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本日付で、クビになりました。~三十六歳、異世界に再就職します~  作者: くまきち
第一章:ちょっと異世界まで
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5話:異世界研修一ヶ月 二日目 朝

「ふぁ……」


 新しい職場に新しい人たちに挨拶をした初日の、次の朝がやってきた。


 みなさん、おはようございます。

 沢村あゆみ 三十六歳は、今日も普通に目覚めました。


「……」


 いや、昨日は異世界から帰ってきたんだよ?もっと何かないのか、わたし。


 ぐー……


 ……ないね、うん。




 着替えたらカーテンを開けて、お風呂に部屋にと掃除をしていく。

 部屋を綺麗にしたら、お湯を沸かしている間に残りの支度をしていこうっと。


「あー……、冷たい水が気持ちいい」


 五月ともなれば、お湯よりは水だよね。

 朝晩はまだ寒くても、暖房がいらなくなったことは家計的にも助かる。


 いや、本当に。無職の引きこもりと、冬は組み合わせたらダメだ。


 最初は節約のために、図書館とかの公共の建物で過ごそうと考えていたけれど。すぐに生来の面倒臭がりが出てしまい、呆気なく外出しない日々になったわたし。


 ラジオ体操にヨガと、運動をしていたことで太るとか、服が入らないとかはなくても。その分、電気代の請求におびえることになるなんて、本末転倒もいいところだ。


「十二月ですぐに気付いたから良かったよ。でも、ハローワークに行くまでもお金が掛かるもんなあ」


 本当に。まだ研修期間だけれど、こうして働く日が来て良かった。




 日焼け止めを念入りに塗ったら、髪をまとめて支度の完成だ。

 掃除で袖をまくるから、腕も塗っておかないと。


 ……って、これも確認をしていないことだった。


 二泊三日ツアーの時に、メイクをしっかりしている人が見当たらなかった。女性も、もちろん男性も。

 だから勝手に、メイクをするのは夜の職業の人だけとか、何かの式の時だけとかなのかな?って思ったんだけれども。


 化粧文化が発展していないだけなのかも分からなくて、何も言われないのをいいことに、こうして髪と服だけを整えているというわけだ。


「まったく……。わたしがバッチリメイクする人だったら、どうするんだか」


 前も荷物が増えて面倒くさいということで、日焼け止めオンリーだったけどさ。


「ん?だから“お嬢ちゃん“って呼ばれたのかな?」


 いや、そっちじゃないな、背の低さだ。……それも微妙だけれども。


 何度も「お嬢ちゃん」と呼ばれ続けていたから、安達さんも気にしていなかったのかもしれない。そもそもメイクをしても、あんまり変わらないし。


「使っている色がベージュ系というか、茶系だからもあるかな?」


 考えてもわからないから、こういう細かいところを今日もガンガン突っ込むことにしよう。




「今日はガーゴイルの鱗を中心に磨くから、使い捨ての歯ブラシがいるね」


 昨日のうちに鞄に入れておいたけど、もう一度、確認をしよう。よし、ちゃんと入っている。


 使い捨てなだけで、使用済みのものではない。ここ、注意ね。


 これから雇い主になるかもしれない親方が、丹精込めて作った彫像だ。

 それを一度は自分の口の中に入れたもので磨くとか、あの鋭い牙や爪でガブリとヤられても、文句は言えない失礼さだろう。


「うーん……でも、艶出しの洗剤とかで磨けば、もっとカッコよくなって目立つと思うんだけどなあ」


 乾拭きでいいと言うなんて、目立たなくてもいいってことなのかな?


 出入口の扉のかなり上、さらに雨避けの屋根の下という、とってもわかりにくい位置に飾ってある悪魔像。

 せっかくあんなに細かい装飾をしているのに、目立たせないのはもったいないと思ってしまうけれど。作った親方が言うのなら仕方がないか。


「今週は掃除で終わりそうだけど、今日も頑張ろう!」


 早く終われば、薬について教えてもらえるんだもんね。

 メモ帳とペンは忘れずに、しっかり覚えるぞ!




