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本日付で、クビになりました。~三十六歳、異世界に再就職します~  作者: くまきち
第一章:ちょっと異世界まで
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6話:異世界研修一ヶ月 二日目 午前

「ぶわっはっはっはっはー!!!」

「……」


 朝の挨拶をするまでは、とても普通だったんだけれど。

 箱が載った台車を見た途端、弟子の大爆笑が店内に響き渡った。




「はっはー!その格好でここまで来たんスか!?あははは、ちょっ、サワッち!」

「……」


 バンバンと膝を叩いたら、耐えきれなくなったのか、お腹を抱えたまま床に膝をついた。


「あははははは!!ひーっ!チョーウケるー!」

「……」

「あはははははっ、っ!?……ゴホッゴホッ!」


 あ、むせた。


「ゴホッゴホッ……あーめっちゃ笑ったー。サワッち、マジウケるんスけどぉー」


 一昔前の女子高生のような口調で、成人男性がお腹を抱えて床に転がる姿もなかなかだと思うよ。


「……」


 まあね、わたしもかなり恥ずかしかったよ。

 でも鍋を丸ごとそのまま抱えて運ぶよりは、安全だったと今なら思える。かなり恥ずかしい気持ちはあるけれども。


「デーイ。いつまでも転がっていないで、サッサと運んでください」

「はーいっス。ぶっふ!クククク……」

「……」


 よっぽどツボにハマったのか、立ち上がって箱を見たら震え出した。


 このまま三階まで無事に運べるのかな?笑いがこらえきれなくて、鍋ごと階段から落ちそうで冷や冷やするよ。


 呆れ顔の安達さんが箱から鍋を出して、早く行けと弟子を急かしていった。あ、自分は軽いほうを持っている。


「沢村さん。親方は二階にいるそうなので、そちらに挨拶をしに行きましょう。……どうかしましたか?」

「いえ、何でもありません」


 わたしには一番軽い、家から持ってきたコンソメキューブと玉ねぎ、福神漬けの袋を渡して。自分は食器類とポテトサラダとご飯、弟子には一番重いカレールーの入った鍋を持たせる安達さん。


 ……まあ、いいけど。

 今日のメインはカレールーなんだから、震えながら運んでる弟子では、ちょっと危なくない?




「親方ー、サワッち来たっスよー」

「おう」


 二階に上がる頃には、弟子は震えていなかった。

 っていうか安達さんが「落としたらカレー臭が建物中に広がって、確実に親方に怒られる。最悪、クビ」と言ったら真顔で抱え直してくれた。


 親方の怒った顔は怖そうだと簡単に想像ができても、笑った顔は浮かばないな。台車と箱を見たら、少しは笑ったりするのかな?


 それはちょっと見てみたいかもと思いながら二階に上がったら、親方も奥の部屋から出てくるところだった。


「おはようございます」

「おう。……何だ、ソレ」


 わたしの挨拶に小さく頷いた親方が、ピタッと止まって怪訝な顔をする。

 声が警戒している鋭いものではなくて、訳がわからないと混乱しているような、戸惑った声だ。


 カレーを持ってくる話はしたから、そのままを伝えればいいのかな?

 わたしが考え込んでいる間に、安達さんが弟子の持っている鍋を指差した。


「昨日お話ししたカレーです。私と沢村さんが持っているものは、他の食材になります」


 今度は自分の持っている袋を掲げた安達さんにならって、わたしも持っている袋を親方に説明する。


「ここにはスープの材料が入っているので、カレーを温める時に作ります。鍋などをお借りしたいんですが、良いですか?」

「あぁ。それなら、三階の部屋を使えばいい」

「わかりました。ありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げたら、お昼まで冷蔵庫に入れようと三階まで上がっていくことにする。




