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本日付で、クビになりました。~三十六歳、異世界に再就職します~  作者: くまきち
第一章:ちょっと異世界まで
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4話:異世界研修一ヶ月 初日 帰宅

 ヴーヴーというバイブ音で、終業の時間になったことがわかった。


 スマホのタイマーが動いたということは、きちんと電波が通っているということで良いのかな?


 梯子から降りる途中で、ひょいっと入り口から弟子が顔を出す。


「サワッち、そろそろ時間じゃないっスか?」

「はい。たったいま」


 律儀に弟子が店先まで来て、今日の仕事の終わりを知らせてくれた。


 少しホコリっぽい全身を軽く叩いたら、明日は看板の像を中心に磨くことを伝えよう。


 初日だからか、親方まで出てきて見送ってくれるらしい。律儀というか何というか……。

 ただ掃除をしていただけなのに、何だか申し訳ないな。


「歯ブラシを持ってくるので、細かい鱗のホコリを取ります」

「あぁ、わかった」


 鱗でいいのか、尻尾の細かいところだと話したら、親方が軽く頷いてくれた。

 ついでに目玉は軽く拭くくらいで良いと言われたことで、ちょっとだけ安心だ。


「こっちはまだ時間がかかりそうだ。もうちっと片付いたら、デーイと一緒に基本から教える」

「わかりました。明日もよろしくお願いします」

「また明日ー、サワッち」

「はい。お疲れさまです」


 お先に失礼しますとも伝えたら、ようやく店の外に出ることにした。




 まだ十五時だからか、外はまだ明るいなあ。

 気温はこっちのほうが少し高いみたいだけど、季節は同じ感じなのかな。


 冬には雪が降るんだろうかと思いながら歩いていたら、チラホラ人の姿が見えてきた。


 おお、朝よりもちょっとだけ人がいる。

 掃除をしている時も、本当にちょっとだけだけど人の行き来があったんだよね。


 ふぅんと思いながらキョロキョロ周囲を見回していたら、横から腕が伸ばされていった。


「あの店は粉ものを扱っているお店です。奥さまが親方の店の常連さんです。来週から店に立った時には、沢村さんも会うことがあるでしょう」

「粉もののお店の奥さまですね、わかりました」


 帰り道を歩いている途中で、安達さんが指を差しながら両脇のお店について話し始める。


 粉もののお店というけれど、どこまでの粉を扱っているところなのかな。本当に粉だけなのか、砂糖とか塩とかもあるんだろうか。


 これから常連になるかどうかは、小麦粉っぽい物なのか、雑穀っぽいものなのかにもよるなあ。

 だって自分で粉をいてくれとか言われても、そんな道具はないし、置く場所もないもんね。


「どのお店も看板はありませんが、ガラスの貼ってある壁から中が見えますので、覗いてみてください」

「わかりました」


 メモ帳に書きながら、お店の特徴も加えていくことにしよう。


 看板が特になくて見た目が似ている建物ばかりな通りでは、少しでも店の違いを書いておかないと迷いそうだ。

 それに、次からは別な店を紹介するだろうしね。


 親方のお店から何件目かは、これから自分の足で歩いて、書き加えていくことにしようっと。


「お店の名前は”クリー”です。これは、常連の奥さまの旦那さまの名前です」

「クリーさんの粉もの屋ですね、わかりました」


 店主の名前がそのままお店の名前になるらしく、淡々と付け加えていく。


 こういうちょっとした時間を使って、来る時に頼んだ『食べ物を扱っているお店を中心に教えてほしい』という、わたしの希望を実践してくれるところは仕事熱心だよね。


「……」


 いや、違うな。

 今から話しておけば、わたしが「今日はこの店に行きたい」と言えるから、時間短縮になるのだ。


 だって「あの店は何ですか?」って訊きながら中に入って教えるよりも、確実に効率がいいもん。


「あの店は野菜を扱っていまして、……どうかしましたか?」

「胡散臭いところは変わりませんけれど、仕事は真面目だなと思っただけです」