「……さて。カレーはお昼に持っていくから、お弁当の用意はいらないんだよね。それなら朝食は、普通のうどんにするか」


 支度が終わる頃には、ちょうどお湯が沸いていた。

 うどん玉を入れたら、その隣りで揚げ物を始めることにしよう。


 本当は、今日の夕食のメニューだったんだけど。昼はみんなでカレーパーティーになってしまったことで、繰り上げることになったのだ。


 カレーに添えるはずだった野菜たちにちくわも追加で揚げたら、天ぷらうどんの出来上がりっと。


「うーん、お出汁の良い香り。……それにしても」


 ううむ、やっぱり昨日の帰りにナスを買ってもらえば良かったか。


 ピーマンと玉ねぎだけのお皿を見て、微妙な色合いになったなあと眉間が寄ってしまった。追加したのは、茶色のちくわだし。

 ニンジンを刻んで、玉ねぎと混ぜれば良かったかな。


「まあ、いっか」


 ピンポーン


「いただき……ん?」


 いま、何時?


「朝の七時に、宅配はないよね?」


 手を合わせて「いただきます」のタイミングで、我が家のチャイムを鳴らす意味とは??


 ピンポーン


「はいはい」


 誰が何の用でこんな朝早く来たのか、ちょっと考えればわかったはずなのに。

 わたしは普通に、そのまま玄関扉を開けてしまった。


「はいはい、何ですか?」

「おはようございます、沢村さん」


 バタン ガチャッ


 ……ふう、危なかった。


 まったく、朝だって押し入り強盗とか変な人の訪問とか、あるっていうのに。

 一人暮らしなんだから、何も考えずに扉を開けたらダメだよね。


 すぐに扉を閉めて鍵まで掛けたわたし、エライ!