「足元、気を付けてくださいっス」

「うわっ!?」


 二階は今日も相変わらず、足の踏み場がないなあと驚いたけれど。とうとう置ききれなくなったのか、三階の床まで侵食されていた。


 一応、生活圏だからか、奥の壁際にまとめているみたいだけれど。

 それでも積んである箱の量に、一体、何種類の薬を扱っているんだろうと呆然と立ち尽くしてしまった。


「どうしました、沢村さん?」

「いやぁ……。覚えきれるかなあと、心配になりました」


 最初はある程度、メモを見ながらの接客を許してもらおうと考えていたけれど。すぐに出てこないと、緊急時とかは困るはずだ。


 それに、いつになっても覚えられない店員では、信用問題にもなるだろう。


 土日の休みを使って予習復習をしっかりしないと、一ヶ月の研修期間で終わりになりそう。それは困る、とても。

 何とか正社員になって無職の薄っぺらい保険証から、クレジットカードのように丈夫なものに戻りたい。


 窓口で渡された時はショックだったとしみじみ呟くわたしに、何かを思い出した安達さんが「ああ」と小さく頷いた。


「゛ああ゛って……。また何か、重要なことを言い忘れていました?」

「重要ではありますが、研修期間後も採用されないと話しても意味がありません。なので今月末、無事に本採用となったらお話しします」

「……わかりました」


 これは掃除の前に、手帳にメモっておこう。

 採用された時に安達さんが忘れていたら、容赦なく突っ込むぞ。




「ここを使ってくださいっス」

「わかりました」


 三階にある冷蔵庫は結構大きい。ここにももしかしたら、入りきらない薬関係を入れたりするのかも。

 妙な液体が入っている瓶や缶は、触らないように気を付けよう。


「じゃあ、サワッちはガーゴイル磨きの続きっスよね?オレは親方と二階を片付けてるんで、昨日みたいに何かあったら、いつでも声掛けてくださいっス」

「わかりました、ありがとうございます」


 昨日と違って文具ではなくて、今日のウェストポーチには歯ブラシや手袋などの掃除道具が入っている。

 マスク、ホコリ避けのバンダナにバケツと雑巾を持ったら、今日の仕事を始めるとしよう。


「おはようございます」


 梯子を上がったら、今日もガーゴイルと目が合った。

 挨拶とお辞儀をしても、動いたりはしないんだけれど。まあね、ほら、これから磨く人……人?磨く方なんだから、挨拶は大事だよね。


「そのガーゴイルは、動かないと伝えたはずですけど?」

「昨日は挨拶したんですし、わたしのほうが後輩じゃないですか」

「はあ……?」


 先輩には挨拶をしなければと言うわたしに、今日も首を傾げている安達さん。


 良いんだよ。こういうのは気分の問題ということにして、今日もホウキでホコリを取るところから始めよう。


 今週は掃除だと知っていた安達さんは、今日も完全防備で風上にいる。

 わたしの監視が仕事らしいけど、これ、必要?


 いきなり一人にされるよりはマシだけど、誰もいない店の前の道で、立っているだけの人ってどうなんだろう。


「それも、いまさらですよ。それともスマホでゲームでもしていた方がいいですか?」

「給料泥棒って言われますよ」


 っていうか二階と三階の惨状を見れば、人手不足なことは丸わかりだ。サボっていることに気付いたら、あの二人なら問答無用で引きずっていくだろう。


「そちらは断固拒否案件ですので、真面目に監視を続けます」

「あ、そうですか」


 ただじいっと見ていることに、真面目も何もなさそうだけどね。




「ふう……。結構、細かい鱗だなあ」


 尻尾から始めた鱗磨きは、思ったよりも時間が掛かっている。

 歯ブラシを持ってきて大正解だ。


 年に何回も磨かないのか、鱗の一枚一枚にブラシをかけないと、なかなか汚れが落ちてくれないのだ。

 一息吐いたら、丁寧に布で拭いていく。よし、艶が出てきたぞ。


「それって楽しいですか?」

「え?……ああ、そうですね。目に見えて光ってくるので、磨き甲斐があります」


 下から声が掛かって、何事だと思ったら。ものすごーく何とも言えない微妙な顔をした安達さんが、掃除は楽しいのかと訊いてきた。

 食事はすべて外食の安達さんは、もしや掃除も頼んでいるんだろうか。


「さすがに自分の部屋くらい、自分で掃除をしていますよ」

「それなら、どんどんピカピカになっていく掃除が楽しいって思いませんか?」

「思えません」


 ホコリっぽかったり、汚れているところに住みたくないから仕方なく掃除をしているだけで。窓が綺麗で気持ちいいとか布団は丸洗いに限るとか、そういう気持ちはまったくわからないと言われてしまった。