「……正直で結構ですよ」


 普段もさっきも、基本的にしつこいし鬱陶うっとうしいし、遠慮しろよと何度も思った人だけれど。

 仕事に関することは、いや、仕事ソレ”だけ”はまともだと伝えたら、顔を引きつらせられてしまった。


「一応、褒めていますよ?」

「褒められている気がしません」


 それはほら、お互いさまというやつだ。




「今日はこんなところでしょうか」

「はい、ありがとうございます」


 粉もの、野菜、魚、肉と基本的なお店の話をしながら歩いたら、異世界の行き来をする扉がある、建物の前にちょうど着いた。

 途中からは『八百屋さんが親で、隣りの果物屋さんは娘』ということも付け加えつつ、どういう品物を扱っているのかもメモれたぞ。


 この辺りはスーパー通りというか、日常の食べ物を扱っているお店が並んでいるんだね。


「親方の店が、ちょうど境になるでしょうか。こちら側が沢村さんの言うところのスーパー街。反対側は、貴金属などの専門店が並びます」

「ふぅん、なるほど」


 薬は専門店ではあるけれど、食品のようで食品ではないもんね。

 奥に行けば行くほど教会に近くなって、金属加工や服飾関係、不動産や冒険者が集まるギルド、教会関係者の居住区に行くと話してくれた。


 よし、そっちは全力で避けることにしよう。決定。


「いまの沢村さんの見た目なら大丈夫だとは思いますけど、近付かないほうが無難ですね」

「絶対に近付きません」


 地毛が黒髪だとバレたら、閉じ込められるかもしれない教会なんて。怪しさしかないし、のこのこ近付いていい場所でもない。

 絶対に回避すると誓うわたしに、首を傾げた安達さんが尋ねてくる。


「沢村さんの家は仏教系ですか?」

「仏壇はあってもクリスマスをする、典型的な和洋折衷な日本家庭です」

「では余計に、一宗教には近付かないほうがいいでしょう」

「全力で避けます」


 やっぱり親方の店より奥は、近付かないことで決定!




 でも、わたしは近付かないと決めても、親方のお店的には教会ってどういう立場なんだろう?

 教会の人だって怪我をするし、薬はどこででも必需品だよね?


 親方の薬を使っていたり、それこそ定期的に常備薬を売りに行っている常連さんだったら、この決意は意味がないし、やっぱり微妙にマズい気がする。


「基本的に、親方が各家庭や外部などに売りに行くことはありませんよ。そもそも通常業務すら滞っていたことで、求人募集をかけられたんですから」

「そうでした」


 家庭の常備薬も扱っているお店だって話していたけれど、店に買いに来るのなら安心だね。それに不意の注文がありそうな外回りなんて、新人のわたしじゃなくて弟子が行くことが普通だろう。


 外回りはないとわかったことで、なおさらホッとする。

 関わりたくない場所に自分から行くなんて、とんだ自殺行為だ。


「……いやいやいや。今度から店番はわたしですよ?お店に買いに来た時に教会の人間だって思われたら、困りませんか?」


 せっかく仲良く過ごせそうな職場なのに、迷惑を掛けるかもしれないなんて最悪だ。


 髪と目を指差しながら訴えるわたしに、安達さんはやんわり首を振っていった。


「そちらは問題なかったではありませんか。もしも教会の人間だと思われる見た目だったら、親方と弟子が教会に連れて行ったでしょうからね」

「うえっ!?」

「ああ、デーイはしないか。まあでもモランさんは教会の人間を好いてはいませんので、今日の感じなら安心でしょう」

「早く言ってくださいよっ!」


 だ・か・ら、そういうことをいま、帰り際に言うとか!


 そんな重要事項はもっと先に言えと憤慨するわたしに、「だから髪を染めさせたんですけど?」と、キョトンとしているとはどういうことだっ。


「もうっ、本っ当に!」

「怒ると皺ができますよ?」

「やかましい!」


 誰が怒らせているんだ、誰が!




 帰りの電車に乗っている間も、ムスッとした顔のまま怒り続けているわたし。


 怒りっぽい人だと言われても、更年期かと疑われても。教会に連行されるところだったなんて重要で危険なこと、もっと早くに言うべきことでしょ!?