「いえいえいえいえ。ちょっと、沢村さん!?」


 ピンポン連打に扉を叩いて、ガチャガチャと大声を出して呼ぶんじゃない。

 今日もとっても胡散臭いから、鍵も扉も開けずに部屋の中から声を掛けるだけにしよう。


「うるさいですよ、安達さん。何時だと思っているんですか」

「いきなり閉めるからですよ。開けてください」

「出勤は十時でしょう?支度も済んでいないのに、予告なしで来るほうが悪い」


 いくら同じ部屋に泊まったことがあるからと言ってもね、そっちと違ってわたしは寝起き姿をさらしていないんだぞ。


 着替えて顔を洗っていても、朝食はこれからだから歯磨きはまだだ。見た目しか整っていないのに、訪問客を迎えられるわけがないだろう。


「大体、約束の時間は九時だったじゃないですか。二時間も前なんて、マナー違反もいいところですよ」

「上司から今日の昼食代をぶん取って……コホン。昼食代相当の現金をいただいてきたので、カレー以外の欲しいものを訊きに寄ったんですよ」

「それなら……」


 スマホというものがあるんだから、ラインでもメールでも電話でも、連絡手段はあるだろうと言いかけて、ピタリと止まった。

 扉の外の安達さんも気付いたようで、「直接、来るしかないでしょう?」と付け加える。


 ハローワークで会ってから二ヶ月、お互いの連絡先を知らないことを思い出したわたしも、小さな溜息が出てしまった。


「……仕方がない」


 このままだと、せっかくの熱々天ぷらうどんが冷めちゃうもんね。


 とっても面倒だし、朝から鬱陶うっとうしいから、このまま外で待たせておきたいところだけど。

 ガチャリと鍵を解除したら、そのまま扉も開いていく。


「朝食中なので、食べながらで良ければ話します」

「構いませんよ。お邪魔します」


 ニコリと微笑んだ安達さんが、満足そうな顔で頷いた。


 ああ、朝から疲れた……。




「いただきます」


 ようやく手を合わせたら、うどんと天ぷらを食べようっと。

 んん、ちょっと冷めてるじゃないか、……くそぅ。


 お茶も出さずに食べ始めたわたしの横で、いつも通りにじいいっと器の中を覗く安達さん。近い近い近い。


「眼鏡が曇るくらい、近くに来ないでくださいってば!」

「うどんは、今日の夕飯ではありませんでしたか?」

「これは普通のうどんです。誰かさんのせいで、お昼がカレーになりましたから」


 食べることが何よりも最優先のわたしの、完璧カレースケジュールを崩した罪は重いんだぞと、ジロッとにらみながら、まだサクサクの天ぷらを口にする。


 明日のメニューまで考えていたから、できたアレンジだ。そうじゃなかったら、何か食材を買い足さないといけなかったんだからね。

 いや、今日の夕食はカレーがないんだった。やっぱり帰りに食材を買い足さないと。


「作って食べるだけじゃなく、食材を買った時から一週間分の献立を考えているんですよ」


 外食中心なら、「今日はあれを食べよう」で、店に行けば済む話だろうけど。


 自炊の場合は、割引商品と冷蔵庫に残っているもの、先週までのメニューと被らないこと、それと何が食べたいかを考えながら、食材を買うところから献立の組み立てが始まっているのだ。


 食材は腐らせたくないし、焼肉のたれや醤油オンリーの味付けはすぐに飽きる。

 楽だからという理由で焼きそば三昧の時もあったけれど、一食だけでも続くと、美味しくても具を変えても飽きてくることはすでに学んでいる。


「ふむ、なるほど」


 前に三食分の食材を買って色々作ったことを思い出したのか、ようやく安達さんが納得した顔をしてくれた。


「では変更したことで生じた精神的苦痛に対して、慰謝料を払わないといけませんね。すぐに手配します」

「ごふっ……っ、いりませんよ!」


 サラッと何を言ってるんだ。


 スマホに高速で何かを打ち込み始めた素早い安達さんを慌てて止めたら、慰謝料はもう結構だと伝えておく。


「いいですか、沢村さん。こういうことは後で言われても認めてもらえなかったり、満額いただけないんですよ?」


 一応、送信手前で止められたみたいだけれど。決定ボタンの上から指を離さない安達さんは、「正当な請求です」と譲らない。


「満額の基準も金額もわかりませんけど……。メニューが変更になったことで発生する慰謝料なんて、支払うほうがおかしいでしょう」

「しかし変更になったことで、すべての献立を考え直さなければいけなくなったのですよね?」

「その理屈だと会社じゃなくて、安達さん個人に支払うように要求するのが筋じゃありませんか?」


 っていうか今日の昼食代だって、言い出しっぺの安達さんが出すべきで、経費という名で会社が出すのはとてもおかしい。

 わたしの言葉にようやく止まった安達さんが、神妙な顔で変なことを呟いた。


「ええ。今日の昼食は経費で落ちないと言われましたので、上司の財布から出してもらいました」

「……」


 だから、なんで一口も食べない上司が出すことになったのかと言ってるんだよ!