「……」

「ベッド派ですが、リネン類の洗濯とマットは定期的に洗っていますよ」

「そうですか」


 安達さんの家に行く予定も、ベッドにもまったく用はないけれど。

 ものすごく歪んだ顔で見下ろしてしまったからか、一年中寝たきりのままの布団ではないと両手を挙げて否定した。


 パリッとしたシャツとか、レシートでパンパンな財布ではないことで、私生活もキッチリしているんだろうなとは思っていたよ。

 それでも布団周りは、結構気にしない人が多いんだよね。


「一日の最後を過ごす布団は気持ち良くないと、疲れが取れませんからね」

「ですね」


 うんうんと、またしても妙なところで気が合うことは、今は脇に置いておこう。


 わたしの今の仕事は仕事だもんね。

 絶対にピカピカに磨きあげてやるぞと悪魔像ガーゴイルに顔を向けたら、歯ブラシを握って気合いを入れ直した。




 ゴシゴシ キュッキュッ


「……よしっ」


 ヴーヴー


「ん?」


 尻尾の部分が終わった頃、ちょうどスマホのタイマーがお知らせしてくれた。

 そうそう。今日はこれからカレーを温めて、スープを作らないとね。


 何度考えても、どうしてわたしが作ることになったのかが、よくわからないことだな。カレーにスープは欲しいけど、探せばフリーズドライがあった気がする。


 微妙に安達さんに騙されたような、妙な気持ちのまま梯子を降りて、掃除道具を店の中に片付けていく。

 この時も一切の手助けをしないで見守っているだけの安達さんは、店の中に道具が全部入ったことを確認したら、お店の鍵を閉めていった。


「三階の部屋に行きましょうか。切るものは玉ねぎだけでしたよね?」

「そうですね。サラダは分けるだけですし」


 お皿もスプーンも朝に出してもらったから、温めた鍋ごと運べばいいだけだ。


「それより、モランさんとデーイさんの分のご飯はいらないんですよね?」

「ええ。こちらではまず米がありませんからね。代わりにパンを用意してもらっています」

「わかりました」


 お米もだけど、そもそもカレーを知らなかったもんね。

 ただしカレーのように、パンと一緒に食べるスープはあるらしい。


 今度はそっちを食べてみたいなと思いつつ、二階にいる二人に昼食の用意をすることを伝えよう。


「あぁ。悪ぃな、オレらの分まで」

「よろしくっス、サワッち」

「わかりました」


 親方は申し訳なさそうに、弟子は期待に輝かせた、うすい茶色の瞳を向けて手を振った。


 ……フツーの、ごくフツーのカレーなんだけどなあ。


 そんなに期待をされても、一般人の作った食事はフツーのはずだ。こっちの世界の食事だって美味しかったから、異世界の味が楽しみってことなのかな?


 しかし色んな薬草を扱っている店で、香辛料を使ったカレーを食べるとか……。

 微妙に複雑な気持ちになりながらも、昼食の準備をすることにしよう。




 調理をするための部屋は、三階の一室。

 コンロと流し台は一階にも二階にもあるけれど、一階はお店で二階は足の踏み場がないくらいに箱が積まれている。


 そんなところで火を使ったら燃えそうだし、何よりカレー臭は強烈だからね。

 換気扇代わりの窓を開けようと手を伸ばした途中で、カレーのない世界でカレー臭を漂わせて大丈夫か気になった。


「窓まで届かなかったですか?」


 つま先立ちのまま止まったわたしの横から、安達さんが腕を伸ばして窓を開けてくれる。

 む。手を伸ばすだけで窓に届くとは、身長差以外に腕の長さも違うということか。


 わたしが別な考えで足元を睨んでいたら、何か落ちているのかと、今度は足元を見ながら首を傾げた。


「そっちじゃなくて。窓を開けたら、外に香りが流れますよね?」

「そうですよ。前に泊まった宿は廊下側にキッチンがあったので、換気扇のようなものがついていましたけれど。一般の住宅にはありませんので、冬でも窓を開けることになります」