 今日の夕食は決まっているけれど、肉を買ってきてカツカレーにしてやろうか。


 やっぱり掃除の途中に、上から大量のホコリと砂と虫を落としてやれば良かったと思いながらホームに降りたわたしの横を、普通に歩き続ける安達さん。


 もう今日は、顔も見たくないんですけど。


「……っていうか、どこまでついてくるんですか?」


 とっとと家に帰ってくれないかなと思いながら睨んだら、ニコリと例の胡散臭い微笑みを返された。


「もちろん、沢村さんの家までですよ」

「夕食まで出すとは言ってませんよ!?」


 それは絶対に断固拒否だ。

 噛みつく勢いで却下するわたしに、どうどうと両手を向けてきた。


「明日は鍋ごと向かうんですから、先に鍋の大きさを見ておきたいんですよ」

「このくらいです」

「正確に測っておきたいんです」


 ……ああ言えばこう言うなあ、もう。


 わたしが「このくらい」だと手で表したら、わざわざメジャーを取り出して、「鍋を入れる箱を用意するためだ」と言い張ってくる。

 今日は一日中、鬱陶しくてしつこい。しつこ過ぎる。


 げっそりするわたしに、ケロッとしている安達さんは、箱が必要な理由を話していった。


「向こうに着いてからは、今日みたいに人気ひとけがないので問題ありませんけど。そこに行くまでは道を歩いて、電車にも乗らなければいけないじゃないですか」

「ああ、それもそうですね」


 怒りで忘れていたけれど、四人分ってどのくらいの量なんだろうか。親方はあの巨体で、通常盛りで足りるんだろうか。

 このくらい食べるとか言われても、用意できないから訊かなかったけれど。


 昼食の時のお皿は普通っぽかったから、それほどの量はいらないのかな?

 とりあえず、わたしの今日の夕食分を引いたカレーを鍋に入れて、持って行けばいいと思うんだけど。


「そういうことも確認したいんです」

「……足りなそうだったら、どうするんですか?」

「その時はレトルトを買い足します」


 じゃあ最初から、レトルトで良いじゃん。レトルト美味しいよ。


 そっちで良いじゃんと見上げたら、何を言っているんだと首を傾げられた。


「玉ねぎとリンゴのカレーが食べたいんですよ?」

「……」


 ついでに蜂蜜が入ったルーがあるじゃん、有名なヤツ!


「自分で作ってくださいよ。スパイスを使ったりする、面倒なものではありませんから」

「沢村さんが作ったカレーを食べる、ということになったじゃないですか」

「……」


 あくまで、わたしが仕込んできたカレーを食べるのだと、こっちの世界に帰ってきても譲らない。頑固。


 っていうかその流れになったの、目の前の誰かさんのせいでしょうがっ!




 平行線の話し合いをしながらいつもの改札を通り過ぎて、仕方なく家までの道を二人で歩いていく。


 その間にも安達さんは、カレーにはつきものの名前を指を折りながら呟いた。


「福神漬けは必須ですし、カレーには米ですよね。サラダとスープは、コンビニやインスタントでもいいとして……」


 経費で落とすと言っていた通りに、サラダとスープはコンビニで調達してくれるらしい。しかし大事なお米は炊いたものを持って行かないと困るだろうし、漬物は必要だ。


 いや待て。お米もウチで炊いたものを持って行くの?四人分??


 精米は残っていたかなと考え込むわたしに、意外なお供の名前が出てきた。


「ああ、そうだ。沢村さんの家に、ラッキョウはありますか?」

「ラッキョウは、まあ……一応、あります」

「一応、とは?」


 歯切れが悪いわたしに気付いた安達さんが、下から覗き込むように顔を向けた。近い近い。


 しっしと手で振り払って離れたら、福神漬けは賛成だけれど、ラッキョウは微妙じゃないかと話す。


「うちの母親、とにかくラッキョウが大嫌いなんです。臭いも味も絶対に無理で、それこそ名前を聞いただけで、鳥肌が立つレベル」

「……それはまた、極端ですねえ」

「そうじゃなくても、福神漬けが嫌いという話は聞きませんけれど、ラッキョウは好き嫌いが分かれるでしょう?」


 ただでさえ、異世界の料理カレーを食べさせることになるのに。

 酢漬けというものは、こっちの世界でも腐った臭いに感じる人だっているものだ。


「わたしは向こうの食事に問題はありませんでした。でも、向こうの人がこっちの食事に合うかはわかりませんよね?」


 だって今まではこっちの世界から派遣して終わり、という流れだったんだから、向こうの世界の知識なんて、仕事に関係しなければ必要ないだろう。

 そのために安達さんも一か月通うことになったんでしょうと突っ込んだら、少し考え込むように上を見た。


「……まあ、基本的にはこちらから、その人に合う世界を紹介することになりますからね。向こうの世界の人が、こっちの世界に合うかどうかは気にしません」

「でしょう?それなら最初から、不安なものは持ち込まないほうが良いです」


 わたしは好きだからカレーの時には福神漬けと一緒に食べるし、タルタルソースとしても使ったりする食材だけれど。無理に食べるものではないし、明日のメインはカレールーだ。