「部下の尻拭いは上司の仕事です」

「自分の昼食代くらい、自分の財布から出すことが礼儀でしょう」

「今回は、親方と弟子の分が入っているところがポイントです。職業訓練の一環として通う職場なのですから、経費でしょう?」


 ニコニコと、まったく悪びれない安達さんの言葉に唖然あぜんとする。

 慰謝料の意味もわからないけれど、上司はよくクビにしないなと不思議に思ってきたよ。


 ものすごく顔を歪ませてしまったからか、両手を挙げながらニコリと微笑んだ。


「私をクビにはできませんよ」

「ああ、そうですか」


 クビにならない理由を聞くことは疲れるだけだから、手を振るだけでやめることにする。

 うどんが伸びるしね、うん。




「それで、沢村さん」

はんへふはなんですか?」


 食事が終わったら食器を片付けて、今は歯を磨いているところ。


 いわゆるリビングと呼ばれるところで座っている安達さんが、玄関脇の洗面所で歯を磨いているわたしに声を掛けてきた。


「カレールーとご飯と福神漬けは決まっていますが、それ以外は何にしましょうか?」

ははああほふへふへへそうですねえ……」


 わたしなら、カレーにはサラダとスープが欲しい。


「ドレッシングが必要な野菜サラダか、カボチャサラダみたいに、味がついているものがいいか……」


 歯を磨いたら保湿リップだけをつけて、さらに追加で日焼け止めを塗りながら、ドレッシングにも種類があることを思い出す。


「沢村さんは、ヨーグルトサラダだと話していましたよね?」

「はい。プレーンヨーグルトに、缶詰の果物を切って混ぜただけのものです」


 ここに野菜を足すなら、ちょっとだけマヨネーズを入れるとコクが出て美味しいんだよね。

 しかしマヨネーズでえたものを持って行くのは、気温的に躊躇ためらいがある。


 考えながらも、仕方がないのでお茶の準備をするためにキッチンに向かった。


「カレーにはポテトサラダです」

「じゃあ、スープを考えましょうか」


 はいっと手を挙げた安達さんが、サラダはポテトがいいと断言した。

 それなら合うスープは何だろうかと考えて、やっぱり王道のコンソメスープかなと振り返る。


「そうですね。カレーとサラダは濃い味付けですから、スープは控えめの味が良いでしょう」

「でもコンソメって、こういう、カップスープタイプは売っていましたっけ?」


 味噌汁やコーンスープ、ミネストローネなら見た気がするんだけど。コンソメはキューブか粉しか見たことがないと言うわたしに、安達さんも首を傾げた。


「基本的に、店でしか食べたことがありませんので……。ではいま家に、コンソメと玉ねぎ、それとワカメはありますか?」


 少し考え込んだ安達さんが、ポンと手を叩いて尋ねてくる。

 コンソメキューブと玉ねぎにワカメは、我が家の常備品だ。


「ありますよ。でもそれならゴマ油を入れた、中華スープになりませんか?」


 ここに卵を入れたら完璧だ。


 コンソメスープに具はないのではと逆に言うわたしに、安達さんがそれもそうかと納得してくれた。


「では、キューブと玉ねぎだけ持っていきましょう」


 鍋と水は、向こうにもあるもんね。

 ないなら作ればいいという流れになって、いつものように、「わかりました」と言いそうになって止まった。


「いや、何でわたしが作る流れになっているんです?」

「え?他に誰が作れるんです?」

「……」


 きょとんとした顔で、何を言ってるんだ、この人は。




 ガラガラガラガラ……


「そこ、段差がありますよ」

「わかりました。……よっと」


 八時から開いているスーパーに寄ったら、必要な食材を買って今日も出発する。


 結局、スープもわたしが作ることになったけれども。

 この分の対価は帰ってから食材を買うことで、穴埋めとなった。


 ガラガラガラガラ……


「……」


 今はカレールーやご飯、福神漬けにポテトサラダ、それとスープの材料とお皿を安達さんが持ってきた保冷できる箱に入れて、こうして駅に向かっている最中。


 ガラガラガラガラ……


 さすがにね、箱を持ってくるとは言っていたけどさ。鍋とか色々入れたものを、どうやって運ぶ気なんだろうって疑問だったよ。


 ガラガラガラガラ……


「電車とホームの間、ちょっと開いてますよ」

「わかりました」


 ガコンと足で軽く持ち上げたら、プシューッと扉が静かに閉じた。


「中身、漏れていませんよね?」

「蓋も縛りましたし、箱も固定していますから大丈夫でしょう」


 ガタン ゴトン……


「……」


 九時台の、人が少ない時間帯で良かった。

 キッチリ蓋を閉めた鍋に入れてあるから、カレー臭はしないけど気になる。


「……」


 軽装の二人と大きい箱と、台車という組み合わせは、周囲からどう見えているんだろうか。


「機材か何かの搬入、じゃないですか?」

「……それなら、いいんですけど」


 異世界から帰ってきたのに呑気な自分に、朝から呆れたものだけれども。

 台車を使ってまでカレーを食べようとする安達さんも、なかなかおかしな人だね。


「周囲の人からすれば、沢村さんも同列だと思いますけど?」

「そうだった!」


 怪しい二人組のまま出発したら、今日も異世界で掃除を頑張りますか。


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