はタオルを頭に巻いていたけれど、そういう人は、こっちの世界にもいるもんね。
こういうところも違和感が少なくて助かったけれど、掃除の最中に見た他の街の人たちも、もれなく茶系の髪の色だったことを思い出した。
「あれ?わたしの髪を赤くする必要、あった??」
最初は無難な茶色を選んだのに、「この色が良いですよ」と押し切ったいつもの鬱陶しい人の顔が浮かんできて、頭を抱えてしまった。
暗めの赤にしてもらったけれど、この色の本来の名前はピンクだ。
「……」
やっぱりわたし、騙されてないか?
これも絶対に、月曜日に抗議してやる!