 サラダとスープとのバランスも考えないとと言ったら、今回は諦めることで了承してくれた。


 ……いや、次回はないから。今回は・・・ってなんだ、今回はって。




「わかりました。匂いがキツイ食品は、ラッキョウ以外にも注意をしたほうが良さそうですね」

「わたしも気を付けます」


 そろそろイチゴジャムを作ろうかと思っていたけれど、これはこっちでした方が良いだろう。

 部屋中というか、外までイチゴの煮詰めた濃い香りが漂ってしまうのだ。とてもいい香りだけどね。


 でもショウガ漬けと梅干は、時期的にも向こうに入り浸る頃から、出回ることになるんだよね。

 梅干しは特に、日当たりのいい場所で干し続けないといけないものだ。できれば定期的に見張っていられる、向こうで作りたい。


 香りがきつくない食材って、どこまでが許せる範囲かなあ。


「……」


 他には何か作りたい物ってあったっけと考えているわたしに向かって、例の鬱陶しい視線がまとわりついてきた。


「梅酒も美味しいですよね」

「……作ったとしても、人に飲ませる気はありません」


 なんかもう全然、遠慮がないな、この人。

 昼と同じくニコニコしながら、グイグイ迫ってきてとても鬱陶しい。


 外食が中心なら美味しい梅酒を扱っている店に行ってくれと手を振るわたしに、とっても輝かしい微笑みを向けてくる。非常に鬱陶しい。


「私が上等で上質の、梅の仕入れルートを知っているとしてもですか?」

「うっ」


 今年から漬けようと考えていたから、どんな梅が良いかとか、どのくらいの量をどこで買おうか迷っていることを知っているかのような、的確な誘い文句を言ってくるとはどういうことだ。


 本当に、我が家に盗聴器か監視カメラでも仕込んでいないのかと疑いたくなる、気持ちの悪い正確さなんですけど。


「沢村さんが、わかりやすいだけですよ」

「……」


 思わず足を止めて見上げたわたしに、ニンマリと悪魔の微笑みを浮かべていた。


 ああ、やっぱり顔が歪んでくるよ。

 しつこい安達さんのせいで顔に皺が増えたら、高級クリームか美容液を請求してやる。そうなってもケロッとした顔で、経費で落とすだけだろうけど。


 親方の店に飾ってあった悪魔像のほうが、まだ可愛げがあった気がするくらいに怪しい笑顔だ。


「……」

「焼酎と、ついでにシソの手配もしておきましょう」

「…………」


 ……ああ、もう。今日はムカつくことばかりだ。




 ムカつくことは、全部お風呂に入って忘れることにしよう。そうしよう。


 久しぶりに化粧水パックもして、ヨガで身体をリラックスさせようと考えながら家に着いたら、真っ先にキッチンに案内をするわたし。

 用件を済ませてもらって、とっととお帰り願おう。


「この鍋にカレーが入っています」

「では、失礼します」


 一つ頷いたら、テキパキとサイズを測ってメモっていく。素早い。


 こういう仕事は、早いほうが助かるけれど。もっと自分の欲望にも遠慮しろよと心の中で突っ込んでいたら、遠慮という文字が自分の辞書にはない安達さんが、鍋の蓋を開けていった。


「夕食はないって言ったでしょ!?」


 あ、この野郎。わたしが微妙に届かない絶妙な位置まで、蓋を持ち上げるんじゃない。


 つま先立ちをしながら空を切るわたしを無視して、勝手に鍋の中身を確かめる。


「ああ、なるほど。具のないカレーの意味がわかりました」

「……それは、良かったですね」


 何事もなかったように蓋を閉められたことで、わたしの奮闘が意味なかった。……無駄に疲れただけだった。最悪だ。


「では、今日はこれで。業務日誌をお願いします」

「わかりました、お疲れさまです」


 今度こそ帰ってくれと手を振るわたしに、襟を正した安達さんが振り返る。

 まだ、何かあるの?