 うっ……。冬でも梅雨でも関係なく、窓を開けないと換気ができない部屋は困るなあ。

 それは住んでから考えることにして、最初に気になったことを尋ねてみよう。


「カレーという未知の食べ物の香りを、近所中に広めてもいいものか気になったんです」

「ああ。……大丈夫じゃないですか?」


 少し考え込んでくれたけど、アッサリ許可が出た。いや、気にしすぎだと言われそうだなとは思ったけどさ。


「こちらの店は、自分で加工をする薬屋だとお話ししたでしょう?いぶしたり煮詰めたりは日常茶飯事ですから、多少嗅ぎ慣れない香りがしても、新しい薬かな?程度ですよ」

「あ、そっか。そうでしたね」

「それに今週はお休みですから、大半の方たちはいませんし」


 残っている人もいるけれど、今週はお店が一斉に休む時なんだった。

 それなら異臭騒ぎになったり、店に「何してんだ!」って怒鳴り込む人もいないか。良かった。


 ようやく安心したら、カレーを温めてスープを作るとしよう。


「玉ねぎくらいは切りますよ」

「……お願いします」


 スープを作れと言ったのは、味付けの問題だけらしい。

 サッサと玉ねぎをまな板の上に置いたら、手際よくスライスしていった。うん、相変わらず素早いし綺麗だなあ。


 手際を見ていると、自炊をしていそうなのに。

 自宅で油を揚げたくないとか、一人分が面倒くさいだけなのかな?そういえば、片付けも積極的だったもんね。




「一人分が面倒くさいということはありますが、それよりも味付けが不安なんですよ」

「え?」


 味付けって不安になること?別にわたしも教科書通りに、『カップ一杯、大さじ半分』を守っているわけじゃないよ?

 それでも何となく食べれるのは、ひとえに調味料のおかげだ。


「私の場合、キッチリ分量通りに作ってもイマイチなんですよ。なので適当な分量で何となく美味しく作れる、ということはもっと無理です」

「はあ……、それは疲れますね」

「とても疲れます」


 毎日の食事にそんなに神経を使っていたら、わたしも多少、値が張っても外食になるね。


「じゃあこの前の時、一緒に作れば良かったですか?」

「いえ、あの時は沢村さんに慣れてもらうための三日間でしたから。最初から切ることと、片付けしか手伝わないと決めておりました」


 それもそうか。料理教室みたいに、お金を払うような教え方はできないしね。

 出汁で煮物を作るとかティーバッグでチャーシューが作れるとか、そういう程度だもん。


「煮物は何となくわかりますけど、ティーバッグでチャーシューって何ですか?」

「そのまま紅茶豚って呼んでいる、豚肉の塊をティーバッグで煮るだけですよ」


 我が家の定番だったんだけど、マイナーな料理だったのかな?いや、きっと料理サイトとかアプリでは、フツーに載っているはずだ。


「味がついていないので、色々アレンジできるんですよ。お弁当のおかずも良いんですけど、家でラーメンを食べたくなる時ってありませんか?煮卵と一緒で作っておくと便利なんです」


 ここにメンマと海苔、かまぼことネギがあれば完璧だ。


「かなり本格的な自宅ラーメンですね」

「さすがに袋麺ですし、具がないと作りませんけどね。……はっ」


 簡単だし失敗もしようがないから作ればいいと言ったら、とても輝かしい微笑みで見つめられていた。


「美味しそうですね」

「うっ……」

「とても、美味しそうですね」

「ええと、ええと……。あっ、スープができたみたいですよ!」


 味を見て、ちょっと塩を足したら良さそうだ。


「よし、完成!お昼にしましょう!!」


 こういう時は、話も顔も逸らして素早く逃げるに限るっ。




「肉屋の肉で作ったら、とても柔らかくて美味しそうではありませんか?」

「うっ」


 耳を貸してはいけないとわかっているのに、悪魔のささやきが聴こえてきた。


 無視無視無視。


 今日も三階で食べるから先にテーブルの周辺を開けておかないと、鍋を運んでも置き場所がなかったら意味がないもんね。


「麺は生麺タイプでどうですか?」


 ……無視無視無視。


 三階もなかなか箱が散乱しているけれど、ちゃんと食事をする場所までの通り道を開けておいてくれたみたいだ。


「ちーっス。オレもちょうど区切りがいいんで、運びますよ」

「助かります」


 じゃあテーブルを拭いて、お皿を並べようっと。

 持ってきた鍋敷きは真ん中がいいかな。みんなそれぞれ、食べる量が違うだろうし。


 あの量で足りるかなと考え込むわたしの横で、めげない安達さんは今日もしつこかった。


「わかりました。では、練り物屋でナルトを買いましょう!」

「……」


 む、無視だ、無視!


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