 思いっ切り嫌そうに歪んだ顔で見上げてしまったら、両手を挙げて降参のポーズをしていった。


「初日ですから何か気になったことや気付いたことなど、あったかと思いまして」


 無言で睨み続けるわたしを、なだめるように手を振る安達さんの言動が、とってもムカつく場合はどうすればいいんですかね。


「それはもう、慣れてもらうしかありませんね」

「……」


 担当の交代は無理だろうと思っていたけれど、いまこそ言いたい。


「チェンジで!」

「無理です」

「じゃあ、何もありません」


 しっしと改めて手を振ったら、明日は鍋を家から運ぶ役目を与えることにして、一刻も早く追い出そう。




「あ、そうだった」

「何ですか?」


 グイグイと玄関扉から押し出そうとするわたしに、なぜか抵抗をする安達さん。いい加減に帰ってくれ。

 でも一つ、尋ねることを思い出したら、すぐさま玄関の中に戻ってくる。いや、中には入らなくて結構です。


「向こうというか、お店の人たちには”アツさん”て呼ばれていましたよね。わたしも向こうに行った時には、そちらの呼び方をしたほうが良いですか?」

「そうすると、私も沢村さんをそう・・呼ばないといけなくなりますが?」

「呼ばなくて良いです」

「わかりました」


 そもそも、安達さんはあくまでハローワークに来ている派遣社員なんだもんね。

 これから勤める会社の同僚ではないんだから、呼び名を変える必要はなかった。


 お互いに変える必要はなしと決まったことで、改めてお帰り願おうか。

 出口へどうぞと手のひらを向けるわたしに、今度は首を傾げた安達さんが尋ねてきた。


「沢村さんは、あの呼び方で良いんですか?」

「ええ、構いませんよ」


 前の会社でも、っていうか学生の頃から、大体あだ名は”サワ”だったもんね。

 年下の弟子に”サワッち”呼びされても、本人が呼びやすくて親方がたしなめていないなら、問題ない呼び方ってことなんだろう。


 特に訂正する気はないと言うわたしに、何だか妙な顔をしているね。


「……もしかして、最初は”アダッち”でした?」

「ええ、そうです。そのまま過ぎたので、すぐに却下させましたけど」


 あの弟子の軽さとスルー力の高さなら、ものすごく強めに何度も言わないと変更してくれなかっただろうなあ。


「『お嬢ちゃん』呼びは嫌がったじゃないですか」

「それとは違いますよ」


 お嬢ちゃんっていうのは、微妙に子供扱いされている感じがするものだ。

 ”サワッち”は愛称なんだから、そんなに目くじらを立てるほどではない。


「……沢村さんが良いなら、良いですけど。デーイにはきちんと言わないと、全然通じませんからね?」

「仕事上で問題があったら、親方を交えて話し合うことにします」

「それが手っ取り早いでしょう」


 親方の言うことはしっかり聞く弟子なのは、今日一日だけでも十分にわかった。


 それにトイレの使い方を教えてくれた時とか、店の鍵を閉める律義さとか。

 言動が軽いだけで、中身は誠実で真面目だと知れたから、あんまり問題なさそうだと思っている。


「……」

「何ですか?」


 何か、変なことを言ったかな。


 ポカンとしたような顔で、わたしをマジマジと見つめる安達さんは珍しい。


「いえ。それほど接触しなかったと思ったのですが、よく見ていましたね」

「そりゃあ、これから末永くお世話になる場所かもしれないじゃないですか。職場の空気とか人間関係とか以外の、細かいところも気にしますよ」


 二泊三日の異世界ツアーの時だって、一番気にしたことは食だけれども。空気感は大切だと話すわたしに、今度は納得するように頷いてくれた。


 もしやほぼ一社だけの勤務経歴しかないことで、視野が狭いとか経験が浅いとか思われていた?


「そういう意味ではありませんが、意外だったことは確かです」

「はあ……」


 さっきは安達さんに褒められている気がしないと言われてしまったけれど、今はわたしが同じ気持ちだな。うん、微妙。


「では、また明日。お疲れさまでした、沢村さん」

「はい。お疲れさまでした、安達さん」


 はあっと一息吐いたら、ようやく異世界研修期間の初日が無事に終了した。


「疲れた……」


 今日はぐっすり眠れそう。


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